(PayPal)の共同創業者であり、現在は、エンジェル投資家(ごく初期のベンチャー企業に自己資金 を投資する)、ヘッジファンドマネージャーとして、様々なテーマに投資をしている人物である。 ペイパルを創業し、のちに電気自動車のテスラーモーターズを創業したイーロンーマスクのXド ットコムと合併させ、これを株式公開(IPO)させたあと最終的にイーペイに売却した。その 後、活動の中心を投資業に移す。  投資家としてのティールの最も有名な顔は、フェイスブックの最初の外部投資家ということ である。ティールはフェイスブックに五〇万ドルを融資し、のちに七パーセントの株式に転換 した。これが最終的には、一〇億ドルになった。映画「ソーシヤルーネットワーク」をご覧にな った方は、ファンドが投資を決定するシーンでティールが登場しているのを見ているはずであ る(もっとも、ティール本人は、俳優の服装が自分とは違うのでかなり不満らしい)。ティールはビジネ ス向けソーシャルーネットワーキングーサービスのリンクトインにも投資しており、このIPO も大成功している。他にもめぼしいところだけでもヤマー、イェルプ、クオラなどに投資して おり、イーロンーマスクの宇宙ロケット開発会社スペースXにも出資している。ペイパル出身者 が次々と会社を立ち上げ、あちこちの分野で成功して、その人的、経済的ネットワークが大き な影響力を持っていることから、彼らを俗に「ペイパルーマフィア」と呼ぶが(先述のスペースX、 リンクトイン、イェルプの他にも、ユーチュープ、テスラーモーターズ、キヴァなど各分野でのトップ企業 がことごとくペイパル出身者による創業なのである)、ティールはこの「ペイパルーマフイアのドン」 だと、彼らを特集したフォーチュン誌で評されている。   日本語版 序文                  瀧本哲史  私は、書籍の推薦依頼について、一つのポリシーを持っている。それは、「生きている人の本 は決して受けない」というものである。アランーブルームの言うところの「尊敬すべき大を同時 代に持たない我々が過去に求めるもの」として書籍があるのだとすればこれは必然だ。だから、 小学校時代の塾からマッキンゼーまで実に一七年にわたり同級生だった友人が起業したユニー クな不動産会社のかなり面白い本でもきっぱり断った。  しかし、これが、あのピーター・ティールの世界同時発売の本を先に読めた上での「序文」と いうことであれば、話はまったく別である。これは断るにはあまりにも強力な誘惑である。と いうのも、ティールは生きているうちにすでに伝説となっている人物であり、私にとっては、フ ランシスーベーコン同様に(ティールもベーコンを引用している)、尊敬の念をおかざるを得ない存 在だからだ。  ティールを紹介しようとすると、彼があまりにも多くの顔を持っているので、匸言で説明す るのが難しい。わかりやすい説明をすれば、世界最大のオンライン決済システム、ペイパル  そのティールがベンチャーについて本を出した。いわゆる「イケてるベンチャー」を量産し ている起業家、投資家グループの中心人物が、スタンフォード大学の学生向けに行なった「起 業論」の講義をもとに書いた一冊だ。そうなれば、これだけで「即買い」ということになりそ うではないか(今すぐレジに向かおう)。『スタンフォード式起業の教科書』と改題して、私が「こ れがアメリカの学生に配られている武器だ」と帯に書けばベストセラー間違いない(もちろん、 そんな本だったら私は序文は書かないだろう)。  ただ一方で、ウェブで読めるような「○○を成功させるためのm一の法則」的な、内容を薄め た本じゃないのかと、心配にもなるだろう。安心して欲しい。実は、ティールはそんな単純な 人物ではないし、本書もそんな「わかりやすい」本ではない。例えば、今流行りのりIンースタ ートアップなどは、手厳しく批判している。  実際、ティールはいろいろな顔を持っており、かなり複雑な人間だ。ティールの世界観が垣 間見える出来事がある。フェイスブックの上場まもなく、フェイスブック株をほとんど売って しまったのだ。これが原因でフェイスブック株は大幅に下落した。証券市場も非常な驚きをも ってこれを受け止めた。なぜ、そうしたのか。そのヒントはティールが設立したベンチャー投 資ファンド、ファウンダーズーファンドのサイトに載っている。いわく、「我々は空飛ぶ自動車 を欲したのに、代わりに手にしたのは一四〇文字だ」。このコピーはツイッターを揶揄したもの だが、要は、フェイスブックを含めてソーシャルーネットワーキングーサービスの未来が、ティ ールにはあまりに小さく退屈だったということだろう。  その証拠に、ティールが力を入れている他のプロジェクトのある種の荒唐無稽ぶりを見てみ るといい。ティールは、世界的ベストセラー「選択の自由」の著者で新自由主義を唱道したミ ルトンーフリードマンの孫で、グーグルの元エンジニアであるハドリーフリードマンが創った Seasteading Instituteを支援している。これは、公海上に石油採掘プラットフォームのような 人工島を建設し、そこに完全に規制のない自由な実験国家を作ろうとするプロジェクトである。 ティールはこれまで匸一五万ドルを寄付したと報道されている。ある意味、とても馬鹿げてい る。他にも技術的なブレークスルーで世界を変えるプロジェクトに出資をしている。それは延 命技術であったり、人工知能が人間の知性を超えるポイント(シンギュラリティ)に達した後の 世界はどのようなものかを研究するプロジェクト(本書でも人間と人工知能の関係に触れている)な どで、その他、基礎科学にも寄付をしている。特に延命技術はSFチックで、投資先には、死 体の冷凍保存が社員の福利厚生に含まれている会社すら存在する。医療の発達による延命の可 能性を残そうというものである。  最近、物議を醸したプロジェクトは、ティールーフェローシップである。これは、二〇歳以下 の若者に対して、学校をやめる他には特に条件なしに二年間でI〇万ドルを支給し、研究や仕 事に没頭させるというプログラムである。これはあまりにも大胆な社会実験であり、一定の批 判を受けた。しかし、ティールによれば、今の高等教育の隆盛はバブルでしかなく、飛び抜け て優秀な頭脳の持ち主にとって大学は、集中すべき活動に割くための時間を奪い、一般的な活 動しか与えていない有害なものである。「完全に自主的な知性、何か新しいものを作る決意、 そして、それを実現する力を持った者」をその課題に専念させれば、大きな成果を上げること ができるから、そのための資金を出そうというわけである。その内容は消費者向けの新サービ スの開発から、基礎科学、政治に絡んでくるイシューまで様々であり、すでに一定の成果を上 げている。  このプログラムの応募書類の質問の中には、本書でも紹介される、ティールが最も重視する 質問が出てくる。それは、「世界に関する命題のうち、多くの人が真でないとしているが、君が 真だと考えているものは何か?」というものである。つまりティールは、強い個性を持った個 人(ただし、実際にはティールは少人数のチームを重視する)が、世界でまだ信じられていない新し い真理、知識を発見し、人類をさらに進歩させ、社会を変えていくことを、自らの究極の目的 としているのである。一見、金持ちの道楽としか思えない様々なプロジェクトも、個性ある個 人の知性と技術による社会改革の一つと考えれば、了解可能だ。  ティールは多数派の意見を積極的に覆すことを意義あることと考える。であるから、政治的 には個人の絶対的な意思、自己決定を重視するリバタリアンの立場をとり、先ほど紹介した人 工島国家計画を支援したり、さらには、リパタリアン系の政治家に大口献金をしたりするわけ である。そんなティールが起業に関する本を書けば、世の中の流行と同じものになるわけがな い。ティールは、ヘッジファンドのマネージャーとして世界経済の流れに逆張りして投資して いたこともあるくらいの「逆張り投資家」であるから、本書の内容も逆張りである。  ティールの主張で最もコアとなる部分は、「リーンースタートアップ」と呼ばれる今流行りの コンセプトとは真逆である。リーンースタートアップでは、事前にあまり計画せずに、少しずつ 改善することを重視するが、ティールはそうしたスタートアップは結局は成功しにくいと考え る。むしろ、あるべき姿は、「競合とは大きく違うどころか、競合がいないので圧倒的に独占で きるような全く違うコンセプトを事前に計画し、それに全てを賭けろ」というスタンスである。 Yコンビネーターや500スタートアップスといった、「どれが成功するかはわからないので、 一定の基準を満たしたら全て投資する」という最近のインキュベーター型の投資会社とは真逆 のスタンスだ。私自身の経験からも、皆が反対する投資の方が結局リターンが良いという実感 がある。  ティールは競争ではなく、独占の重要性を強調する。実際、完全競争下では超過リターンは 消失するというのが経済学の教えるところであり、競争を避けて利益を追求することがイノベ ーションの源泉であることは、私自身が著書「僕は君たちに武器を配りたい」で散々強調した ことでもある。これはティールの人生の初期段階でのキャリアチェンジとも関係しているよう だ。ティールは元々スタンフォード大学のロースクールを出て法曹を目指していたが、狙って いた最高裁判所のポジションが取れず、同じ道で競い合って大量の人が微妙な差で勝ったり負 けたりするゲームのむなしさ、リスク/リターンの悪さを痛感したらしい(これは私自身の経験 とも被る)。そこで、デリバティブのトレーダーになるのだが、これも実は違いを作り出せない 仕事だとティールは考えたようだ。そして最終的には起業家へと大きくキャリアを切り替えて いく。  だから、ティールは、優秀な学生が経営戦略コンサルタントや弁護士、投資銀行などのキャ リアに就いて、「あいまいな楽観主義」にもとづいた小さな成功(「選択肢が拡がる」だけである) しか手にせず、社会を大きく進化させる力を持たないことを批判する。むしろ、積極的な計画、 あるべきものを提示することによって社会を動かし、自分の人生のコントロールを取り戻す試 みとしての起業を、人生における正しいアプローチと位置づける。まだ多くの人が認めていな い「隠れた真実」を、利害とビジョンを共有したマフィアによって発見して、それを世界中に 売り込む。少人数のチームが、テクノロジーを武器に、社会に非連続な変化を起こす。こうし たプロジェクトのポイントを、ティールは本書で順々に説明していく。  この「隠れた真実」を明らかにしていく、つまり本書の書名が意味する「ゼロからIを創り 出す」アプローチの観点から、昨今、盛り上がりを見せている日本のスタートアップ、起業界 隈を振り返ってみると、「O1:01」とはほど遠いことがわかる。隠れた真実を追究するという よりは、アメリカで流行っているテーマの焼き直しを日本向けにアレンジしている起業がとて も多い。一般個人投資家にとってのみ目新しい、流行りのビジネスモデルや経営者の話題性(性 別、学歴、職歴など)、資金調達の規模をもとに、ベンチャー界隈でお互い褒め合ったりして、評 価が決まってしまっているところもある。  こうなると、あるテーマがビジネスになりそうだとなると、一斉に同じコンセプトの会社が 市場に参入する。例えば、現在ソーシャルゲームにはあまりにも多くのプレーヤーが参加して 互いにつぶし合っていて、独占とはほど遠い状況である。結果、ほとんど似たようなコンセプ 卜を互いに模倣し、最終的には広告投入競争になってしまっている。すると、今度は、ソーシ ャルゲーム会社からスマホ向け広告の出稿を見込めるので、各種メディアアプリ戦争が勃発し た・しかし、これもどんどん後発が先行プレーヤーをまねるため、結局は広告の投入合戦にな っており、ついには、あれほど凋落したと言われていたテレビCMさえちょっとした活況を呈 している。しかし、いずれはどれも超過リターンを取れなくなっていくだろう。  「タイムマシン経営」と言われる海外成功事例のパクリも多い。アメリカでハイラルメディア が流行すれば、日本でもハイラルメディアが乱立し、ニュースメディアが流行りそうであれば、 これまた、同じようなサービスが乱立する。ティールはペイパルとXドットコムがつぶし合い になりそうなときには合併することで不要な競争を避けたが、日本では逆の方向である。こう した会社がなんとか大きくなって上場したとしよう。この場合、上場がゴールになってしまい、 その後株価が急落する会社も多い。一見すると目新しいけれど大企業が容易に模倣できるサー ビスを提供する会社が、社長の個人的話題性で株価をつり上げることに成功するも、大企業が 本気で参入したとたん「利益が急落、株価が数分の一に」などということは日常茶飯事である。  日本人はスタートアップにおいても、「隠れた真実」とは真逆の「皆が知っているが実は間違 っていること」に賭けて損をする人が多い。投資の世界では、「日本人が来たら売れ」などとや や皮肉めいた格言があるが、こんなことでは、日本で成功したベンチャー企業が、国内市場の 成長性では株価が維持できそうにないので無理に海外進出し、結局、現地で返り討ちに遭い、グ ローバリゼーション失敗という展開になっても無理からぬ話である。一方、ティールが手がけ ている投資先の場合、当初はそんなことがビジネスになるのかと言われ、あるいは技術的に現 時点で疑問点があるからこそ、世界でトップになることができるわけである。  以上を踏まえると、本書はぜひ、様々な立場にある日本人に幅広く読まれて欲しいと思って いる。また、ピーター・ティールという、アメリカの快進撃の象徴であると同時に思想的にか なり変わった人物、しかも、その一見特異に見える思想を本当に実現してしまいかねない人物 について、興味を持つキッカケにして欲しいと思う。  まず、一番読んで欲しいのは、起業家ないし起業志望者の人達だ。スモールビジネスで起業 するのも良いが、全く新しい、世界を変えるような巨大な企業を創り出そうとする本沓のアプ ローチは一度目にしておいた方が良いだろう。必ず、目線をあげるキッカケになるだろう。  また、大企業で働き、新規事業を開発しようとしている人達には、その必要な規模感に見合 う思考法を身につけるのに良いはずだ。  いわゆる、高級サラリーマン、プロフェッショナルにも良い刺激だ。実際、ティールは年収 二〇万ドルぐらいの一流大学卒業生、「雇われ身分」の人達を一番挑発しているように思う。そ れは、ティール自身が、「あいまいな楽観主義」による選択肢の拡大、分散投資的発想の際限の ない競争の世界から積極的に「ドロップアウト」した人物だからでもある。  科学やテクノロジーの力で社会を変えよう、今までにない発見をしようと思っている自然科 学者、エンジニアにとっても、起業に対するイメージを変える一冊となるだろう。最近、京大 でノーベル賞に最も近い研究室の一つと言われる研究室に属するとびきり優秀な研究者に起業 の概念を説明する機会があったのだが、実は、「隠れた真実」を発見するという点において、両 者は似通っている。  ひょっとすると、あるべき社会像やリバタリアンに興味がある人、また、現代の知識人像に ついて思いを馳せてみたい人にも面白いかも知れない。ティールはある意味で近代合理主義の 元祖によく似ている。つまり、フランシス・ベーコンが典型であるように、ルネサンス期には科 学と技術、ビジネス、政治といった、現代においてばらばらの分野も互いに融合しており、一 人の人間がそれを担っていたのだ。  そして、なによりも、未来を担う若者に勧めたい。なぜなら本書は、ティールが、世界を進 歩させるために世界中で配ろうとしている武器だからである。  さらに言えば、本書を起点に、「隠れた真実」を見つけ出す「マフィア」が生まれることを期 待している。ポンーヴォヤージュー 冒険の途中で会いましょう。 はじめに  ビジネスに同じ瞬間は二度とない。次のビルーゲイツがオペレーティングーシステムを開発す ることはない。次のラリー・ベイジとセルゲイーブリンが検索エンジンを作ることもないはずだ。 次のマークーザッカーバーグがソーシヤルーネットワークを築くこともないだろう。彼らをコピ ーしているようなら、君は彼らから何も学んでいないことになる。  もちろん、新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。おなじみのやり方を 繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生 み出すたびに、ゼロはIになる。何かを創造する行為は、それが生まれる瞬間と同じくI度き りしかないし、その結果、まったく新しい、誰も見たことのないものが生まれる。  この、新しいものを生み出すという難事業に投資しなければ、アメリカ企業に未来はない。現 在どれほど大きな利益を上げていても、だ。従来の古いビジネスを今の時代に合わせることで 収益を確保し続ける先には、何が待っているだろう。それは意外にも、二〇〇八年の金融危機 よりもはるかに悲惨な結末だ。今日の「ベストープラクティス」はそのうちに行き詰まる。新し いこと、試されていないことこそ、「ペスト」なやり方なのだ。  行政にも民間企業にも、途方もなく大きな官僚制度の壁が存在する中で、新たな道を模索す るなんて奇跡を願うようなものだと思われてもおかしくない。実際、アメリカ企業が成功する には、何百、いや何千もの奇跡が必要になる。そう考えると気が滅入りそうだけれど、これだ けは言える。ほかの生き物と違って、人類には奇跡を起こす力がある。僕らはそれを「テクノ ロジー」と呼ぶ。  テクノロジーは奇跡を生む。それは人間の根源的な能力を押し上げ、より少ない資源でより 多くの成果を可能にしてくれる。人間以外の生き物は、本能からダムや蜂の巣といったものを 作るけれど、新しいものやよりよい手法を発明できるのは人間だけだ。人間は、天から与えら れた分厚いカタログの中から何を作るかを選ぶわけではない。むしろ、僕たちは新たなテクノ ロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。それは幼稚園で学ぶような当たり前のことな のに、過去の成果をコピーするばかりの社会の中で、すっかり忘れられている。  「ゼロートウーワン」は、新しい何かを創造する企業をどう立ち上げるかについて書いた本だ。 僕がペイパルとパランティアの共同創業者として、その後フェイスブックやスペースXを含む 数百社のスタートアップへの投資家として、直接学んだことのすべてがこの本の中にある。そ の過程で起業には多くのパターンがあることに気づいたし、本書でもそれらを紹介しているけ れど、この中に成功の方程式はない。そんな方程式は存在しないのだI起業を教えることの 矛盾がそこにある。どんなイノベーションもこれまでにない新しいものだし、「こうしたらイノ ベーティプになれますよ」と具体的に教えられる専門家などいないからだ。実際、ひとつだけ 際立ったパターンがあるとすれば、成功者は方程式でなく第一原理からビジネスを捉え、思い がけない場所に価値を見出しているということだ。  本書は、二〇匸一年にスタンフォード大学で僕が受け持った起業の授業から生まれた。大学 で専門分野を極めても、広い世界でそのスキルをどう使ったらいいかまで学べる学生は少ない。 僕はこの授業を通して、専門分野によって決まった路線の外にもっと広い未来が広がっている こと、その未来を創るのは君たち自身であることを教えたかった。学生のひとり、ブレイクー マスターズが詳しく記してくれた授業ノートは、キャンパスをはるかに超えて拡散し、そのノ ートに僕と彼が修正を加えて、より幅広い読者向けにこの「ゼロートウーワン」ができあがった。 スタンフォードやシリコンバレーだけに未来を独占させていいわけがない。  ……   ’\バミレケ厂匸∇ 匸≒≒レ厂 回 レン”  厂゛      匸匚’∇` ’`’卜’‘’一”””;‘ ≒`     ∠‘  ……………厂几………ロト≒≒≒匚コ匸≒’.’回」…….≒\……゛へ≒コト一回了回▽」匸’二≒≒’一.1 1.’.’.  」………−’・一¥‘`f`’一一{一″丶ノいμ卜bE}゜・丶ごΣ丶’r气=J7丶‐ノ.r‘バr‘‥?Q   \十一僕たちは未来を卻ること亠刀<二十\一     一    I I I  ― 一  一 ・ ’一 I  I−・−11 −・il l 一 幽 − 一 一              ■ 一 ・   I I  I I I[  I   ・ i ・ 一 一  か         “ r  l l  l     −   .1    E ] ・ ’ 一    ‘  ’ ・  ’‘ ・ ・ ‘        ・  ’‘  ’         ・  ’  ‐ ・‘  ・ ’・         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もしこれからI〇〇年間社会が変わらなければ、未来はI〇〇年以上先にならないとやってこ ないことになる。もし次のI〇年でものごとが急激に変わるなら、未来は手の届くところにあ るということだ。未来を正確に予測できる人などいないけれど、次の二つのことだけは確かだ。 未来は今と違う、だけど未来は今の世界がもとになっている。あの逆説的な質問への答えのほ とんどは、異なる視点で現在を見ているだけだ。視点が未来に近づくほど、いい答えになる。      ゼ囗から1へ‥進歩の未来  未来を考える時、僕らは未来が今より進歩していることを願う。その進歩は次の二つの形の どちらかになる。ひとつは水平的進歩、または拡張的進歩と言ってもいい。それは、成功例を コピーすること、つまり1からnへと向かうことだ。水平的進歩は想像しやすい。すでに前例 を見ているからだ。もうひとつの垂直的進歩、または集中的進歩とは、新しい何かを行なうこ と、つまりゼロからIを生み出すことだ。それまで誰もやったことのない何かが求められる垂 直的進歩は、想像するのが難しい。一台のタイプライターから同じものをI〇〇台作るのが水 平的進歩だ。タイプライターからワープロを創れば、それは垂直的進歩になる。  マクロレベルの水平的進歩を匸百で表わすと、「グローバリゼーション」になる。ある地域で 成功したことをほかの地域に広げることだ。中国はこれを国家ぐるみで行ない、二〇年計画で 今のアメリカを目指している。彼らは先進国でうまくいったことをそっくりそのままコピーし てきた。一九世紀の鉄道、二〇世紀の空調、そして都市そのものをも真似ている。その過程で、 たとえば有線網を作らず直接ワイヤレスに向かうなど、進歩の段階をいくつか飛び越す場合も あるけれど、基本的にはすべてを同じようにコピーしている。  ゼロから1を生み出す垂直的な進歩を一言で表わすと、「テクノロジー」になる。ここ数十年 間の情報技術(IT)の急速な進歩から、シリコンバレーが一般的には「テクノロジー」の首都 だと見なされるようになった。でも、テクノロジーとはコンピュータに限らない。正しくは、も のごとへの新しい取り組み方、より良い手法はすべてテクノロジーだ。  グローバリゼーションとテクノロジーは異なる進歩の形であり、両方が同時に起きることも あれば、片方だけ進むことも、どちらも起きないこともある。たとえば、一八一五年から一九 一四年までは急速な技術革新とグローバリゼーションが同時進行した時代だった。第一次世界 大戦からキッシンジャーが中国との国交を再開した一九七一年までは、テクノロジーが急速に 進歩した一方でグローバリゼーションはあまり進んでいない。一九七一年以来、グローバリゼ ーションは急速に進んだけれど、テクノロジーの進歩はほぼIT分野だけに隕られている。  このところのグローバリゼーションの進展から考えれば、今後数十年間で世界がより収斂し 同質化していくと想像してもおかしくない。日々の言葉遣いからも、テクノロジーの進歩が終 わりに近いと誰もが信じていることがうかがえる。たとえば、世界をいわゆる「先進国H発展を 終えた国」と「新興国H発展途上にある国」に分ける表現には、「先進国」に途上の余地はな く、貧しい国は先進国に追いつけばそれでいいという意味合いも感じられる。  だけどその思い込みは間違っている。先ほどの逆説的な質問への僕自身の答えは、「ほとんど の人はグローバリゼーションが世界の未来を左右すると思っているけれど、実はテクノロジー の方がはるかに重要だ」というものだ。今のままのテクノロジーで中国が今後二〇年間にエネ ルギー生産を二倍に増やせば、大気汚染が二倍になってしまう。インドの全世帯が既存のツー ルだけに頼ってアメリカ人と同じように生活すれば、環境は壊滅されてしまう。これまで富を 創造してきた古い手法を世界中に広めれば、生まれるのは富ではなく破壊だ。資源の限られた この世界で、新たなテクノロジーなきグローバリゼーションは持続不可能だ。  新しいテクノロジーが時間の経過とともに自然に生まれることはない。僕らの祖先は固定的 なゼロサム社会に生きていた。そこでの成功とは、他者から何かを奪うことだ。富の源泉はめ ったに生み出されず、普通の人が極限の生活から抜けだせるほどの富を蓄積することはできな かった。でも原始農耕から中世の風車、そして一六世紀の地球儀までの一万年にわたる断続的 な進化を経て、いきなり一七六〇年の蒸気機関の発明から一九七〇年頃までの間に、たて続け に新たなテクノロジーが発明されていく。そのおかげで、僕たちの世代はこれまでのどの世代 も想像できないほど豊かな社会を受け継ぐことになった。  といっても、両親と祖父母の世代は例外だった。一九六〇年代の後半にはまだ、このまま進 歩が続くはずだと考えられていた。週四日勤務、ただ同然の燃料、月旅行を楽しみにしていた。 でもそうはならなかった。スマートフォンで生活が変わったような気になっても、実は周囲の 環境は驚くほど昔と変わっていない。前世紀の半ばから劇的に進化したのはコンピュータと通 信だけだ。といっても、両親の世代がより良い未来を予想したことが間違っていたわけじゃな い。その未来が自動的にやって来ると考えたことが間違っていただけだ。ニー世紀をこれまで より平和な繁栄の時代にしてくれる新たなテクノロジーを思い描き、それを創り出すことが、今 の僕らに与えられた挑戦なのだ。      スタートアップ思考  新しいテクノロジーを生み出すのは、だいたいベンチャー企業、つまりスタートアップだ。政 治における建国の父から、科学における王立協会、ビジネスにおけるフェアチャイルドーセミコ ンダクターの「八人の反逆者」と呼ばれた創業メンバーまで、より良い世界を作ってきたのは、 使命感で結ばれた一握りの人たちだった。その理由はごく単純だ。大組織の中で新しいものは 開発しづらく、独りではさらに難しいからだ。官僚的な組織は動きが遅いし、既得権者はリス クを避けたがる。機能不全が極まった組織では、実際に仕事を片付けるよりも鋭意努力中だと アピールする方が昇進しやすい(もし君の会社がそうならば、今すぐ辞めた方がいい)。その対極に いる孤独な天才は、芸術や文学の名作を生むことはできても、ひとつの産業を丸ごと創造する ことはできない。スタートアップではチームで働くことが原則で、かつ実際に仕事をやり遂げ るにはそれを少人数にとどめる必要がある。  前向きに表現するなら、スタートアップとは、君が世界を変えられると、君自身が説得でき た人たちの集まりだ。新しい会社のいちばんの強みは新しい考え方で、少人数なら敏捷に動け ることはもちろん、考えるスペースが与えられることが大きな利点になる。本書は、これまで にないビジネスを成功させるために自らに問うべきこと、答えるべきことを提示するものだ。こ こに書いたことは、マニュアルでもなければ、知識の羅列でもない、考える訓練だ。なぜなら、 それがスタートアップに必要なことだから。従来の考え方を疑い、ビジネスをゼロから考え直 そう。  ―  I        一     一    !  −  − 1 11  。  f  一  ’    ―  r        −  S        I  I  I     ・  4            。  −         I  I i  一   ・  ―  ●  一     ヽ 一  一  。  一  l  f     S  ・  I  ・ ―  −  1  1  1  1 S  S  S  ・  ◆ ・ ―I ・ i−・ ―− 4  1『  ―  ―  ・’―・‘参I ・−  l  a  い  ″。  丶  I  一  ・   ■  −  一  一  I   F  卜  噛 ・ 一  I   S  I  申  舮  ・ I  ・  1  1   ・  一  ●  l     一  a  e  e  −   I  S  l  a  一 一  −  9 1  −  i   l  !  I  I      ●  I  I     ■  一  一  い・  − ・ −  一  一  一 I  I  ・        4  ●  I  ″ 一   a  ■  −  −  −−  !  ●  ・ I 枷― ― ■  一  一   a     l       ・ I ・   一  ・ r l “ !  。 ■ I I I I IIII・1 4  ・  一 ‘ f  l  φ       ・ 4  ● 四 I      ・ ■  S  ・     ・  ―  ―  ■   ゛  丶  `    J コ     コ 一 一 X J’ ご▽コココココココココ\    コ厂   ▽ 一 ▽一   コニニコココ▽コ    2 一九九九。のお祭り虫ぎ二二\\△八。。パバ厂。    二……………1 11」隹I ―癲イー乙騒 …………………     φ  4    4・ ・ ・  ●  ―  l  l・  。  S  I  I     I  e  l  。     S  嚀  一  −   l  l  S  一  ゛  I  ・  I  ・ ・  1・ 1・ ■  p  ”‘ 一 一  弗  」    口→ JJ  ‘   士゛ j卜  JJ  j    」  ●     !  ・  ″ ・       I  ●  一     I  I  I         一  I  I            e  I     I  −  一  4     一  一         I  I  哺  4  。    ・  e ハニ。          卜卜丁  丁一      。。7………一一。・。二入       ニー 。‐卜\卜  「賛成する人のほとんどいない、大切な真実とは?」この逆説的な質問にそのままズバリと答 えるのは難しい。そこで、前提から始めてみよう。誰もが賛成することはなんだろう? 「狂気 は個大にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代においては通例である」と ニーチェは(狂う前に)書いた。誰もが信じる幻想を見つけたら、その後ろに隠れているものが わかる。それが逆説的な真実だ。   まずは初歩的な原則を考えてみる。「企業は儲けるために存在する。損をするためではない」。 当たり前すぎるほど当たり前のことだ。でも、一九九〇年代の終わりにはそれほど当たり前で はなかった。どれほど大きな損を出しても、それはより明るく素晴らしい未来への投資とされ ていた。当時のいわゆる「ニューエコノミー」の常識では、収益というありふれた経済指標よ りも、ぺ1ジピューの方が権威ある先行指標とされていた。  時代遅れの「常識」は、振り返って初めていいかげんで間違っていたことがわかる。常識が 崩壊するとかならず、それは「バブル」だったと言われる。でも、バブルが引き起こした歪み は、バブルが弾けても消えない。九〇年代のインターネットーバプルは一九二九年の大恐慌以来、 最大の規模だった。その崩壊から学んだ苦い教訓が、今日のテクノロジーについての考え方を、 ほとんどすべての面で歪めている。だからまずは、過去についての思い込みを疑うことが、頭 の整理の第一歩になる。      九〇年代とはどんな時代だったのか  一九九〇年代にはいいイメージがある。華やかで楽観的なI〇年間で、たまたま最後にイン ターネットーバブルが来て崩壊したという印象だ。だけど実際には、九〇年代のかなりの期間は 思い込んでいるほど明るくはなかった。九〇年代の終わりに一八か月続いたドットコムヘの熱 狂のせいで、当時のグローバルな背景はすっかり忘れられている。  一九八九年一一月にベルリンの壁が崩壊した時の高揚感は、九〇年代の頭にはほぼ消えてい た。熱狂は長続きしなかった。一九九〇年の半ばまでにアメリカは不況に陥っていた。公式に は九一年三月に景気は底入れしたことになっていたものの、回復は遅く失業率は九二年七月ま で悪化し続ける。その後、製造業が完全に立ち直ることはなかった。サービス経済への転換は なかなか進まず、苦しい時期が続いた。  一九九二年から九四年末までは、社会全体に不安が漂っていた。ソマリアで命を落とすアメ リカ兵の姿がケーブルニュースで繰り返し映し出された。雇用がメキシコに流出するにつれ、グ ローバリゼーションとアメリカの競争力への懸念は高まった。こうした暗い情勢を背景にして、 四一代ブッシュ大統領は九二年の再選に破れ、ロスーペローが一般投票の二〇パーセントを獲得 した。二大政党以外の候補者としては、一九匸一年のセオドアールーズベルト以来の高い得票率 だった。ニルヴァーナやグランジやヘロインの流行も、希望や自信の表れとは言えない。  シリコンバレーにも停滞感が漂っていた。半導体戦争を制するのは日本かと思われた。イン ターネットは一九九二年まで商業的利用が制限されていたこと、また使い勝手のいいブラウザ がなかったことで、まだ本格的に普及していなかった。一九八五年に僕がスタンフォードに入 学した時、いちばん人気の専攻はコンピュータサイエンスではなく経済学だった。ほとんどの 大学生はテクノロジー業界を変わり者の集まりか、あか抜けない業界と見なしていた。  そのすべてを変えたのがインターネットだった。一九九三年四月にプラウザのモザイクが正 式発表され、誰でもオンラインにアクセスできるようになる。モザイクはネットスケープと改 名し、一九九四年の終わりにはナビゲーターを発表。ナビゲーターは一気に普及した。一九九 五年に二割だった市場シェアは、匸一か月もたたずにほぼ八割に達する。一九九五年八月、ま だ利益を出してさえいないネットスケープ社が上場を果たす。その株価は五か月で一四ドルか ら一六〇ドルまで高騰した。ほかのテクノロジー企業もブームを迎えていた。九六年四月に ヤフーが上場、八億四八〇〇万ドルの時価総額をつける。九七年五月にはアマゾンがそれに続 き、四億三八〇〇万ドルの時価総額をつけた。九八年の春までには、それらの株価がすべて四 倍以上になっていた。売上倍率や利益倍率が非インターネット企業に比べて高すぎると疑問を 唱える懐疑派もいた。市場が狂ったと考えても不思議はなかった。  けれど、市場がおかしいことは理解できても、結論はうやむやになった。九六年匸一月、バ ブル崩壊の三年以上も前、連邦準備制度理事会のアランーグリーンスパン議長は「根拠なき熱 狂」が「資産価格を過度に押し上げている」と警告していた。テクノロジー投資家は確かに熱 狂していたけれど、根拠がないとまでは言い切れなかった。当時、海外の雲行きが怪しくなっ ていたことは人々の記憶にあまり残っていない。  アジア通貨危機が起きたのは九七年七月。タイ、インドネシア、韓国経済は縁故資本主義と 莫大な対外負債にクビまで浸かっていた。続く九八年八月、恒常的な財政赤字で身動きの取れ なくなったロシアが通貨を切り下げ国債をデフォルトさせたことが、ルーブル危機につながる。 アメリカの投資家は一万個の核爆弾を保有する破綻国家に懸念を募らせた。ダウ平均は数日で 一〇パーセントを超える下落となる。  懸念は当然だった。ルーブル危機が引き金となって、アメリカを代表する高レバレッジの ヘッジファンド、ロングタームキャピタルマネジメント(LTCM)が破綻。LTCMは九八年 後半に四六億ドルの損失を出し、連邦準備制度理事会が超大型救済案をまとめ、システミックー リスクを回避するために金利を引き下げてもまだ、一〇〇〇億ドルを超える負債を抱えていた。 ヨーロッパの雲行きも怪しくなっていた。一九九九年一月に発足したユーロには、疑いと反感 が根強かった。取引初日にはIドルー九セントに値上がりしたものの、二年間で八三セントま で下げていた。二〇〇〇年の半ば、先進七か国の中央銀行はユーロを下支えするため大型の協 調介入を行なわなければならなかった。  一九九八年九月に始まってあっという間に弾けたドットコムーバブルの背景にあったのは、イ ンターネット以外に頼る場所のない世界だった。オールドエコノミーはグローバリゼーション に対応できなかった。何かがうまく行かなければ、そしてそれが大成功しなければ、明るい未 来はない。消去法でいくと、インターネットによるニューエコノミーに頼るしか道はなかった。      ドットコムーバブル ー九九八年九月−二○○○年三月  ドットコムーバブルは強烈かつ短命に終わる。一九九八年九月から二〇〇〇年三月までの、わ ずか一八か月の狂騒。それはシリコンバレーのゴールドラッシュだった。そこかしこに資金が 溢れ、大勢のにわか熱血起業家がそのカネに群がっていた。毎週数十社ものスタートアップが 競い合うように派手な立ち上げパーティーを開いていた(実際の成功を祝うパーティーはめったに なかったが)。ペーパー億万長者は大盤振る舞いで飲み食いを重ね、そのつけをスタートアップ の株式で支払おうとしたIそれが通用することさえあった。高給な仕事を捨て、起業したり スタートアップに転職したりする人間は後を絶たなかった。僕の知り合いの四〇代の大学院生 は、一九九九年に六つの会社を経営していた(普通なら四〇にもなってまだ大学院にいるなんて妙だ。 しかも一度に六つの会社を立ち上げるなんて、どう考えてもおかしい。だけど、九〇年代の後半には、それ を勝ち組だと信じる人たちもいた)。そんな狂騒が続かないことは誰にでもわかりそうなものだ。い わゆる「勝ち組」企業のほとんどは、成長すれ ばするほど損が出るという、ある種の逆ビジネ スモデルを抱えていたのだから。とはいえ、音 楽に合わせて踊っている人を責めるわけにはい かない。ドットコムという名がつけば価値が一 晩で倍になった時代には、そんな不合理こそが 合理的だった。      ペイパルに群がった投資家たち  ペイパルを経営していた一九九九年の終わり 頃、僕は相当にびびっていた。自分の会社を信 じていなかったからではなく、シリコンバレー では周りの誰もがなんでも手放しで信じている ように見えたからだ。右を向いても左を向いて も、誰もがいとも気軽に会社を立ち上げ、速攻で売却していた。まだ会社すら設立していない のに、自宅のリビングルームで上場を計画している知り合いもいた。しかも、それをおかしい とも思っていなかった。そんな中では、まともな振る舞いが奇妙に映った。  少なくとも、ペイパルには身の丈にあった、偉大な使命があった。バプル後だったら大言壮 語だと批判されそうな類いのものだ。僕たちはドルに代わる新たなインターネット通貨を創ろ うとしていた。最初に立ち上げたのは、パームパイロット間の決済サービスだ。だけど、この サービスは誰の役にも立たず、使ってみたのはこれを一九九九年の最悪なビジネスアイデア一…J 選に選んだジャーナリストくらいのものだった。当時パームパイロットはまだ珍しかったし、一 方で電子メールはすでに普及していたので、僕らはメール経由の決済サービスを開発すること にした。  一九九九年秋までには、メール決済サービスが順調に立ち上がり、サイトにログインすれば、 誰でも簡単に送金ができた。でもユーザーの数が足りず、成長スピードは遅く、出費は膨らん でいた。ペイパルを軌道に乗せるには、クリティカルマスとして最低一〇〇万ユーザーが必要 だった。広告は費用の割に効率が悪すぎた。大手銀行との提携話も立ち消えになっていた。そ こで金を払って加入してもらうことにした。  新規加入者にI〇ドルをキャッシュバックし、お友だち紹介にさらにI〇ドルを支払った。こ れで数十万の新規加入者を獲得し、成長は急加速した。もちろん、このやり方はいつまでも続 かない。金を払ってユーザーを獲得しているのだから、成長がうなぎ上りならコストもまたう なぎ上りだ。当時のシリコンバレーでは、狂ったように費用をかけるのが普通だった。そして、 僕たちはそれをおかしいとは思わなかった。大きなユーザーベースを獲得すれば、少額の決済 手数料で利益が出せるはずだ。  その目標に達するには、さらに資金が必要だった。バブルがいつか終わることもわかってい た。バブルが弾けても僕たちの使命を信じてくれる投資家がいるとは思えなかったので、でき るうちにと資金調達を急いだ。二〇〇〇年二月一六日、ウォールーストリートージャーナルは僕 たちのハイラルな成長戦略を賞賛し、ペイパルの価値を五億ドルと見積もる記事を載せた。主 要投資家はウォールーストリートージャーナルのラフな評価をお墨付きと受け止め、翌月に僕た ちは一億ドルを調達できた(それよりもまだせっかちな投資家もいた。ある韓国企業などは、交渉もせ ず轡類も交わさずにいきなり五〇〇万ドルを送りつけてきた。返金しようとしたが、口座を教えてくれなか った)。その二〇〇〇年三月の資金調達のおかげで僕たちはペイパルの成功に必要な時間を稼ぐ ことができた。僕たちが資金調達を終えると同時にバブルが弾けた。      バブルの苦い薬   二〇〇〇年になったとたんにパーティーは終   わるんだ!・ もう時間切れ!   だから今夜は一九九九年みたいに騒ごうぜ!   −プリンス  れスダックは二〇〇〇年三月半ばに五〇四ハポ イントの最高値を記録し、四月半ばには三三一二 ポイントまで暴落した。二〇〇二年一〇月に一一 一四ポイントの底値を打つ頃には、市場の崩壊は 九〇年代のテクノロジー楽観主義に対する天罰だ というのがもはや定説となっていた。「希望に溢れ た時代」は「狂った強欲の時代」として上書きさ れ、完全に終わったものと見なされた。  人は未来を誰にも予想できないものとして受け 入れるようになり、四半期ではなく数年先にしか評価の出ないような長期計画を立てる起業家 は変人と思われて相手にされなくなった。テクノロジーに代わってグローバリゼーションが未 来の希望になった。九〇年代の「れんがからクリックへ」の転換は期待外れに終わり、投資家 はふたたびブリック(住宅)とBRICS(グローバリゼーション)に戻っていった。それがまた 別のバブルを引き起こした。今度は不動産だ。  シリコンバレーに居残った起業家は、ドットコムーバブルの崩壊から四つの大きな教訓を学ん だ。それがいまだにビジネスを考える時の大前提となっている。 1 少しずつ段階的に前進すること 壮大なビジョンがバブルを膨張させた。だから、自分に 酔ってはいけない。大口を叩く人間は怪しいし、世界を変えたいなら謙虚でなければならない。 小さく段階的な歩みだけが、安全な道だ。 2 無駄なく柔軟であること すべての企業は「貼Iン」でなければならず、それはすなわち 「計画しない」ことである。ビジネスの先行きは誰にもわからない。計画を立てるのは傲慢であ り、柔軟性に欠ける。むしろ、試行錯誤を繰り返し、先の見えない実験として起業を扱うべき だ。 3 ライバルのものを改良すること 機が熟さないうちに新しい市場を創ろうとしてはならな い。本当に商売になるかどうかを知るには、既存顧客のいる市場から始めるしかない。つまり 成功しているライバルの人気商品を改良することから始めるべきだ。 4 販売ではなくプロダクトに集中すること 販売のために広告や営業が必要だとしたら、プ ロダクトに問題がある。テクノロジーは製品開発にこそ活かされるべきで、販売は二の次でい い。バブル時代の広告は明らかな浪費だった。ハイラルな成長だけが持続可能なのだ。  これらの教訓は、スタートアップ界の戒律となった。それを無視すると、二〇〇〇年の(イ テクーバブルの二の舞になると考えられている。でも、むしろ正しいのは、それとは逆の原則だ。 1 小さな違いを追いかけるより大胆に賭けた方がいい 2 出来の悪い計画でも、ないよりはいい 3 競争の激しい市場では収益が消失する 4 販売はプロダクトと同じくらい大切だ  テクノロジー業界にバブルが存在したことは事実だ。九〇年代の終わりは不遜の時代だった I人々はゼロをIにできると信じていた。だけど実際にそれができたスタートアップはあま りに少なかったし、多くが口だけに終わっていた。それでも、少ないリソースでより多くを生 み出す道を探さなければ未来はないと、みんなが感じていた。二〇〇〇年三月の市場の最高値 は明らかに狂気のピークだった。でもそれがもっと大切な、明確な目標を持った時代のピーク でもあったことに、多くの人は気づいていない。人々は遠い未来を見つめ、そこに確実に到達 するためにどれほどの価値ある新しいテクノロジーが必要かを見極め、それを創り出す能力が 自分たちにはあるのだと判断していた。  僕たちは今も新たなテクノロジーを必要としているけれど、それを手に入れるには一九九九 年的な尊大さと熱気が少しはあっていいのかもしれない。次世代の企業を築くには、バブル後 に刷り込まれた教義を捨てなければならない。ただし、すべてを逆にすればうまくいくという わけでもない。イデオロギーを否定したところで、群衆の狂気から逃れられるとは限らない。む しろ、こう自問するべきだ。ビジネスについて、過去の失敗への間違った反省から生まれた認 識はどれか。何よりの逆張りは、大勢の意見に反対することではなく、自分の頭で考えること だ。           ド              ☆   一          一  一                                         【  ・    ご 幸福な企業ま口△  レ   \    】  レ 厂    `゛         ゛’                  C 厂厂厂   厂厂コ    匸’\”’          匸  T「みなそれぞれに違う 〈  ノ〈    四    I      丶  一          S  I                         ■  I          I             −                       ■   I  I  I  一     一  丶          S  I  ・                  I  −            一  一                                        眇  例の逆説的な質問をビジネスに当てはめるとこうなる。「誰も築いていない、価値ある企業と はどんな企業だろう?」この質問もまた見かけより難しい。というのも、大きな価値を生み出 すだけなら、企業自体が価値ある存在でなくても可能だからだ。企業は価値を創造するだけで なく、創造した価値の一部を社内にとどめなければならない。  つまりこういうことだ。事業規模が巨大でも、ダメな企業は存在する。たとえば、アメリカ の航空会社は数百万の乗客を運び、金額にすると毎年数千億ドルもの価値を創造している。で も二〇匸一年には、平均の片道運賃一七ハドルのうち、航空会社の取り分はわずか三七セント だった。グーグルの創造する価値はそれより少ないけれど、自社の取り分ははるかに多い。二 〇匸一年、グーグルは五〇〇億ドルを売り上げ(航空会社は一六〇〇億ドルを売り上げている)、そ のニーパーセントを利益として計上している。それは、同じ年に航空業界が上げた利益率のI 〇〇倍以上にもなる。グーグルの収益性は極めて高く、現在の時価総額は、アメリカの航空会 社合計の三倍にものぼる。  航空会社はお互いがライバルだけれど、グーグルにはそうした相手がいない。経済学者はそ の違いを説明するのに単純化された二つの図式を使う。完全競争と独占だ。  「完全競争」は、経済学の教科書において理想的なデフォルトの状態とされている。いわゆる 完全競争市場とは、需要と供給が一致し、均衡状態に達した市場だ。ここでは企業間の差別化 は存在せず、売り手はまったく同一の製品を販売している。どの企業も市場への影響力はなく、 市場が価格を決定する。利益機会が生じると、新規企業が参入し、供給が増えて価格が下がる ため、参入者の目論んだ利益機会は消滅する。参入企業の数が増えすぎると損失が生まれ、一 部の企業が撤退することで価格はもとに戻る。完全競争下では長期的に利益を出す企業は存在 しない。  完全競争の反対が独占だ。完全競争下の企業が市場価格を強いられる一方で、独占企業は市 場を支配しているため自由に価格を設定できる。競争がないので、独占企業は生産量と価格を 調整して利益の最大化を図る。  経済学者から見ると、独占企業はどれも同じに見える。不正にライバルを蹴落としていよう が、国から既得権を得ていようが、イノベーションによってトップに登ろうが、変わらない。本 書では、不法に他社を妨害する企業や政府のお抱え企業について触れるつもりはない。「独占企 業」と言う場合、それは他社とは替えがきかないほど、そのビジネスに優れた企業という意味 だ。グーグルは、ゼロからIを生んだ企業の好例だろう。マイクロソフトとヤフーを完全に引 き離した二〇〇〇年代のはじめから、検索分野でグーグルにライバルはいない。  アメリカ人は競争を崇拝し、競争のおかげで社会主義国と違って自分たちは配給の列に並ば ずにすむのだと思っている。でも実際には、資本主義と競争は対極にある。資本主義は資本の 蓄積を前提に成り立つのに、完全競争下ではすべての収益が消滅する。だから起業家ならこう 肝に銘じるべきだ。永続的な価値を創造してそれを取り込むためには、差別化のないコモディティー ビジネスを行なってはならない。      まことしやかな嘘  では実際に、世の中はどれだけ独占されているのだ ろう? どこまでが真の競争市場だろう? ここまで、 と言い切るのは難しい。というのも、この話題につい ては一般的に多くの誤解がある。外から見ると、どの 会社も似通っていて、あまり違いがないように見える からだ。  でも、現実には二極化がはるかに進んでいる。完全 競争と独占の間には天と地ほどの差があって、ほとん どの企業は僕たちが思うよりも、どちらか一方に偏っ ている。  なぜ誤解があるかというと、どちらのタイプの企業 も自分たちに都合のいいように市場環境を語る傾向が あるからだ。独占企業も競争企業も、真実を曲げる方 が都合がいい。  独占企業の嘘  独占企業は自分を守るために嘘をつく。独占を吹聴 すれば、監査や詮索や批判を招いてしまうからだ。何 がなんでも独占利益を守り続けるために、どんな手を 使ってでも独占を隠そうとする。その常套手段は、存 在しないライバルの力を誇張することだ。  グーグルが自分たちのビジネスをどう語っているか を考えてみよう。もちろん自分から独占を認めること はない。だけど実際はどうだろう? 答えは見方によ って変わる。つまり、どの分野の独占か、ということ だ。仮に、グーグルは検索エンジン企業だということ にしよう。二〇一四年一月時点で、グーグルは検索市 場の六ハパーセントを支配している(二番手、三番手の マイクロソフトとヤフーはそれぞれ一九ハーセントとI〇パ ーセントだ)。それでもまだ独占ではないと思うなら、 「グーグル」はオックスフォード英語辞典に 正式な動詞として載っていることを考えて ほしい。ピンクがそうならないことは火を 見るより明らかだ。  では次に、グーグルは広告会社だと考え てみよう。すると構図が変わる。アメリカ の検索広告市場の年間規模は一七〇億ドル だ。オンライン広告全体では三七〇億ドル になる。アメリカ国内の広告市場は一五〇 〇億ドル。全世界の広告市場は四九五〇億 ドルだ。だから、グーグルがアメリカの検 索広告を完全に独占したとしても、グロー バルな広告市場でのシェアは三・四ハーセン トとなる。この構図からは、グーグルが競 争市場の小さなプレーヤーに見える。  今度は、グーグルを多角的テクノロジー 企業と見たらどうなるだろう? そう見てもあながち的外れじゃない。グーグルは検索エンジ ンのほかにも、多くのソフトウェア、自動運転車、アンドロイド携帯、ウェアラブルコンピュータ などを開発している。しかし、売り上げの九五パーセントは検索広告によるものだ。二〇匸一 年の「その他製品」の売り上げは二三億五〇〇〇万ドルで、消費者向けテクノロジー製品はそ のほんの一部にすぎない。グローバルなコンピュータ製品の市場規模は九六四〇億ドルなので、 グーグルのシェアは〇・二四パーセントに満たない。独占どころか、プレーヤーとも言えない レベルだ。テクノロジー企業の一社として自分を位置づければ、グーグルは余計な関心を引か ずにすむ。  競争企業の嘘  非独占企業は反対の嘘をつくI「この市場には自分たちしかいない」と。起業家はたいて い競争範囲を甘く見積もりがちで、スタートアップにとってはそれが命取りになる。彼らは自 分の市場を極端に狭く限定し、まるで自分たちが市場を支配しているかのように考えたがる。  たとえば、パロアルトでイギリス料理のレストランを開店するとしよう。「誰もやってないか ら」というもっともな理由からだ。これなら、市場を「独占」できる。ただし、それは市場が イギリス料理に限定されるならという話だ。実際の市場はパロアルトのレストランすべてだと したら? パロアルトだけではなく近郊のレストランもすべて入るとしたらどうだろう?  こうした質問に答えるのは難しい。でも、こうした問いを発しないとしたら、もっと問題だ。 新しいレストランのほとんどがI、二年以内に潰れると聞けば、オーナーはまず、自分のレス トランだけは違う理由を見つけようとする。自分だけは特別だと周囲に納得させることに時間 を使い、それが事実かどうかを真剣に考えようとしない。だけど、一旦立ち止まって、世界中 のどんな料理よりもイギリス料理が好きな人が、本当にパロアルトにいるのかを考えてみるべ きだ。いないという可能性だって充分にあるのだから。  二〇〇一年、僕とペイパルの仲間たちは、マウンテンビューのカストロ街でしょっちゅう昼 食を食べていた。インド料理、お寿司、ハンバーガーといった中で、まず何にするかを決める。 種類が決まると、その中でさらに多くの選択肢がある。北インドか南インドか、カジュアルか フォーマルか、などだ。地元のレストラン市場とは対照的に、メール決済サービスを提供する 企業は世界中でペイパルだけだった。カストロ街のレストランより従業員数は少なかったけれ ど、地元のレストランをすべて合わせたよりも企業価値は高かった。南インド料理のレストラ ンを開いても、なかなかお金は儲からない。おばあさん秘伝のレシピで作ったナンがいくらお いしいからといっても、競争の現実に目を向けず、ささいな差別化に力を注ぐだけでは、生き 残りは難しい。  クリエイティブ業界にも同じことが言える。自分の作品を古い企画の焼き直しだと認める脚 本家はいない。「さまざまなエキサイティングな要素をまったく新しい形で組み合わせた映画」 として売り込むはずだ。しかもそれは本当かもしれない。たとえば、「サイバーネット」と「ジ ョーズ」を足して二で割ったものにジェイ・Zが出演するとしよう。エリートのハッカー集団 にラップスターが加わって、友だちを殺したサメを捕まえる映画だ。確かにこれまでにないも のになる。ただ、パロアルトにイギリス料理店がなくてもいいように、そんな映画もなくてい いだろう。  非独占企業は、さまざまな小さな市場が交差する場所を自分たちの市場と位置付けることで、 自社の独自性を誇張する。   イギリス料理「」 レストラン (‥ パロアルト   ラップスター (‥ サイバーネット (‥ ジョーズ  反対に、独占企業は自分たちの市場をいくつかの大きな市場の総和と定義づけることで、独 占的地位をカモフラージュしている。   検索エンジン U 携帯電話 U ウェアラブルコンピュータ   コンピュータ ‥)自動運転車  独占企業は、実際にどんな総和のストーリーを語っているのだろう? グーグル会長のエリ ックーシュミットは二〇一一年の議会聴聞会で、こう証言していた。    消費者が情報へのさまざまなアクセス手段を持つ、極めて厳しい競争環境に私たちは直   面しています。  平たく言うと、こういう意味だ。    グーグルは大きな池の中の雑魚にすぎません。いつ誰かに飲み込まれてもおかしくない   のです。政府に目をつけられるような独占企業ではありません。      追い詰められた人たち  競争的なビジネスには、利益が出ないことよりも大きな問題がある。仮に、君がマウンテン ビユーでレストランを経営しているとしよう。同じようなレストランが数多くある中で、必死 に闘わなければ生き残れない。利の薄い手頃な値段の店では、おそらく従業員に最低賃金を払 うのが精一杯だろう。少しの無駄も許されない。だから、小さなレストランではおばあさんが レジを務め、子どもたちが厨房で皿を洗っている。高級レストランなら楽かといえば、そうで もない。ミシュランに代表される評価やレビューによって競争はさらに激化し、シェフたちは 狂気に駆り立てられる(ミシュランの三ツ星を獲得したフランス料理のシェフ、ペルナールーロワソーは こう言ったそうだ。「星をひとつでも無くしたら自殺する」。ミシュランは評価を変えなかったが、別のガイ ドブックが彼のレストランを格下げしたため、ロワソーは命を絶った)。競争的な生態系は人々を追い 詰め、死に追いやることもある。  グーグルのような独占企業は違う。ライバルを気にする必要がないため、社員やプロダクト や広い社会への影響を考える余裕がある。グーグルのモットーは「邪悪になるな」だ。それは プランティンクの一種だとはいえ、潰れることなど考えずに倫理について真剣に考える余裕が あるという証しでもある。カネのことしか考えられない企業と、カネ以外のことも考えられる 企業とでは、ものすごい違いがある。独占企業は金儲け以外のことを考える余裕がある。非独 占企業にその余裕はない。完全競争下の企業は目先の利益を追うのに精一杯で、長期的な未来 に備える余裕はない。生き残りを賭けた厳しい闘いからの脱却を可能にするものは、ただひと っI独占的利益だ。      独占的資本主義  独占がその中にいる人たちにとっていいことはわかった。では外の人たちにとってはどうだ ろう? 莫大な利益は社会の犠牲の上に成り立っているのでは? 答えはイエス。利益は消費 者の財布から来るもので、独占企業は責められて当然だ。ただし、そう言えるのは世界がまっ たく変化しない場合だけだ。  変化のない世界では、独占企業はショバ代を徴収する存在でしかない。市場を独占すれば、自 由に価格を上げることができる。買い手に選択肢はない。卓上ゲームのモノポリーと同じだI プレーヤーによって打つ手は変わっても、ボードは変わらない。プレーヤーがより優良な不動 産を開発できるわけでもない。不動産の相対価格は決まっていて、プレーヤーはそれを買い取 ることしかできない。  一方、現実の世界は常に変化しているI僕たちは新しいものやより良いものを発明するこ とができる。クリエイティブな独占企業は、まったく新しい潤沢な領域を生み出すことで、消 費者により多くの選択肢を与えている。クリエイティブな独占は社会に役立つだけじゃない。そ れはより良い社会を作る強力な原動力になっている。  政府でさえ、そのことを認識している。だからこそ、独占企業を取り締まる一方で(独占禁止 法違反を訴追して)、独占を生み出すための政府機関が存在する(発明を特許で守る)。携帯アプリ のデザインを最初に思いついたからといって、それに法的保護を与えていいかは疑わしい。で も、弓yOコQのデザイン、生産、マーケティングによって生み出されたアップルの独占的利益は、 社会に潤沢さをもたらした見返りであって、人為的に作られた稀少性から得られたものでない ことは明らかだ。消費者は、高い値段を払っても欲しいと思えるスマートフォンを選ぶ自由を 手に入れたのだから。  新たな独占が起こるそのダイナミズムを見れば、過去の独占がイノベーションを阻害してい ないことがわかる。アップルのIOSがリードするモバイルーコンピューティングの台頭で、マ イクロソフトの長年にわたるOS市場の独占は大きく崩れた。それ以前に、六〇年代と七〇年 代のIBMによるハードウェアの独占を奪ったのはマイクロソフトによるソフトウェアの独占 だった。AT&Tは二〇世紀のほとんどの間、電話市場を独占していたけれど、今では誰でも 数ある通信会社の中から安い携帯プランを選ぶことができる。もし独占企業に進歩を妨げる傾 向があるなら、独占は危険だし、それに反対するのはもっともだ。でも、進歩の歴史とは、よ り良い独占企業が既存企業に取って代わってきた歴史なのだ。  独占は進歩の原動力となる。なぜなら、何年間、あるいは何十年間にわたる独占を約束され ることが、イノベーションへの強力なインセンティブとなるからだ。その上、独占企業はイノ ベーションを起こし続けることができる。彼らには長期計画を立てる余裕と、競争に追われる 企業には想像もできないほど野心的な研究開発を支える資金があるからだ。  では、なぜ経済学者は競争を理想的な状態だと説くのだろう? それには歴史的な経緯があ る。経済学の数式は一九世紀の物理学の理論をそのまま模倣したものだ。経済学者は、個人と 企業を独自の創造者ではなく、交換可能な原子と見なす。経済理論が完全競争の均衡状態を理 想とするのは、モデル化が簡単だからであって、それがビジネスにとって最善だからじゃない。 一九世紀の物理学が予測した長期均衡とは、すべてのエネルギーが均等に分布し、あらゆるも のが静止した状態−いわゆる宇宙の熱的死だ。熱力学をどう考えるかはさておき、これは強 烈な喩えで、ビジネスにおいて均衡は静止状態を意味し、静止状態は死を意味する。競争均衡 にある業界では、一企業の死はなんの重要性も持たない。かならず同じようなライバルがその 企業に替わるからだ。  宇宙のほとんどを占める真空は完全均衡によって説明できるだろう。多くのビジネスにも、そ れが当てはまるかもしれない。でも、新しい何かが創造される場は、均衡とはほど遠い。経済 理論の当てはまらない現実世界では、他社のできないことをどれだけできるかで、成功の度合 いが決まる。つまり、独占は異変でも例外でもない。独占は、すべての成功企業の条件なのだ。  トルストイは「アンナーカレーニナ」の冒頭にこう綴った。「幸福な家族はみな似かよってい るが、不幸な家族はみなそれぞれに違っている」。企業の場合は反対だ。幸福な企業はみな違っ ている。それぞれが独自の問題を解決することで、独占を勝ち取っている。不幸な企業はみな 同じだ。彼らは競争から抜け出せずにいる。  万」   ” 五          ∠ 二匸゛   卜士大 。コト≒厂。∠ 。コ≒¨ −  卜   I  I  I ‘  ト ー ゛ ゛「   卜` ……厂………一……… ……→「一」。∠厂厂コ……。一。犬丿厂大。ミ。≒≒≒ 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っていても、大学では同じく優秀な学生がコンサルティングや投資銀行といった、いわゆる一 流の就職先を目指してしのぎを削る中に埋没してしまう。みんなと同じになるために、学生(あ るいはその家族)は、インフレ以上に値上がりを続ける、何万ドルもの学費を支払っている。な ぜ僕たちはそんなことをしているのだろう?  僕自身、若い時にそう自問しておくべきだった。僕は決まりきった道を歩んだ。八年生のア ルバムに僕が飛び級してスタンフォードに入るだろうと書いた同級生の予想は的中し、僕は四 年後にスタンフォードに二年生として入学した。大学でも良い成績を取り、スタンフォードロ ースクールに入学し、そこでいわゆる「成功」を目指してさらに激しく競い合った。  ロースクールの学生の世界で何を一等賞と見なすかは定かでないけれど、何万人という卒業 生の中で最高裁の法務事務官になれるのは数十人だ。僕は連邦控訴裁判所の法務事務官を一年 務めたあと、ケネディ判事とスカリア判事の事務官の面接に呼ばれた。どちらの面接もうまく いった。最後の競争に勝つまであと少しだった。もし最高裁の法務事務官になれたら、人生安 泰だと思っていた。でも、僕はなれなかった。その時は死ぬほど落ち込んだ。  ペイパルを売却した後の二〇〇四年、以前に事務官への就職活動を手助けしてくれたロース クール時代の友人に偶然出くわした。ほぼI〇年ぶりだった。彼の挨拶は「元気かい?」でも 「しばらくぶりだな」でもなかった。ニヤリと笑ってこう言ったのだ。「ピーター、事務官にな らなくて良かったな」。振り返って初めて言えることだけれど、究極の競争に勝っていたら僕の 人生は悪い方向に変わっていたことを、彼も僕も認めていた。もし最高裁の法務事務官になっ ていたら、おそらく証言を録音したり他人の事業案件の草案を書いたりして一生を過ごしてい ただろう。新しい何かを創り出すことはなかったはずだ。どれほど違っていたかはなんとも言 えないけれど、その機会損失は莫大なものになっていただろう。      戦争と平和  大学教授は学問の世界の熾烈な競争を軽く扱うが、ビジネスマンはビジネスを戦争にたとえ るのが好きでたまらないようだ。MBAの学生はクラウゼヴィッツや孫子の本をいつも抱えて いる。ビジネス用語は戦争の比喩だらけだ。「ヘッドハンター」を使って、セールス「部隊」を 築き、「捕 虜市場」を奪取して、「大儲けする」などと言う。だけど、戦争に似ているのは、 ビジネスではなく競争の方だ。競争は必要だと言われ、勇敢なことだとされるけれど、結局は 破壊を招く。  なぜ人は競争するのだろう? マルクスとシェイクスピアは、それぞれの見方で世の中のほ とんどすべての対立を理由づけている。  マルクスは、人は違いがあるから閥うのだという。労働者がブルジョアと闘うのは、考え方 や目標がまったく違うからだ(物質的環境の差からその違いが生まれるとマルクスは考えた)。違いが 大きいほど溝も深い。  シェイクスピアは逆に、競い合う人々の間にあまり違いなどないという。そもそも闘う理由 などなく、なぜ闘っているのか当事者もわからない、と。『ロミオとジュリエット』の冒頭のセ リフを思い出してほしい。「二つの家族はいずれも同じく誇り高い」。両家は似ているが、お互 いを憎みあっている。抗争が激しさを増すと、どちらもますます似てくる。最後には、争いの きっかけがなんだったのかさえ忘れている。  少なくともビジネスの世界は、シェイクスピアの説により近い。社員は出世のためにライバ ルとの競争に執着するようになる。企業もまた、市場の競合他社に執着する。そんな人間ドラ マの常として、人は本質を見失い、ライバルばかりを気にするようになる。  シェイクスピアの物語を現実に当てはめてみよう。「ロミオとジュリエット」をもとにした 「ゲイツとシュミット」という戯曲を思い浮かべてほしい。モンタギュー家がマイクロソフトで、 キャピュレット家がグーグルだ。どちらもアルファギークが統率する名家で、似たもの同士だ からこそ衝突する運命にある。  すべての悲劇がそうであるように、衝突が避けられなかったというのは後づけでしかない。実 際には、避けられないはずはない。両家の出自はまったく違う。モンタギュー家はオペレーテ ィングーシステムとオフィスーアプリケーションの開発。キャピュレット家は検索エンジン。ど こに闘う必要があるだろう?  もちろん、闘う理由はたくさんある。スタートアップ時代には、お互い敵のことなど気にせ ず自分の一族が繁栄していれば満足だった。でも拡大するにつれ、相手を意識し始める。モン タギュー家はキャピュレット家を目の敵にし、キャピュレット家はモンタギュー家を目の敵に した。その結果は? ウィンドウズ対クロームOS、ピンク対グーグル、エクスプローラー対 クローム、オフィス対ドックス、サーフェス対ネクサスだ。  モンタギュー家とキャピュレット家の抗争で彼らが子どもを失ったように、マイクロソフト とグーグルの闢いで両者は市場の支配力を失ったIアップルがやってきて支配的地位を奪っ たのだ。二〇匸二年一月、アップルの時価総額が五〇〇〇億ドルにのぼったのに対し、グーグ ルとマイクロソフトは両社合わせて四六七〇億ドルだった。ほんの三年前には、マイクロソフ トもグーグルも、それぞれ一社でアップルよりも大きかったのに。戦争は高くつくものだ。  競争心が高じると、僕たちは昔の成果を過大に評価し、過去の成功をやみくもにコピーし始 める。今、巷にはモバイル用のクレジットカードリーダーが溢れている。二〇一〇年一〇月、 スクエアが、S冫OコQにつないでクレジットカードをスワイプするだけで決済を可能にする、白 い小さな正方形のカードリーダーを発売した。スマートフォン用の決済ソリューションとして は初めての、よく出来た製品だった。だけど、たちまち後発企業が同じような製品を続々と発 売する。ネットセキュアというカナダ企業は半月形のカードリーダーを発売。インテュイット は筒形リーダーで参戦。二〇匸一年三月にはイーペイ傘下のペイパルがオリジナル製品を発売 した。その三角の形は、四角への対抗心の表われだった。このシェイクスピア的な競争は、使 う形がなくなるまで続くのではないかと思える ほどだ。  今日のシリコンバレーで、人付き合いの極端 に苦手なアスペルガー気味の人間が有利に見え るのは、ひとつにこうした模倣競争が不毛だか らだろう。空気を読めない人間は、周囲の人と 同じことをしようとは思わない。ものづくりや プログラミングの好きな人は、ひとり淡々とそ れに熱中し、卓越した技能を自然に身につける。 そのスキルを使う時、普通の人と違ってあまり 自分の信念を曲げることもない。だから、わか りやすい成功につられて周囲の大勢との競争に 捕らわれることもない。  競争は、存在しないチャンスがあるかのよう な妄想を抱かせる。九〇年代にはオンラインの ペットストア市場をめぐって熾烈な闘いが繰り 広げられた。ペッツードットコム対ペットストアードットコム対ペットピアードットコム対その 他もろもろの似たようなサイトの闘いだ。全員がライバルを倒すことにこだわっていた。それ はサイト間にほとんど違いがなかったからだ。誰が犬のおしゃぶりを最安値で販売できるか、最 高のスーパーボウル広告を出すのはどの会社かといった小手先の課題にしか目を向けず、オン ラインのペット用品市場にいることが本当に正しいかどうかと俯瞰する視点を完全に失ってい た。負けるよりは勝った方がいいけれど、戦争自体に闘う価値がなければ、全員が負ける。ネ ットーバブルが崩壊して、ペッツードットコムが破綻すると、三億ドルの投下資本が消えた。  競争心は時に奇妙で、邪魔になることもある。オラクルの創業CEO、ラリー・エリソンと、 エリソンの右腕と言われ、その後ジーベルシステムズを創業したトムーシーペルの間にも、シェ イクスピア的な対立があった。エリソンはジーベルの裏切りに腸が煮えくり返っていた。ジー ベルはエリソンの影武者であることに我慢ならなかった。二人は双子のようだった。どちらも シカゴ出身の熱血漢で、売り込みを愛し、負けず嫌いだった。だからこそ、お互いへの憎しみ は深かった。エリソンとジーベルはお互いを妨害することに九〇年代の後半を費やした。ある 時エリソンはトラック一台分のアイスサンドをジーベルの本社に送りつけ、社員に転職を勧め ようとした。アイスサンドの包みには、こんなコピーがあった。「夏は近い。オラクルがやって きた。あなたの一日とキャリアを輝かせるために」  おかしなことに、オラクルは意図的に敵を作っていた。エリソンの説によると、敵がいるの はいいことだった。ただし、それが脅威に見えるほど大きな相手(それが社員をやる気にさせるほ どの大きさ)でありながら、実際には脅威にならないくらいの規模ならば、というわけだ。だか ら、一九九六年にインフォミックスという小さなデータペース企業が、レッドウッドーショアー ズのオラクル本社の近くに「要注意‥恐竜横断中」と書かれた看板を掲げた時、エリソンはお そらく大喜びしたはずだ。インフォミックスの看板は101号線の上り方向にもあった。そこ には「運転中の皆さま、只今レッドウッドーショアーズを通過。私たちもパスしました」とあっ た。  オラクルもまた、インフォミックスのソフトウェアがかたつむりより遅いと言わんばかりの 看板広告で対抗した。インフォミックスCEOのフィルーホワイトはこの闘いを個人攻撃と受け 取った。ラリー・エリソンが日本の武士道好きであると知ると、オラクルのロゴに割れた刀を 組み合わせた新しい看板を作らせた。この広告は、一般消費者に訴求するものでないことはも ちろん、企業としてのオラクルを狙ったものでもなかった。エリソンへの個人攻撃だったのだ。 だが、ホワイトはライバルに気を取られすぎたようだ。彼が看板作りに忙しくしている間に、イ ンフォミックスに大がかりな不正会計疑惑が発覚し、ホワイト自身もまもなく虚偽報告で懲役 に服することになった。  ライバルを倒せないなら、合併した方がいい。僕は一九九八年にマックスーレヴチンとコンフ ィニティを創業した。僕たちが一九九九年後半にペイパルというサービスを始めると、 イーロンーマスクのXドットコムがすぐに後を追いかけてきた。彼らのオフィスも、パロアルト のユニバーシティアベニュー沿いの僕らから四ブロックしか離れてない場所にあり、彼らのプ ロダクトは僕たちを完璧にコピーしたものだった。その年末には、僕たちは臨戦態勢に入って いた。コンフィニティ社員の多くは週一〇〇時間勤務で臨んだ。まったく非生産的な闘いだっ たけれど、客観的な生産性など問題じゃなかった。Xドットコムを打ち負かすことだけが目的 だった。あるエンジニアは、実際に爆弾を設計したほどだ。彼がチームミーティングでその案 を説明すると、さすがに冷静になろうという声が上がり、そんなことを考えるのは睡眠不足の せいだろうということになった。  だけど、二〇〇〇年二月になると、イーロンも僕もお互いのことより急激に膨れ上がった八 イテクーバブルの方が恐ろしくなってきた。市場が崩壊すれば、争いに決着をつける前にどちら も潰れてしまう。そこで、三月のはじめに僕たちはお互いのオフィスのちょうど中間地点にあ るカフェで落ち合い、フィフティーフィフティの合併を交渉した。合併後もライバル心を抑え るのは簡単ではなかったけれど、それはどちからといえばありがたい悩みだった。僕たちはひ とつのチームとしてネットーバブルの崩壊を乗り切り、その後ビジネスを成功させた。  時には闘わなければならないこともある。そんな時には、闢って勝たなければならない。中 間はない。ひとつもパンチを出さないか、思い切り殴って素早く決着をつけるかのどちらかし かない。  そうわかっていても、プライドと名誉が邪魔をしてなかなかできないものだ。だから、ハム レットはこう言った。   儚き命も将来も、運命と死の危険に   曝そうとしているのだ。それも   卵の殼ほどの問題のために! 真の偉大さとは、   大義がなければ微動だにしないが、   名誉が関わるとなれば、たとえ藁しベー本のためにも、   命をかけて立ち上がることだ。 〔一照弘吋″鸚8  ハムレットにとって、偉大さとは、卵の殼ほどささいだとしても正義のために闘うことだっ た。誰しも大切なことのためには闘うけれど、大切なことでなくても真剣に闘うほど名誉を重 んじるのが、真の英雄というわけだ。もちろん、人間なら誰しもこんなねじれた部分があるけ れど、ビジネスではそれが取り返しのつかないことになる。競争は価値の証しではなく破壊的 な力だとわかるだけでも、君はほとんどの人よりまともになれる。クリアになったその頭で、次 章では、独占企業をどう創るかについて考えてみよう。      .. .j       ド       ...一( .    匸{‐.        .ヅ.      一 {一‐1      .....     で..ミJ      一四皿   一 .}…………11二1 1=∠厂ノ………・=厂二入………一…………パバー=‘ぺ‘…………\‐レ匸………」=ノ1 1=‘▽ノヶぺ」1 ‐二………⊃▽一一……………゛一・’\‘犬 一ニト ト」……’ ...二二 .・. 一く..1. . ....、.………. .......一..、.......→..‥...‥……...........}………....−−…….匸↓………→...一一..−..‐..−……...……......………‘………’………}・j。・’・‐‐−………‘…….’・・‘   ’一  一  一    ・ ・  ・ ・ ’・ ・   ・  ・  ・ ・・ 一 ・ ・  ・  一 . t・ ・  ・   ・  f 1‐一一  ’  ・  ‘ .一 ・ ・        ・  ・     ‘ ・t  あ    一 ・‐一 ‐一   二ト 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ディスカウントーキャツシユフローを比べれば、低成長企業と高成長スタートアップの違いが はっきりとわかる。低成長企業の価値の大半は短期のキャッシュフローからくる。新聞のよう なオールドエコノミーが企業価値を保ち続けられるとしたら、現在のキャッシュフローを五、六 年間維持できる場合だけだ。でも市場に似たような代替物がある場合、競争によって利益は吹 き飛ぶ。ナイトクラブやレストランはその極端な例だ。今は稼げていたとしても、より新しく トレンディな場所に人が流れれば、今後数年でキャッシュフローはおそらく先細るだろう。  テクノロジー企業は反対の軌跡を描く。最初の数年はたいてい持ち出しになる。価値あるも のを作るには時間がかかり、売り上げは後にならなければ生まれないからだ。テクノロジー企 業の価値のほとんどは、少なくともI〇年から一五年先のキャッシュフローからきている。  二〇〇一年三月、ペイパルにはまだ利益がな かったものの、売り上げは年率一〇〇パーセン トで伸びていた。将来のキャッシュフローを予 測すると、ペイパルの現在価値の四分の三は二 〇一一年以降の利益からきていることがわかっ たI立ち上げてからわずか二七か月の会社と しては信じがたいことだった。ただし、実際に はこの予測さえも控え目すぎたことになる。ペ イパルは今も年率およそ一五パーセントで成長 し、割引率もI〇年前より低くなった。現在の 企業価値のほとんどは二〇二〇年以降のキャッ シュフローから生まれている。  リンクトインは遠い未来に企業価値が存在す る企業の好例だ。二〇一四年はじめの時点でそ の時価総額は二四五億ドルだった。二〇匸一年 の売り上げはI〇億ドルに満たず、純利益がわ ずかニヱ(○万ドルしかない企業にしては、極 めて大きな時価総額だ。この金額を見ると、株 主が正気を失ったと思うかもしれない。でも、リ ンクトインの将来のキャッシュフロー予測を考 えれば、このバリュエーションは納得できる。  未来の利益がどれほど大きな価値を占めるか は、シリコンバレーにいても直観的に理解でき るわけではない。価値ある企業となるには、成 長するだけでなく存続しなければならないのに、 多くの起業家は短期的な成長しか見ていない。彼 らには言い訳があるI成長は測りやすいけれ ど、存続性は測りにくい。なんでも計測しなけ れば気がすまない人たちは、週ごとのアクティ ブユーザー数、月ごとの売上目標、四半期ごと の利益報告に執着する。でも、そうした目標を 達成しても、ビジネスの存続をおびやかすよう な、数字に表われない深い問題を見逃すこともある。  たとえば、ジンガとグルーポンは短期間に急成長したために、経営陣も株主も長期的な課題 から目をそらしてしまった。ファームピルなどのゲームが初期に大当たりしたジンガは、新製 品の訴求力を厳格に評価する「心理測定システム」があると吹聴した。でも結局、ハリウッド のスタジオと同じ壁1どうしたら気まぐれな消費者に受ける作品をコンスタントに出しつづ けられるかIに突き当った(誰にもわからない)。グルーポンは、何十万店という地域商店がサ ービスを試すにつれて急速に拡大した。でも、こうした商店をリピーターにするのは思ったよ りも難しかった。  短期成長をすべてに優先させれば、自問すべき最も重要な問いを見逃してしまうI「この ビジネスはI〇年後も存続しているか」というものだ。数字はその答えを教えてくれない。む しろ、そのビジネスの定性的な特徴を客観的に考えてみる必要がある。      独占企業の特徴  遠い未来に大きなキャッシュフローを生み出すのは、どんな企業だろう? 独占企業はそれ ぞれに違っているけれど、たいてい次の特徴のいくつかを合わせ持っている。プロプライエタリー テクノロジー、ネットワーク効果、規模の経済、そしてブランドだ。  といっても、これらは、起業の際に「やるべきこと」のリストではないI独占への近道は 存在しない。それでも、この特徴に従って自分のビジネスを分析することが、存続可能な企業 を作るのに役立つはずだ。  I プロプライエタリーテクノロジー  プロプライエタリーテクノロジーは、ビジネスのいちばん根本的な優位性だ。それがあれば、 自社の商品やサービスを模倣されることはほとんどない。たとえば、グーグルのアルゴリズム は、他社より優れた検索結果を生み出している。ビジネスの核となる検索エンジンの信頼性と 盤石さに加えて、グーグルはスピードの速い検索結果表示と確度の高い検索ワードの自動候補 表示というプロプライエタリーテクノロジーを併せ持っている。二〇〇〇年はじめにグーグルが ほかの検索エンジン企業を引き離したのと同じようにグーグルを引き離すことは、ほぼ不可能 に近いだろう。  確かな経験則から言えるのは、プロプライエタリーテクノロジーは、本物の独占的優位性をも たらすようないくつかの重要な点で、二番手よりも少なくともI〇倍は優れていなければなら ないということだ。それ以下のインパクトではおそらくそこそこの改善としか見なされず、特 にすでに混みあった市場での売り込みは難しい。  一〇倍優れたものを作るには、まったく新しい何かを発明するのがいちばんだ。それまでま ったく何もなかったところで価値あるものを作れば、価値の増加は理論的には無限大となる。た とえば、眠らなくてもよくなる安全な薬や、禿げをなくす薬は、確実に独占ビジネスとなるだ ろゝつ。  または、既存のソリューションを劇的に改善してもいい。一〇倍の改善ができれば、競争か ら抜け出せる。たとえば、ペイパルはイーペイでの取引を少なくともI〇倍は改善した。小切 手を送れば七日からI〇日はかかるところを、ペイパルは買い手がオークション終了後直ちに 支払いができるようにした。売り手も即座に代金を受け取ることができ、小切手と違って不渡 りになることもない。  アマゾンはとりわけ目に見える形で、いきなりI〇倍の改善を果たしたIほかの書店より も少なくともI〇倍の書籍を揃えていたのだ。一九九五年にオープンした時、アマゾンは「地 球上最大の書店」と謳うことができた。一〇万冊の書籍を抱えるリアルな書店と違い、アマゾ ンには物理的な在庫を抱える必要がない。ユーザーからの注文の都度、サプライヤーに発注す るだけだ。そのあまりの効率の良さに、アマゾンの実体は「ブローカー」なのに「書店」と名 乗るのは不正だとして、バーンズ&ノーブルはアマゾン上場の三日前に訴訟を起こしたほどだ った。  包括的な優れたデザインによっても、一〇倍の改善が可能になる。二〇一〇年以前、タブレ ットはまったく実用的でなく、市場も存在しなかった。マイクロソフトは二〇〇二年にウィン ドウズXPタブレットPCエディションを出荷し、ノキアは二〇〇五年にインターネットタブ レットを発売したものの、ほとんど使いものにならなかった。その後、アップルがJtQaを世に 出した。デザイン改善のインパクトを正確に計測することはできないけれど、これまでに世に 出たどんなタブレットをも完全に凌駕するものをアップルが生み出したことは明らかだった。夕 ブレットは「売れない」ものから「役立つ」ものに変わった。  2 ネットワーク効果  利用者の数が増えるにつれ、より利便性が高まるのがネットワーク効果だ。たとえば、友だ ちみんながフェイスブックを使っていれば、自分もフェイスブックを使うのが理にかなってい る。誰も使わないソーシヤルーネットワークを選ぶのは変人だけだ。  ネットワーク効果は強い影響力を持ちうるけれど、そのネットワークがまだ小規模な時の初 期ユーザーにとって価値あるものでない限り、効果は広がらない。たとえば、一九六〇年にザ ナドウという風変わりな会社が、すべてのコンピュータをつなぐ双方向のコミュニケーション ネットワークの開発に乗り出した。ある種のワールドワイドウェブの初期バージョンとも言え るようなものだ。三〇年間虚しい努力をつづけたザナドウが事業を畳んだのは、ちょうどウェ ブが普及し始めた時だった。ユーザー規模が大きければおそらく成功していたはずだけれど、逆 に規模がなければ決して成功しないビジネスだったとも言える。すべてのコンピュータが同時 にネットワークに加入することが必要で、それはあり得なかった。  矛盾するようだけれど、ネットワーク効果を狙う企業は、かならず小さな市場から始めなけ ればならない。フェイスブックはハーバードの学生だけの間で始まった。マークーザッカーバー グの最初の目的は同級生全員を加入させることで、全世界の人口を狙ったわけではなかった。ネ ットワーク事業を成功させた人たちのほとんどがMBAタイプではないのはそのせいだI初 期の市場が小さすぎて、そこに事業チャンスがあるようには見えないのだから。  3 規模の経済  独占企業は規模が拡大すればさらに強くなる。プロダクトの開発に関わる固定費(エンジニア リング、経営管理、家賃)は販売量の拡大にしたがって分散される。ソフトウェアのスタートア ップは、販売増加にかかる限界費用がほぼゼロに近いため、劇的な規模の経済の恩恵を受けら れる。  多くの企業にとって、規模の拡大によるメリットは限定的だ。サービス業では特に独占は難 しい。たとえば、ヨガスタジオを経営している場合、顧客の数は限られる。インストラクター を雇ったり、店舗を増やしたりして拡大することはできても、利益率はかなり低くとどまり、ソ フトウェアのエンジニアと違って、いくら才能のある講師陣を集めても、数百万人のクライア ントに価値を提供するほどの規模に達することはない。  規模拡大の可能性を最初のデザインに組み込むのが、優良なスタートアップだ。ツイッター のユーザー数は、今の時点で二億五〇〇〇万を超えている。さらなるユーザーの獲得に多くの カスタム機能を加える必要はなく、成長が止まりそうな内的な要因はない。  4 プランティンク  ブランドとは、そもそも企業に固有のもので、強いブランドを作ることは独占への強力な手 段となる。今いちばん強いテクノロジー・ブランドはアップルだ。」で70コQやKQnOoo″の魅力 的な外観と慎重に選ばれた素材、アップルストアの垢抜けたミニマリスト的デザインと顧客体 験への厳格なコントロール、いたるところに見かける広告キャンペーン、ハイェンドメーカー としての価格設定、そして今も残るスティーブージョプズのカリスマ性といったすべてが、アッ プル製品を独自のカテゴリとして位置づけている。  これまでに多くの大がアップルの成功から学ぼうとしてきた。独自の広告戦略、ブランドス トア、高級素材、注目されるプレゼンテーション、高価格、そしてミニマリスト的デザインで さえ、すべてを模倣することはできる。でも、そうやって表面を磨き上げても、その下に強い 実体がなければうまくはいかない。アップルは、ハードウェア(優れたタッチスクリーン素材)と ソフトウェア(特殊素材用に特別にデザインされたインターフェース)の両方で、一連の複雑なプロ プライエタリーテクノロジーを有している。大量生産によって、材料価格も支配できる。その上、 コンテンツの生態系を通して強力なネットワーク効果を享受できる。数億人のアップルユーザ ーを狙って数万の開発者がアプリを開発し、豊富なアプリがあるのでユーザーはアップルのプ ラットフォームを離れない。アップルの一連の独占的優位性は偉大なブランドの陰に隠れてい るけれど、アップループランドによる独占を強化しているのは、こうした本質なのだ。  本質よりブランドから始めるのは危険だ。マリッサーメイヤーは二〇匸一年半ばにヤフーのC EOに就任して以来、かつて一世を風靡したインターネットの巨人をふたたびクールに見せる ことで、生き返らせようとしている。ヤフーはメイヤーの戦略を、「まず大、それからプロダク ト、それからトラフィック、そして売り上げへ」の連鎖反応だとツイードしている。大はクー ルな場所に集まる。ヤフーはロゴの改変でデザインへの意識を表現した。人気のスタートアッ プ、タンブラーの買収で若々しさを訴えた。メイヤー自身の存在感でメディアの関心を集めた。 でも、何より大切なのは、ヤフーが実際にどんなプロダクトを生み出すかだ。アップルに戻っ たスティープージョブズは、アップルをクールな職場にしようとしたわけじゃない。製品群を絞 り込み、一〇倍の改善を望める少数のプロダクトに集中した。プランティンクだけではテクノ ロジー企業は築けない。      独占を築く  ブランド、規模、ネットワーク効果、そしてテクノロジーのいくつかを組み合わせることが、 独占につながる。ただし、それを成功させるには、慎重に市場を選び、じっくりと順を追って 拡大しなければならない。  小さく始めて独占する  どんなスタートアップもはじまりは小さい。どんな独占企業も市場の大部分を支配している。 だから、どんなスタートアップも非常に小さな市場から始めるべきだ。失敗するなら、小さす ぎて失敗する方がいい。理由は単純だ。大きな市場よりも小さな市場の方が支配しやすいから だ。最初の市場が大きすぎるかもしれないと感じたら、間違いなく大きいと思った方がいい。  小さいことと存在しないことは違う。僕たちは初期のペイパルでそこを間違えた。僕たちの 最初のプロダクトはパームパイロット経由の決済サービスだった。それはユニークなテクノロ ジーで、ほかにプレーヤーはいなかった。ただ、世界中の数百万のパームパイロットユーザー は地域もパラパラで、共通点もほとんどなかった。しかもたまにしかパームパイロットを使っ ていなかった。僕たちのプロダクトは誰にも必要とされず、ユーザーは見つからなかった。  この経験から学んだ僕たちは、イーペイのオークションに狙いを定め、そこで最初の成功を 収めた。一九九九年の後半、イーベイは取引量の多い数千人の「パワーセラー」を抱えていて、 たった三か月の集中的な売り込みの結果、その四分の一が僕たちのサービスを利用してくれた。 バラバラの数百万ユーザーの関心を求めて争うよりも、僕たちのプロダクトを本当に必要とす る数千人に訴求する方がずっと簡単だった。  スタートアップが狙うべき理想の市場は、少数の特定ユーザーが集中していながら、ライバ ルがほとんどあるいはまったくいない市場だ。大きな市場はいずれも避けるべきだし、すでに ライバルのいる大きな市場は最悪だ。起業家が1000億ドル市場のIパーセントを狙うと言 う場合は常に赤信号だと思った方がいい。実際には、大きな市場は参入余地がないか、誰にで も参入できるため目標のシェアに達することがほとんど不可能かのどちらかだ。たとえ小さな 足がかりを得たとしても、生き残るだけで精一杯になるだろう。壮絶な競争から利益が出るこ とはない。  規模拡大  ニッチ市場を創造し支配したら、次は関連する少し大きな市場に徐々に拡大してゆくべきだ。 アマゾンはそのお手本と言える。ジェフーベソスは創業時からすべてのオンライン小売市場を支 配するというビジョンを持っていたけれど、極めて意図的に、まず本から始めた。書籍なら何 百万タイトルでもカタログ化できるし、ほとんどすべてが同じ形状なので発送しやすい上に、書 店が在庫を抱えたがらないような稀少本こそ最も熱心なユーザーを呼びこむことができる。書 店から遠くに住んでいる人や、稀少本のファンにとって、アマゾンはなくてはならない存在と なった。そこからアマゾンには二つの選択肢があったI書籍のユーザー数を拡大するか、周 辺市場に拡大するかだ。アマゾンは後者を選び、本にいちばん近い市場から始めた。CD、ビ デオ、ソフトウェアだ。アマゾンは徐々にカテゴリを拡大し、ついには世界一のデパートにな った。その社名自体が、この拡大戦略をうまく捉えている。アマゾンの熱帯雨林の生物多様性 は、世界中のすべての本をカタログ化するという設立時の目標を思わせるし、今では世界中の すべてのものをカタログ化することの象徴となっている。  イーベイもまた、小さなニッチ市場を支配することから始めた。一九九五年にオークション のマーケットプレイスを立ち上げた時点で、はじめから全世界を狙う必要はなかった。ビーニ ーペイピー・コレクターのような、熱心なコアユーザー向けのサービスで成功を収めることが できた。ピーニーペイビー取引の市場を支配したあとも、イーペイはスポーツカーや工業製品 の市場には手を出さなかった。引き続き、ちょっとした素人コレクターを開拓し、最終的にど んなアイテムを取引する人にとっても、最も信頼できるオンラインのマーケットプレイスとな った。  規模拡大には隠れた障害が存在することもあるI最近イーペイが学んだことだ。マーケッ トプレイスすべてに言えることだけれど、オークション市場もまた、自然に独占が生まれやす い。買い手は売り手の集まる場所に行くし、売り手も買い手の集まる場所に向かうからだ。で も、オークションモデルが成功するのはコインや切手といった特殊なアイテムの市場に限られ る。コモディティではあまりうまくいかない。鉛筆やクリネックスに入札する人はいないし、そ れならアマゾンで買った方がいい。イーベイは今も重要な独占企業であることに変わりはない。 ただ、二〇〇四年に予想されたよりも少し小さいだけだ。  正しい順序で市場を拡大することの大切さは見過ごされがちで、徐々に規模を拡大するには 自己規律が必要になる。大成功している企業はいずれも、まず特定のニッチを支配し、次に周 辺市場に拡大するという進化の過程を創業時から描いている。  破壊しない  シリコンバレーは、いつからか「破壊」にこだわるようになった。もともと、「破壊」という 言葉は、新たなテクノロジーを使って低価格商品を開発し、それを次第に改善して最終的に古 いテクノロジーを使った既存企業の高価格市場まで奪ってしまうことを指していた。PCがメ インフレーム市場を「破壊」した時が、ほぽそうだったI当初PCはたいした脅威と思われ なかったのに、その後市場を支配した。現在のPCに対するモバイルデバイスにも、同じこと が起きるかもしれない。  でも今は、「破壊」という言葉がトレンディで新しい見かけのものを何でも指す自己満足的な パスワードに変わっている。一見ささいなこの流行は、起業家の自己認識を競争志向へと歪め る点で問題だ。これは既存企業への脅威を表わすために提唱された概念で、スタートアップが 破壊にこだわることは、自分自身を古い企業の視点で見るようなものだ。君が自分をダークフ ォースと閔う反乱軍だと見なせば、必要以上に敵を意識することになりかねない。本当に新し いものを作りたいなら、古い業界を意識するより、創造に力を注ぐ方がはるかに有益だ。実際、 既存企業との対比で語られるような会社はまったく新しいとは言えないし、おそらく独占企業 にはなれないだろう。  また、破壊は注目を集める。破壊者は自分から進んで問題を起こすタイプの人間だ。問題児 は校長室に送られる。破壊的な企業は勝てない喧嘩を売ってしまう。ナップスターがいい例だ I社名自体がトラブルを思わせる。「ナップ」から何が連想されるだろう? 音楽、子ども、 せいぜいそんなところだ。一九九九年にI〇代でナップスターを立ち上げたショーンーファニン グとショーンーパーカーは、巨大な音楽産業を破壊すると豪語していた。翌年二人はタイム誌の 表紙を飾る。それから一年半後、彼らは破産法廷にいた。  ペイパルも破壊的に見えたかもしれない。でも大企業に直接挑戦しようとしたわけじゃない。 インターネット決済を浸透させたことでV・lsaの取引の一部を奪ったのは事実だ。店でVi saカードを使う代わりに、オンラインの買い物でペイパル決済をする人もいるからだ。でも、 僕たちが決済の市場全体を拡大したことで、V・−saは損よりはるかに得をしているはずだ。ナ ップスターがアメリカのレコード業界にしかけたような、市場全体が損をする闘いとは違って、 僕らの場合は市場全体が潤った。周辺市場に拡大する計画を練る時には、破壊してはならない。 できる限り競争を避けるべきだ。      ラストムーバーになる  ファーストムーバー・アドバンテージ、先手必勝とよく言われる。市場に最初に参入すれば、 ライバルのいない隙に大きな市場シェアを握れるという意味だ。でも、先手を打つのは手段で あって目的ではない。本当に大切なのは将来キャッシュフローを生み出すことであって、君が 最初の参入者になっても、ライバルがやってきてその座を奪われたら意味がない。最後の参入 者になる方がはるかにいい1つまり、特定の市場でいちばん最後に大きく発展して、その後 何年、何十年と独占利益を享受する方がいいということだ。そのためには、小さなニッチを支 配し、そこから大胆な長期目標に向けて規模を拡大しなければならない。少なくともこの点に 関していえば、ビジネスはチェスに似ている。チェスのグランドーマスター、ホセーラウルーカ パブランカはこう言った。勝ちたければ「何よりも先に終盤を学べ」。 しン……卜二…….匚ご回回一し……厂.一 ……‥一・..| リべしご∠ ∠∠∠.’ \’∠………卜匸‘ ∠しI……ご二……ココ回二ごココし≒ご≒コ回ノフ回∵‘ごニノ回一ニノ……一・゛・‘.」’‐`一一1 1一‐ 1’・’  .ミ‘・’ f・’…‘・”  で几・  −  ・匸ニ    ド匸・ ’・・しこ二万: y・・・.’・.・ ………   コ△一   コニニコ  ココ一 匸ニニ 二千T  ロレトニ匸卜八 匸一   ミ  コ ト 厂”’回∇コ   ト 厂 万 }乎烝 ヽ 7ふンや一 :`ぶ癶\バT卜………∠」{ ∠   「6111…人生は宝ク・ヽじゃ£じ▽ ‐‐ 二万………で/・」 ……】`’   「一で゛‘’゛……… 」I !よく」  ゛’」4‐.」−L゛……匸1 」よJ‘‐‐.]1‐・ 八「 ……’X T゛回厂一゛………」一’.`.{一}一″ ……一「 回厂一しご………t’・‘ ご 一二回 ……゛一 回ご゛一二气                                   匸一 二二   匸匸\コ▽コ一 コ’    匸」一   八    /匸卜\厂   .一三回 レ上十ン匸 匸  ‘コ   止回二・ ・コ匸\コ   \シ ー             土一  ’         ・匸・  J  二卜・ L二 ご  ビジネスでいちばん意見が分かれるのが、成功は運か実力かという問題だ.  成功している人はどう言っているだろう? 成功者を描き続けることで自身も成功している 作家のマルコムーグラッドウェルは著書「アウトライヤー」で、成功は「チャンスと才能の幸運 なめぐり合わせ」だと書いている.ウォーレンーバフェットが自分を「幸運なDNAクラブの一 員」で、「当たりくじを握って生まれた」と言ったのは有名だ.ジェフーペソスはアマゾンの成 功を「惑星直列のような珍しい現象」で「運が半分、タイミングが半分で残りが頭脳」だと冗 談めかして言った。ピルーゲイツは「たまたま生まれつきある種のスキルがあった」とまで言っ ている。でも、そんなことが本当にありえるだろうか。  彼らの謙虚さはおそらく戦略的なものだ。連続起業家が世に存在するということは、成功 が単なる運とも言い切れない。数百万ドル規模のビジネスを複数立ち上げた起業家は何百人も いる。中でもスティーブージョブズ、ジャックードーシー、イーロンーマスクは数十億ドル企業 を複数生み出してきた。成功がほぽ運によるものだとしたら、こうした連続起業家はおそらく 存在しないはずだ。  二〇匸二年一月、ツイッターとスクエアの創業者ジャックードーシーは、二〇〇万人のツイッ ター・フォロワーに向けてこうつぶやいた。「成功は決して偶然じゃない」  反応は一様に否定的だった。そのツイートを記事で取り上げたアトランディック誌のアレク シスーマドリガル記者は、思わずこう返信しそうになったらしい。「『成功は決して偶然じゃな い』と言うのは、億万長者の白人男性ばかりだ」。すでに成功を収めた人たちが、その人脈、資 金、経験を使って新しいことを始めやすいのは本当だ。それでも、計画通りに成功したという 意見を、世間は軽く見すぎていないだろうか?  この論争を客観的に結論づける方法は、残念ながらないI企業は実験ではないからだ。た とえばフェイスブックの成功について科学的な答えを出そうと思ったら、時計を二〇〇四年に 巻き戻し、一〇〇〇通りの世界を作ってフェイスブックを立ち上げ、それが何度成功するかを 実験しなければならない。そんなことはもちろん不可能だ。起業の状況はみな違うし、どんな 会社も始まりはI度きりだ。サンプルがひとつしかなければ統計に意味はない。  ルネサンスから啓蒙時代、二〇世紀半ばにいたるまで、幸運とは自らが引き寄せ、支配し、操 るものとされていたI自分ができることを行ない、できないことに目を向けるべきではない と考えるのが当たり前だった。ラルフーウォルドー・エマーソンはその精神をこう表わした。「浅 はかな人間は運を信じ、流れを信じる。強い人間は因果関係を信じる」。一九二一年、世界で初 めて南極点に到達したロアールーアムンゼンはこう書き残している。「完璧な準備のあるところ に勝利は訪れる。大はそれを幸運と呼ぶ」。不運が存在しないわけではないけれど、昔の大たち は努力によって幸運が訪れると信じていた。  人生が運に左右されると信じているなら、なぜ君は本書を読んでいるのだろう? スタート アップが宝クジを当てた人の物語だと思うなら、学ぶ意味はない。スロットマシン入門書は、当 たりが出るお守りや、当たりそうな台を見分けるコツは教えてくれても、どうしたら勝てるか を教えてくれるわけじゃない。  ピルーゲイツは単に知性の宝クジを当てただけだろうか? シェリルーサンドバーグは銀のス プーンをくわえて生まれたのだろうか、それとも「リーンーイン」に努めたのだろうか? こう した議論での「幸運」は過去形だ。でも、はるかに重要なのは未来がどうなるかだ。それは偶 然や運命で決まるのだろうか?      未来はコントロールできるか?  未来は明確な姿を持つとも考えられるし、未来の姿はぼんやりと霞んで見えないものだとも 考えられる。明確なものだとするなら、前もってそれを理解し、そう形作るよう努力すること は理にかなっている。だけど、遠い未来が偶然に支配されているならば、コントロールしよう としても無駄だと諦めてしまってもおかしくない。  未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。 本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定 石に従ってさまざまな選択肢を寄せ集めたポートフォリオを作る。それが現在のアメリカだ。中 学校では、さまざまな「課外活動」にいそしむよう勧められる。高校では、野心のある生徒は 自分を万能に見せようとさらに競い合う。大学生になる頃には、一〇年をかけて多様な経験を あれこれ寄せ集め、まったく先の見えない未来に備えているというわけだ。「何が起きても大丈 夫」と言いながら、具体的な備えは何もない。  逆に、未来は明確だという考え方に立てば、確固たる信念を持つ方がいいはずだ。あれもこ れも中途半端に追いかけて「万能選手」になるより、いちばんいいと思うことを決め、それを 実行するべきだ。必死にみんなと同じことをするより、本当に身のあること、自分がいちばん になれることに力を注ぐ方がいい。今の若い人はそうじゃない。というのも、ずいぶん以前か ら周りの人間が明確な世界を信じなくなっているからだ。それに、スポーツ推薦でもない限り、 ひとつのことに秀でていてもスタンフォードには入れない。  未来は現在より良くなっているとも、悪くなっているとも予想できる。楽観的な人は未来を 待ち望み、悲観的な人は未来を恐れる。こうした可能性を組み合わせると、四つの見方に分け られる。  あいまいな悲観主義  栄華のはかなさを伝える逸話は古今東西にあるし、歴史を通してほぼすべての人々は悲観的 だった。今でも悲観的な見方が世の中の圧倒的多数を占めている。あいまいな悲観主義者は暗 い未来を予想するけれど、それにどう対処するかについてはお手上げの状態だ。一九七〇年代 のはじめからずっと、方向性の定まらない官僚制度に流されてきたヨーロッパがそうだ。今で はユーロ圏全体が停滞の危機にあり、リーダー シップをとる人間もいない。欧州中央銀行は応 急処置に終始している。アメリカ財務省は「神 の名のもとに」通貨を供給し、欧州中央銀行も 同じようにつけを後にまわしている。ヨーロッ パ人は問題が起きてからしか対応しないし、こ とが悪化しないようにただ祈るだけだ。あいま いな悲観主義者は、避けようのない衰退がすぐ に起きるか後で起きるか、破壊的か段階的かを 知る由もない。それまでの間にできることとい えば、とりあえず飲んだり食べたり楽しんだり することぐらいだ。だからヨーロッパ人は長い バケーションに執着する。  明確な悲観主義  明確な悲観主義者は、未来を知ることは可能 だと思っていて、かつその未来が暗いために備えが必要だと感じている。意外かもしれないけ れど、中国人は今日おそらく世界で最もはっきりとした悲観主義者だろう。アメリカ人なら、中 国経済の恐るべき成長スピードを見て(二〇〇〇年以来、毎年一〇パーセント)、中国は未来に対し て自信満々に違いないと思うかもしれない。でも、それはアメリカ人がいまだに楽観的だから で、その楽観主義を中国に投影しているからなのだ。中国にしてみれば、どんなに成長しても まだ足りない。中国以外のすべての国は中国が世界を乗っ取ることを恐れている。そうならな いことを恐れているのは中国だけだ。  中国がこれほど速く成長できるのは、出発点が低いからだ。中国にとって、成長へのいちば んの近道は、欧米でうまくいったことをすべてそのままコピーすることだ。それが今まさに起 きているI石炭をガンガン燃やし、工場や高層ビルを建て続けることで、明確な計画を実行 しているのだ。それでも、膨大な人口によって資源価格が高騰し、中国人の生活水準がいつま でたっても豊かな国々に追いつくはずがないことを、中国人は知っている。  だからこそ、中国首脳は常に状況の悪化に目を光らせている。共産党首脳部は全員、子ども の頃に飢餓を経験していて、未来を見る時には最悪のケースを頭に描いている。国民もまた、冬 が来ることを知っている。外国人は、中国が生み出す莫大な富に惹かれるけれど、裕福な中国 人が必死で資金を海外に逃避させていることはあまり知られていない。貧乏な人々はすべてを 貯蓄に回し、それでなんとか生き伸びることを願うだけだ。中国ではどんな社会階層の人でも、 未来を死ぬほど真剣に捉えている。  明確な楽観主義  明確な楽観主義者は、自らの計画と努力によって、よりよい未来が訪れると信じている。一 七世紀から一九五〇年代と六〇年代までは、明確な楽覬主義者たちが欧米を率いていた。科学 者、エンジニア、医師、ビジネスマンが、かつてないほど世界を豊かに、健康に、長寿にした。 カールーマルクスとフリードリッヒーエングルスは一九世紀の資本家階級をこう見ていた。    【ブルジョア階級は】過去のすべての世代を合計したよりも大量の、また大規模な生産諸   力を作り出した。自然力の征服、機械装置、工業や農業への化学の応用、汽船航海、鉄道、   電信、全大陸の耕地化、河川の運河化、圸から湧いたように出現した全人ローこれほど   の生産諸力が社会的労働のふところのなかにまどろんでいたとは、以前のどの世紀が予感   しただろうか? 「韶雑鷁」畆詒。〕  この時代の発明家やビジョナリーたちは常に、前の世代を超える成果を上げていた。一八四 三年、ロンドン市民はテムズ川の下に掘られたトンネルを初めて渡った。一八六九年、スエズ 運河ができ、喜望峰を経由せずにユーラシアを航海できるようになった。一九一四年、パナマ 運河の開通により、これが大西洋と太平洋を結ぶ最短ルートとなった。アメリカ人は世界中の 誰よりも遠い未来を確実で明るいと考え、大恐慌でさえそれを止めることはできなかった。一 九二九年にエンパイアステートビルが着工され、一九三一年に完成。一九三三年にはゴールデ ングートブリッジが着工され、一九三七年に完成した。一九四一年にマンハッタン計画が始ま り、一九四五年までに世界初の核爆弾を生み出した。アメリカは戦後も世界を再構築し続けた。 一九五六年に建設が始まった州間高速道路は、一九六五年までに二万マイルに達した。明確な 未来への計画は地球の外へも向かう。一九六一年にはNASAのアポロ計画が始まり、一九七 二年の終了までに匸一人の人間が月に到達した。  大胆な計画を持っていたのは政治家や政府のお抱え科学者だけではない。一九四〇年代には、 カリフォルニアに住むジョンーリーバーという人物がサンフランシスコのベイエリア全体の景観 を描き直す試みを始める。学校教師であり、アマチュア演劇のプロデューサーでもあったりI バーは、独学でエンジニアリングを学んでいた。経歴のなさにひるむことなく、ベイエリアに 二つの巨大ダムを造る計画と、飲料水と灌漑用の巨大な貯水湖の建設を市に提案し、二万エー カーの埋め立て用地を請求した。リーバー個人にはなんの権限もなかったが、人々はその計画 を真剣に受け止めた。カリフォルニアのすべての新聞が社説でこの計画を支持。議会は実現可 能性についての聴聞会を開いた。陸軍工兵隊が、市の対岸にあるサウサリートの倉庫に丁五 エーカーの模型を作ったほどだった。結局、技術的な難点が見つかったために、計画は実行さ れなかった。  今の時代に、そんなビジョンを真剣に受け止める大がそもそもいるだろうか? 一九五〇年 代、人々は大胆な計画を歓迎し、実行できるかどうかを検討していた。今、そんな壮大な提案 を教師がしたところで変わり者だと一蹴され、もっと影響力のある大が長期ビジョンを囗にす れば大げさだと冷やかされるだけだ。そのサウサリートの倉庫には当時の模型が残されている けれど、今ではただの観光名所でしかないI数々の未来への壮大な計画が、今では過去の遺 物になっている。  あいまいな楽観主義  一九七〇年代の短い悲観的な局面のあと、一九八二年以降は右肩上がりの相場の中で工学に 代わって金融が未来を切り開くものとされ、あいまいな楽観主義がアメリカ人の心を占めるよ うになった。あいまいな楽観主義者は、未来は今より良くなると思っていても、どんな姿にな るのかを想像できず、具体的な計画を立てることはない。彼らは未来に何かいいことがあると 期待しているものの、それを具体的にデザインする必要を感じていない。  あいまいな楽観主義者は、何年もかけて新製品を開発する代わりに、既存のものを作り直そ うとする。銀行家は既存企業の資本構成を変えることで利益を得ようとする。弁護士はありき たりな論争を解決したり、誰かの事案の立て直しを助けたりする。プライペートーエクイティの 投資家と経営コンサルタントは、新事業を立ち上げるより継続的な改善によって既存企業の効 率を少しでも上げようとする。勝ち馬を追いかけるアイビーリーグ出身者がこうした仕事に群 がるのも無理はない。二〇年間も経歴重視を刷り込まれた彼らが、確実に選択肢を広げてくれ るプロセス重視のエリートキャリアを追いかけるのは当然だ。  最近の大学生の親たちはみな、子どもたちが社会的に認められた道を歩むように背中を押し ている。右肩上がりの発展を当たり前に享受してきたベビーブーマーは、あいまいな楽観主義 者の世代となった。一九四五年、五〇年、五五年に生まれていれば、一八歳になるまで、自分 とはまったく関係なく生活は良くなっていった。何もしなくてもテクノロジーはどんどん進歩 するかに見え、ペビーブーマーたちは大きな期待を抱いて成長した。でも、その期待を実現す るための具体的な計画を持つ人はほとんどいなかった。一九七〇年代になってテクノロジーの 進歩が一段落すると、収入格差の増大によってほとんどのエリートたちは救われた。金持ちや 成功者は、大人になるごとに年々自動的に生活が良くなっていった。それ以外のベビーブーム 世代は取り残されたものの、今の世論を構成する裕福なベビーブーマーたちは自分たちの甘い 楽観主義に疑問を持つことはなかった。既成のキャリアで自分たちが成功できたのだから、子 どもたちもそれでうまくいかないはずがないと思い込んでいる。  マルコムーグラッドウェルは、ビルーゲイツの幸運な生い立ちを理解しなければ、その成功も 理解できないと言う。ビルーゲイツはいい家庭に育ち、コンピユータラボのある私立学校に通い、 幼なじみにはポールーアレンがいた。同じように、マルコムーグラッドウェルのベビーブーマー としての生い立ち(彼は一九六三年生まれだ)を理解しなければ、おそらく彼のことを理解できな いだろう。ベビーブーマーが成長して誰かの成功の理由を本に書くようになると、ただ運が良 かっただけだと言うようになる。でも、そう考えてしまうもっと大きな社会的要因を、彼らは 見逃している1つまり、彼らの世代は、偶然の力を過大評価し、計画の大切さを過小評価す るよう、子どもの頃から刷り込まれてきたということだ。グラッドウェルは一見、叩き上げの 実業家が存在するという神話への逆説を掲げているように見える。でも、実際は彼の世代の通 説を述べているにすぎない。      あいまいで楽観的な僕たちの世界  あいまいな金融  具体的で楽観的な未来には、水中都市を設計したり、惑星移住を計画するエンジニアが必要 になるはずだ。でも、あいまいで楽観的な未来には銀行家や法律家が重宝される。どうやって 富を創り出すか皆目わからない時に唯一利潤を上げる金融は、あやふやな未来にぴったりの業 界だ。ロースクールに行かない優秀な学生がウォール街に向かうのは、まさしく具体的な将来 の計画がないからだ。そしてゴールドマンーサックスに入社すれば、金融業界にいてもすぺてが あやふやだとわかる。未来はまだ明るいI負けると思えば市場で勝負しないはずだIただ、 「ランダムさ」こそ市場の基本原則だ。専門的なことや本質的なことは分からないのだから、分 散投資こそが何より重要になる。  金融のあいまいさは奇妙ともいえる。成功した起業家が会社を売却するとどうなるかを考え てみよう。そのカネをどう使うだろう? 金融化された世界では次のようになる。  ・創業者はカネの使い道がわからず、大きな銀行に預ける。  ・銀行はどう投資していいかわからず、機関投資家のポートフォリオに広く分散させる。  ・機関投資家はどう運用していいかわからず、株のポートフォリオに広く分散させる。  ・企業は投資を控えてフリー・キャッシュフローを増やすことで株価を上げようとする。そ   して、使い道に困って配当を出すか、自社株買いを行ない、このサイクルが繰り返される。  このサイクルのどの時点においても、実体経済の中でお金の使い道がわかっている人はいな い。それでも、あいまいな世界では、選択肢が無限に広がっていることが好ましいIお金を 使ってできることよりも、お金自体にはるかに大きな価値があるとされる。お金が目的達成の 手段となり、目的ではなくなるのは、具体的な未来においてだけだ。  あいまいな政治  政治家は昔から、選挙になるといきなり一般大衆の味方になってきた。今ではいつでも世間 の空気を読むようになっている。世論調査のおかげで、政治家は国民の意見に合わせて、正確 に自分のイメージを仕立てることが可能になったし、実際にほぼ誰もがそうしている。ネイトー シルバーの選挙予測は驚くほど正確だけれど、さらに驚きなのは四年ごとにそれが大きく取り 上げられるようになったことだ。僕たちは、一〇年後や二〇年後にこの国がどうなっているか を大胆に想像するよりも、数週間後に国民が何を考えているかを統計的に予測することに夢中 になっている。  それに、それは選挙のプロセスだけのことじゃない。政府そのものの存在もまた、あいまい になってきた。政府はかつて、核兵器や月面探索のような複雑な課題を、連携しながら解決す る能力があった。でも、四〇年間あやふやなまま手探りを続けてきた政府は、ただの保険機関 になっている。大きな問題への解決策といえば、メディケア、社会保障、そしてめまいがする ほど複雑なその他もろもろの給付制度だ。一九七五年以来、毎年、給付支出が裁量支出を上回 ってきたのも不思議じゃない。特定の問題を解決するための具体的な計画がなければ裁量支出 は増えない。一方で、給付支出のあやふやなロジックに従えば、小切手を送りつければものご とは良くなるというわけだ。  あいまいな哲学  あいまいな姿勢に変わってきたのは政治だけでなく、右派と左派の思想的支柱となる政治哲 学もそうだ。  古代哲学者は悲観的だった。プラトン、アリストテレス、エピクロス、ルクレティウスたち はみな、人間の限界を受け入れていた。悲劇的な運命にどう対処するかだけが問題だった。近 代哲学者たちは総じて楽観的だ。右派のハーバートースペンサーから中道派のヘーゲル、左派の マルクスまで、一九世紀の人々はみな進歩を信じていた(マルクスとエングルスは資本主義の技術 的勝利を称えていた)。彼らは物質的な進歩が人々 の生活を根本から良い方向に変えることを期待 していたI明確な楽観主義者だったのだ。  二〇世紀の終わりになると、あいまいな哲学 が脚光を浴びるようになった。現代を代表する 政治哲学家ジョンーロールズとロバートーノージ ックの二人は、一般には対極にいると思われて いる。左派平等主義のロールスは公平と分配の 問題にこだわった。右派リバタリアンのノージ ックは個人の自由を最大化することに目を向け た。二人とも、人間は他人と平和に共存できる と信じていた。つまり、古代哲学者と違って楽 観的だった。でも、スペンサーやマルクスと違 い、ロールスとノージックはあいまいな楽観主 義者だった。具体的な未来のビジョンがなかっ たのだ。  ただ、二人のあいまいさはそれぞれ違う。ロールスの「正義論」は、「無知のベール」という 有名な言葉で始まる。もし世界についての具体的な知識を持っていたら、公平な政治判断はで きないというわけだ。ロールスは、バラバラの個人とリアルなテクノロジーが共存する現実世 界を変えようとはせず、平等だが動きのない「原初的に安定した」社会を理想とした。一方ノ ージックは、ロールスの描く「パターン化された」正義の概念に反対した。ノージックにとっ て、自発的な取引はすべて許されるべきであり、いかなる社会的パターンも強制的に適用され るべきではないと唱えた。ノージックには、ロールスよりも具体的な「善き社会」像があるわ けではなかったI二人とも注目していたのはプロセスだった。今日、左派リベラル平等主義 とリバタリアン個人主義の違いが誇張されているのは、ほとんど誰もが彼らと同じあいまいな 姿勢でいるからだ。哲学でも、政治でも、またビジネスでも、議論されるのはプロセスばかり で、より良い未来への具体的な計画は延々と先送りされてきた。  あいまいな人生  僕たちの先祖は、人間の寿命について理解し、それを延ばす方法を追い求めてきた。一六世 紀の征服者は不老長寿の泉を求めてフロリダのジャングルを探検した。フランシスーベーコン は、「長寿法」は医学の一分野であり、最も重要な学問と見なすべきだと書いた。一六六〇年代 に、ロバートーポイルは不老長寿(と若返り)を有名な「科学に将来叶えてほしいこと」リスト のトップに挙げた。ルネサンス時代の天才たちは、「死」に打ち克つことができると信じ、奥地 を探検したり実験を行なったりしていた(闘い半ばで命を落とした人もいる。ベーコンは、鶏を雪の 中で凍らせて寿命を延長できるかどうかを実験していて肺炎にかかり一六二六年に死亡した)。  僕たちはまだ、生命の秘密を解き明かしてはいないけれど、保険会社と統計家は、一九世紀 に死にまつわる秘密を解き明かし、それが今も僕たちの考え方を支配している。彼らは死を確 率の問題に矮小化することに成功したI「寿命表」を見ればある年に自分が死ぬ確率がわか る。それは前の世代にはわからなかったことだ。おかげで保険の精度は向上したけれど、長寿 の秘密を探ろうという人はいなくなったようだ。寿命の幅がもっともらしく示されているのを 見たら、そんなものかと納得してしまう。死は避けられず、いつくるかもわからないという考 え方が、今では社会全体に浸透している。  一方で、確率的な取り組みは生物学の姿そのものを変えてきた。一九二八年、スコットラン ド人科学者のアレクサンダー・フレミングは、ふたをせず研究室に置きっぱなしにしていたペ トリ皿に謎の抗バクテリア菌が育っていることを発見した。たまたまペニシリンを発見したの だ。それ以来、科学者は偶然の力を追い求めるようになった。現代の新薬は、フレミングの思 いがけない幸運を大規模に再現する方法によって発見される。製薬会社はランダムに分子化合 物を組み合わせることで、標的にヒットする化 合物を見つけるのだ。  ただし、それも以前ほどはうまくいっていな い。バイオテクノロジーは過去二世紀で劇的に 進歩したものの、この数十年は投資家の期待に I患者の期待にもI応えられていない。創 薬に関わるエルームの法則はムーアの法則の反 対で、一〇億ドル単位の研究開発費に対して承 認される新薬の数は、一九五〇年以来、九年ご とに半減しているという。同じ期間に情報技術 はこれまでにないスピードで進化してきたけれ ど、現在のバイオテクノロジーが今後ITと同 じような進化を遂げるかどうかはまだわからな い。では、バイオテクノロジーのスタートアッ プと、コンピュータソフトウェアのスタートア ップを比べてみよう。  バイオテクノロジーのスタートアップはあいまい思考の究極の例だ。研究者は、人体システ ムの働きについて確定的な理論に磨きをかけるよりも、うまくいくかもしれないという望みに すがって実験を繰り返す。根本にある生物学自体が難しいから、そうしたやり方しかないのだ と生物学者は主張する。彼らに言わせれば、ITスタートアップがうまくいくのは、コンピュ ータがもともと人間の命令に従うように設計されているからだ。逆にバイオテクノロジーが難 しいのは、人体が人間によって設計されたわけではなく、知れば知るほどより複雑になってい くからだ。  でも、バイオテクノロジーのスタートアップは、生物学そのものの難しさをビジネスへのあ いまいな姿勢の言い訳にしているようにも見える。関係者のほとんどは、いつか何かがうまく いくだろうと期待していても、何がなんでも成功させようとひとつの会社に打ち込んでいる人 は少ない。その最たる例が大学教授で、パートタイムのコンサルタントになることはあっても、 フルタイムの社員になろうとはしないI自らの研究をもとに起業する場合でさえも。そうな ると周りの誰もが教授のあいまいな態度を真似る。リバタリアンはガチガチの規制がバイオテ クノロジーの進歩を妨げていると主張する。それは確かだけれど、バイオテクノロジーの未来 にとっては、あいまいな楽観主義の方がはるかに大きな障害かもしれない。      あいまいな楽観主義は成り立つのか?  あいまいな楽観主義者が下す決断は、僕たち にどんな未来をもたらすのだろう? アメリカ の家計が貯蓄に励んでいれば、少なくとも使う 金がいくらか残るはずだ。アメリカ企業が投資 していれば、将来新たな富を手にすることが可 能になるだろう。でも、アメリカの家計の貯蓄 はゼロに近い。アメリカ企業は新しいプロジェ クトに投資せずに現金を手元に積み上げている。 未来への具体的な計画がないからだ。  あいまいな楽観主義以外の三つの見方は筋が 通っている。明確な楽観主義は、思い描いた未 来を築けば成り立つ。明確な悲観主義は、新し いものを取り入れず既存のものをコピーするこ とで成り立つ。あいまいな悲観主義では自己予言が的中するI期待が低くやる気もなければ、 未来は暗いものになるだろう。でも、あいまいな楽観主義はそれ自体矛盾している。誰も計画 を持たないのに、どうして未来が良くなると言えるのだろう?  ただ、現代人のほとんどはこの問いへの答えを聞いたことがあるI計画なき進歩とは、す なわち「進化」だ。ダーウィンも、生命は誰が意図するわけでもなく「進歩する」と書いて いる。どんな生き物もほかの生命体のランダムな反復にすぎず、最適な反復が生き残るのだと。  ダーウィンの説はカブトガニや恐竜の起源の説明にはなるかもしれないけれど、そこから限 りなく遠い分野にまで応用できるのだろうか? ニュートン物理学ではブラックホールやビッ グバンが説明できないように、ダーウィンの生物学がより良い社会を築く方法や、ゼロから新 ビジネスを立ち上げる方法に当てはまるとは限らない。それなのに、最近ではダーウィン的な (あるいはダーウィンまがいの)言い回しがビジネスの世界でも当たり前になってきた。ジャーナ リストは競争市場での企業の生き残りを、競争的な生態系の中での種の生存にからめて表現す る。新聞には「デジタルーダーウィン主義」「ドットコムーダーウィン主義」「最適クリック生存」 といった見出しが躍っている。  エンジニア主導のシリコンバレーでさえ、今流行りの戦略といえば、変わり続ける環境に「適 応」し「進化」する「リーンースタートアップ」だ。起業家予備軍は、先のことは何もわからな いのだと教えられる。顧客の欲求に耳を傾け、MVP(実用最小限の製品)以外は作らず、うま くいったやり方を反復すべきだと言われる。  だけど、「リーンであること」は手段であって、目的じゃない。既存のものを少しずつ変える ことで目の前のニーズには完璧に応えられても、それではグローバルな拡大は決して実現でき ない。弓冫Oコのでトイレットペーパーを注文するための最適アプリを作ることはできるだろう。 でも、大胆な計画のない単なる反復は、ゼロから1を生み出さない。だから、あいまいな楽観 主義者が起業するというのは、何より奇妙だI成功を実現するための計画がないのに、どう やって成功するつもりなのだろう? ダーウィン主義はほかの文脈では筋の通った理論かもし れないけれど、スタートアップにおいてはベンテリジェントーデザインこそが最適だ。      デザインの復活  偶然よりもデザインを優先させるとはどういうことだろう? 今どき「ゲットーデザイン」は 美の規範とされているし、遊び人からヤッピーまで誰もが念入りに外見を「村ユレート」して いる。偉大な起業家は、確かに何よりもまず優秀なデザイナーだ。iと頭文字のつくデバイス やなめらかに加工されたK邸nooo″を手にした誰もが、ビジュアルにもユーザー体験にも完璧 を目指すスティーブージョブズのこだわりを感じるはずだ。でも、ジョプズから学ぶべきいちば ん大切な教訓は、美しさとはなんの関係もない。ジョプズが残した最も偉大なデザインは、彼 の会社だ。アップルは、新製品を開発し、効果的に販売するための明確な複数年計画を描いて それを実行した。「MVP」なんていうちっぽけな考えは捨てよう。一九七六年にアップルを創 業して以来、ジョブズはフォーカスーグループの意見を聞かず、他人の成功を真似ることもなく、 念入りな計画によって世界を本当に変えられることを証明した。  短期的な変動の激しいあいまいな世界では、長期計画はたいてい過小評価される。二〇〇一 年一〇月に初代弓oaが発売された時、業界アナリストはこれを「マックユーザーのためのおも ちや」で、その外の世界は「何も変わらない」と見ていた。ジョプズは弓oaをPCに代わる新 しい世代のポータブルデバイスの第一弾と位置づけていたのに、その隠れた真実はほとんどの 人の目には映らなかった。アップルの株価グラフを見れば、この長期計画のもたらした恩恵が わかるはずだ。  非上場企業の評価が難しいことからも、計画がどれほど大切かがわかる。大企業が優良なス タートアップを買収する場合、買収価格は高すぎるか低すぎるかのどちらかだ。創業者が会社 を売却するのは、自社の将来についての具体的なビジョンを持っていないからだ。その場合、買 収価格はおそらく高すぎる。逆に、盤石な計画 を持つ意思の固い創業者にとってはどんな価格 でも低すぎるので、会社を売却することはない。 二〇〇六年七月にヤフーがフェイスブックにI 〇億ドルで買収を提示した時、僕は少なくとも 考えてみるべきだと思った。だけど、マークー ザッカーバーグは取締役会にやってきて、こう 宣言したのだ。「オッケー、じゃ、形式だけ、ち ゃちゃっとI〇分以内にすませちゃいましょう。 ここで売るとかありえませんよね」。マークは自 分がフェイスブックをどうしたいかをはっきり と思い描いていた。ヤフーはそうではなかった。 未来をランダムだと見る世界では、明確な計画 のある企業はかならず過小評価されるのだ。  人生は宝クジじゃない  僕たちは明確な未来に戻る道を見つけなければならないし、欧米社会がそこに戻るには文化 的な革命が必要だ。  では、どこから手をつけたらいいだろう? ジョンーロールズを哲学界から追放しなければな らない。マルコムーグラッドウェルに自説を曲げさせなければならない。政界から世論調査をな くさなければならない。だけど、政治家はもちろんのこと、哲学者やグラッドウェルのような 人々は自説を曲げない。頭脳と善意だけでは、こうした人々で隘れかえる世界に変化を起こす なんてことは不可能だ。  起業は、君が確実にコントロールできる、何よりも大きな試みだ。起業家は人生の手綱を握 るだけでなく、小さくても大切な世界の一部を支配することができる。それは、「偶然」という 不公平な暴君を拒絶することから始まる。人生は宝クジじゃない。  一   一       一          四 I ・       四  I V  一        f  y        e  l        l             一  &  一  I       r  J      四       9  一        一  ●     I   I  φ ・ 卜・・ 1    1 1 一  一            囑          −  I    I   I  I I ・  − − −II ll l        四  e  ・     ・  一  ・    I  S  y     ・  l  e  二     a  い  い     一  l  a  ・      ■ “  −         ・  e  希  −   ″ i  r  l        凾 一          `          S  一  ・   ・  ・  a  −  i  ・I  9 ・ 争  ・  ・ I  I  ・  I  一   一  ・  一  一  一   ・  I  蔘  参  II・・・1 14  1  1  − ・  一  一     \’      ∠厂。   ……’厂   。」………。…    ……………  …………。    フ カネの流れを追え△  二\卜 ・    !          ・       I  I I   I I い  一            一  e I        ■ a          一  一                  1  1 1 一 I l r  一        一  ナ…………」     ・  ・   ゜・     ・ S 一 一 S   ・ ゛i ’・ ゛・    ‘ ’r l S I        ’・ a 一    ‘ ’、S ・ ゜      ‘  ゛・       ’ ゜` ”    ’I S    一 I  I  甲  S        I  I  寸   ・  I  I  `     を  I  S  ・  ・       S  I        4  い  I     。  l  ■  一   一  4  一  ・       乱      一             一         ・  I  s          ・  I        r  一          一  ・                      一  −    一        ―                                一  一            一   カネはカネを生む。「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人 は持っているものまでも取り上げられる。」(「マタイによる福音書」二五章二九節〔韶翡四〕)・アル バートーアインシュタインは、それと同じ意味で、複利を「世界の八番目の不思議」「歴史上最 大の数学的発見」そして「宇宙で最も大きな力」とまで呼んだ。どう呼ぶにしろ、彼の言いた かったことは明らかだ。指数関数的な成長を軽視してはならない。実際のところ、アインシュ タインが本当にそう言ったという証拠はない。ただの言い伝えだ。でも、出典の怪しげなこの 言い伝えの存在そのものが、内容を裏づけている。人生をかけて知性という元本に投資したア インシュタインは、自分が口にしてもいない言葉によっても認められ、今も墓場からその利子 を受け取っているのだから。  たいていの言葉は忘れられてしまう。反対に、アインシュタインやシェイクスピアといった 少数の選ばれた人たちの言葉は常に引用され復唱される。ほんの一部の少数派が、はるかに大 きな影響を社会全体に与えることは決して少なくない。一九〇六年、経済学者ヴィルフレド・ パレートは「パレートの法則」、いわゆる「80120の法則」を発見した。二割の国民がイタリア 国土の八割を所有していることに気づいたのだ。自分の畑のえんどう豆のさやの二割から八割 のえんどう豆が生産されているのと同じ現象だった。ひと握りのグループが、残りのライバル をはるかにしのぐというこのパターンは、自然界にも人間の社会にも見られる。巨大地震は小 さな地震すべてを合わせたより何倍も強い破壊力を持つ。小さな街をすべて合わせても、大都 会にはかなわない。そして、独占企業は、これといった特徴のないライバル会社をI〇〇万社 集めたよりも大きな価値を取り込むことができる。アインシュタインが言ったかどうかは定か ではないけれど、分散に極端な偏りが出る「べき乗則」は万物の法則だ。それは僕らの周囲の あらゆる現象を支配しているために、僕らはふだんそれに気がつかない。  この章では、おカネの流れを追いながら、「べき乗則」を明らかにしていく。ペンチャーキャ ピタルは、アーリーステージヘの投資によって指数関数的成長から利益を得ることを目論み、ほ んの数社の価値が、ほかのすべての企業の価値をはるかに超える。ほとんどの企業はベンチャ ーキャピタルに世話になることはないけれど、ベンチャーキャピタリストでさえなかなか理解 できないひとつのことを、誰もが認識しておく必要がある。僕たちが住んでいるのは正規分布 の世界じゃない。僕たちはべき乗則のもとに生きているのだ。      ベンチャーキャピタルのくぺき乗則〉  成功しそうなアーリーステージのスタートアップを見つけ、資金を提供し、利益を得るのが、 ベンチャーキャピタリストの仕事だ。彼らは機関投資家や富裕層から資金を募り、ファンドを 作り、価値が上がりそうなテクノロジー企業に投資する。判断が正しければ、彼らはリターン の一部−通常は二〇ハーセントーを受け取ることができる。ポートフォリオに組み入れた スタートアップの価値が上がり、上場するか大企業に売却されると、ベンチャーファンドは儲 けを手にすることができる。ベンチャーファンドの投資スパンはI〇年ほど、つまり企業が成 長し「出口」を見つけるまでの期間だ。  とはいっても、ベンチャーキャピタルが支援 するスタートアップのほとんどは上場すること も売却されることもない。大半は失敗し、しか も創業からまもなく消えていく。多くの案件が 初期に失敗するため、ベンチャーファンドが当 初損失を出すのは避けられない。でも、数年の うちに優良投資先が指数関数的成長の段階に達 して規模拡大を始め、損失を補ってあまりある までにファンド価値が上昇することを、ベンチ ャーキャピタリストは期待している。  問題は、この上昇がいつ起きるかだ。ファン ドの大半は、その前に消滅する。ほとんどのス タートアップは失敗し、ファンドも一緒に失敗 する。どんなベンチャーファンドも、成功する スタートアップを見つけることが仕事だという ことはわかっている。でも、ベテラン投資家で さえ、このことを表面的にしか理解していない。彼らは同じ企業は二つとないことをわかって いても、それがどれだけ違うかを充分にわかっていないのだ。  そもそもの間違いは、ベンチャー投資のリターンに正規分布を期待することにある。悪い会 社は潰れ、そこそこの会社はトントンになり、優良企業は二倍から四倍のリターンをもたらす、 と考えることが間違いだ。それらしいパターンを前提に、投資家はポートフォリオを分散し、勝 ち組が負け組を補うことを願っている。  でも、この「下手な鉄砲も数打ちや当たる」作戦では、たいていひとつも当たらずに、ポー トフォリオはゴミの山になってしまう。ベンチャーのリターンは正規分布ではないからだ。む しろベンチャーに当てはまるのは「べき乗則」だI一握りのスタートアップがその他すべて を大幅に上回るリターンを叩き出す。だから、分散ばかりを気にかけて、圧倒的な価値を生み 出す一握りの企業を必死に追いかけなければ、その稀少な機会をはじめから逃すことになる。  次頁のグラフは、企業格差に関する一般認識と現実のそれがどれほど違っているかを示した ものだ。僕たちの運用するファウンダーズーファンドの結果を見れば、この偏りがよくわかる。 二〇〇五年に組成したファンド中、最良の投資となったフェイスブックは、ほかのすべての案 件の合計よりも多くのリターンをもたらした。その次に成功したパランティアヘの投資は、フ ェイスブック以外のすべての案件の合計を超えるリターンを生んだ。この極めて偏ったパター ンは、決して珍しいことじゃない。僕たちのす ぺてのファンドに同じパターンが見られる。ベ ンチャーキャピタルにとっての何よりも大きな 隠れた真実は、ファンド中最も成功した投資案 件のリターンが、その他すべての案件の合計リ ターンに匹敵するか、それを超えることだ。  ということは、ベンチャーキャピタルには奇 妙な鉄則が二つあることになる。第一の鉄則は、 ファンド全体のリターンを一社で叩き出す可能 性のある企業だけに投資すること。これには度 胸がいる。投資可能な案件の大半がここで消え てしまうからだ(たとえ成功している企業でも、そ こまでのリターンを生むことは珍しい)。ここから第 二の鉄則が導かれる。つまり、第一の鉄則によ る縛りが厳しすぎて、それ以外のルールは設け られないというものだ。  第一の鉄則を破るとどうなるか考えてみよう。二〇一〇年、アンドリーセンーホロウィッツは インスタグラムに二五万ドルを投資した。二年後にフェイスブックがインスタグラムをI〇億 ドルで買収すると、アンドリーセンは七八〇〇万ドルの売却益を得た。二年足らずで投資額を 三匸一倍にしたわけだ。この衝撃的なリターンによって、アンドリーセンはシリコンバレーで 最高のファンドという評判を確実にした。ただ、奇妙なことに、それではまったく足りなかっ た。というのも、アンドリーセンのファンドは一五億ドルを運用していたからだ。わずか二五 万ドルの小切手を切るだけでは、トントンにするためにインスタグラムを一九社見つけなけれ ばならない。だから、ベンチャーファンドは投資に値する会社を見つけるとはるかに多額の資 金をつぎ込む(念のために言っておくと、もし以前の投資案件との利益相反がなければ、アンドリーセン はその後のぢウンドでさらに投資していたはずだ)。ベンチャーキャピタルはゼロからIを生み出す 一握りの企業を見つけ、あらゆる手立てで彼らを支援しなければならない。  もちろん、どのスタートアップが成功するかを確実に予測できる人間はいないし、最高のベ ンチャーキャピタルーファームでさえ、「ポートフォリオ」を組んでいる。それでも、大規模に 成功できる可能性があるスタートアップだけを組み入れるのが、良質のベンチャーポートフォ リオだ。ファウンダーズーファンドでは、各ファンドで五社から七社に投資するけれど、それぞ れの投資先に独自のファンダメンタルがあり、数十億ドル規模に成長する可能性があると僕た ちは考えている。投資の焦点が、ビジネスの本質から分散戦略にはまるかどうかという投資テ クニックの問題に逸れてしまうと、ベンチャー投資は宝クジを買うのと変わらなくなる。そし て、宝クジを買うようなものだと思い始めたとたん、君はすでに心の中で負けを覚悟している のだ。      人はなぜくべき乗則〉に気づかないのか?  よりによって、プロのベンチャーキャピタリストがべき乗則に気づけないのはなぜだろう? ひとつには、リターンの偏りは時間が経たないと見えてこないけれど、テクノロジー投資家も、 たいていは目の前のことで精一杯だからだ。独占企業となる可能性のあるスタートアップー○ 社に投資したと考えてみよう。それだけでも充分に規律のあるポートフォリオだ。指数関数的 成長を始める前のアーリーステージでは、どの会社もほぼ同じに見える。  その後数年の間に消える会社もあれば、成功しだす会社もある。企業価値に差がつき始める ものの、それが指数関数的に成長するか直線的に成長するかはまだわからない。  そしてI〇年後、ポートフォリオには勝ち組と負け組が混在するのではない。巨大な一社と その他もろもろになる。  べき乗則の行き着く結果がどれほど明白でも、 それを日常感覚として感じることはない。投資 家は新規投資とアーリーステージ企業の支援に ほとんどの時間を使い、そうした投資先の大半 は「そこそこ」の企業だ。投資家と起業家は、相 対的な成功度合いの違いを日々感じることはあ っても、指数関数的に成長するか失敗するかを 感じ取れるわけじゃない。それに、一旦行なっ た投資を諦めたくないために、ベンチャーキャ ピタルは明らかに大きな成功を期待できる案件 よりも、いちばん問題の多い案件により多くの 時間を使うことになる。  指数関数的な成長を期待できるスタートアッ プを専門にする投資家でさえ、べき乗則に気づ かないとすれば、それ以外の誰もが気づかなく ても不思議じゃない。べき乗則の分布は偏りが大きすぎて、普通に見るだけでは気づかないか らだ。たとえば、シリコンバレーの外にいる人たちのほとんどは、ベンチャーキャピタルとい えばリアリティ番組の「シャークータンク」に出てくる少数精鋭の変わり者の世界を思い浮かべ るIコマーシャルがないだけだ。実際にベンチャーキャピタルから資金を調達できるのは、ア メリカで毎年生まれる新規企業のIパーセントにも満たないし、ベンチャーキャピタル投資の 総額はGDPの○・ニパーセント未満だ。それでも、こうした投資の果実は経済全体を前進さ せるほどの大きな影響を持つ。ベンチャーキャピタルが支援する企業は、民間雇用の一一パー セントを創出している。これらの企業が生み出す収入はGDPのニーパーセントにも上る。事 実、規模上位のテクノロジー企業匸一社には、いずれもベンチャーキャピタルの資本が入って いる。この匸一社を合わせると、企業価値は一兆ドルを超える。つまり、その他すべてのテク ノロジー企業の合計よりも大きな価値を持つということだ。      〈ぺき乗則〉をどう使う?  べき乗則を気にかけなければならないのは投資家だけじゃない。誰にとってもべき乗則は大 切だIなぜなら、世の中のすべての人は投資家だからだ。起業家にとっての最大の投資はス タートアップにつぎ込む時間だ。だからこそ、どんな起業家も自分の会社が成功して価値ある ものになるかどうかを考えなければならない。すべての人は投資家にならざるをえない。君が 仕事を選ぶとしたら、それが数十年後に価値のあるものになると信じて選ぶはずだ。  将来価値の問いに対するいちばん一般的な答えは、分散されたポートフォリオー「すべての 卵をひとつのカゴに入れるな」とよく言われるやつだ。最も成功しているベンチャー投資家で さえポートフォリオを組むと言ったけれど、べき乗則を理解している投資家は投資案件の数を できるだけ絞り込む。反対に、世間の知恵や金融の常識をもとにしたポートフォリオ思考では、 分散投資こそが力の源泉だと考える。あれもこれも手を出してみる方が不確実な未来へのヘッ ジになるというわけだ。  でも、人生はポートフォリオじゃないIスタートアップの創業者だろうと、誰であろうと。 起業家は自分自身を「分散」できない。ひとりで何十社も同時に経営できないし、その中のひ とつがうまくいけばいいと祈ることもできない。もっと言えば、等しく可能性のあるキャリア をいくつも同時に進めて、人生を分散させることもできない。  学校ではそれと反対のことを教えている。学校教育は画一的に一般教養を受け渡すだけだ。ア メリカの教育制度を通過すると、べき乗則で考えることができなくなる。高校の授業はどんな 科目もIコマ四五分と決まっている。生徒は全員同じようなペースで学ぶ。大学の優等生は、マ イナーで珍しいスキルをたくさん集めて未来へのヘッジをかけることばかり考えている。どの 大学も「卓越」を信じ、専攻にかかわらずアルファペット順に並んだ分厚い履修案内を発行し て「何をしてもかまわないが、とにかくうまくやれ」と学生に保険をかけさせているようだ。だ けどそれは大きな間違いだ。重要なのは「何をするか」だ。自分の得意なことにあくまでも集 中すべきだし、その前に、それが将来価値を持つかどうかを真剣に考えた方がいい。  スタートアップの世界に関して言えば、たとえ君が非凡な才能を持っていたとしても、かな らずしも起業がベストとは限らない。今は、起業する人が多すぎる。べき乗則を理解している 人なら、ベンチャーを立ち上げることに躊躇するはずだ。成長の著しい超優良企業に入社すれ ば、破格の成功を手に入れられることを彼らは知っている。べき乗則のもとでは、企業間の違 いは企業内の役割の違いよりもはるかに大きい。自分のスタートアップをすべて自己資金でま かなえばI〇〇パーセント株主になれるけれど、もし失敗すればすべてを失う。だけど、グー グルの○・○一パーセントを所有するだけで、信じられないほどの価値を保有できる(本稿執筆 時点で三五〇〇万ドルを超えている)。  あえて起業するなら、かならずべき乗則を心にとめて経営しなければならない。いちぱん大 切なのは、「ひとつのもの、ひとつのことが他のすべてに勝る」ということだ。5章で述べたよ うに、ある市場はその他すべての市場に勝る。H章で見るように、たいていの場合、ある販売 戦略がほかのすべてを支配している。9章で紹介するように、時間と意思決定もまたべき乗則 に従い、ある瞬間がほかのすべての瞬間よりも重要になる。べき乗則を否定して正しい判断を 下すことはできないし、いちばん大切なことはたいてい目の前にはない。それが隠れているこ ともある。それでも、べき乗則の世界では、自分の行動がその曲線のどこにあるのかを真剣に 考えないわけにはいかなくなる。      `  I  ・        ―            二    f     一  ―  −         I  w            ■        I  ・  ・  I  ・  :I  −I 一 I       I  s        ・  I          I  I        I  s        I  ■  一          ・        I  l  一  ■     I  ・  φ     ゛      I  I  w     I  い  s  F   ’ I  一  一  − −  4  ・  s  一  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a  a    ・     f  ゆ          ・  今では当たり前とされているアイデアはどれも、かつては誰も思いつかず考えてもみないよ うなものだった。たとえば、三角形の三辺の数学的関係は、ピタゴラスが熟考の末に発見する まで、何世紀もの間、謎とされていた。ピタゴラスの教えを受けるには、彼の立ち上げた奇妙 な菜食教団に入らなければならなかった。今ではピタゴラスの定理は常識となり、中高生は学 校でそれを単なる事実として学んでいる。定説は重要だし、初等数学の学習は欠かせない。で も、それで人より賢くなれるわけじゃない。定説は「隠れた真実」ではないからだ。  あの逆説的な質問を思い出してほしい。「賛成する人がほとん どいない、大切な真実は何か?」もし、今すでに僕たちが自然 界について知りうることをすべて知っていたら、もし、すべて の定説が明かされ、あらゆることがすでに行なわれていたとし たら、あの質問への解は存在しなくなる。世の中に隠れた真実 が残っていなければ、逆説的な考え方には意味がない。  もちろん、僕たちがまだ知らないことは多く、そのうちのい くつかは永遠にわからないかもしれない。それは隠れた真実と いうよりも解けない謎だ。たとえば、「ひも」と呼ばれる一次元 の物質の振動によって宇宙の物理法則を解明するのが「ひも理 論」だ。ひも理論は真実だろうか? これは実験では証明でき ない。この理論の意味するところをすべて理解している人もほ とんどいない。でもそれは、この理論が単に難しいからだろう か? それとも、解けない謎だからなのか? その二つには大 きな違いがある。難しいことには手が届いても、不可能なこと には手が届かない。  例の逆説的な質問のビジネス版を思い出してみよう。「誰も築いていない、価値ある企業とは どんな企業だろう?」正解はかならず、「隠れた真実」になる。それは、重要だけれど知られて いない何か、難しいけれど実行可能な何かだ。この世界に多くの知られざる真実が残されてい るとしたら、世界を変えるような会社がおそらく数多くこれから生まれるはずだ。本章では「隠 れた真実」について考え、それをどう見つけるかについて探っていこう。      なぜ誰も隠れた真実を探さないのか?  世の中のほとんどの人は、知られざる真実なんてないかのように振る舞っている。その極端 な例が、「ユナボマー」の悪名で知られるテッドーカジンスキーだ。カジンスキーは一六歳で八 Iバードに入学した天才児だった。その後数学の博士号を取り、カリフォルニア大学バークレ ー校の助教授となる。でも、彼の名前を世間に知らしめたのは、学者や技術者やビジネスマン にパイプ爆弾を送りっけるという一七年にわたるテロ行為だった。  一九九五年末、当局にはユナボマーの正体も居場所もわかっていなかった。最大の手がかり は、カジンスキーが報道関係者に匿名で送りっけた三万五〇〇〇語に及ぶ犯行声明だ。FBI は、事件解明のきっかけを掴もうと、大手新聞社に声明文の公開を要請。これが奏功する。カ ジンスキーの弟が文体に気づき、警察に通報した。  そう言うと、明らかな精神異常を示すような文体を想像するかもしれないけれど、犯行声明 には不気味な説得力があった。彼は、どんな人間も、幸せになるには「達成に努力を要する目 標が必要で、その目標の少なくともいくつかを達成しなければならない」と主張していた。  カジンスキーは人間の目標を次の三つに分類した。  1 最低限の努力で遂げられる目標  2 真剣に努力しないと遂げられない目標  3 どれほど努力しても遂げられない目標  簡単、難しい、不可能の典型的な三分法だ。現代人が鬱々としているのは、世界のすべての 難しい問題がすでに解決されてしまったからだとカジンスキーは言っていた。あとに残ったの は簡単な目標か不可能な目標しかなく、それらを追いかけても満足感はまったく得られない。自 分にできることは子どもにもできる。自分にできないことはアインシュタインにもできない。そ こで、既存の制度を破壊し、すべてのテクノロジーを取り除けば、またゼロから難しい問題に 取り組めると考えた。  カジンスキーのやり方は狂っているけれど、彼が 感じたテクノロジーの進歩に対する幻滅は今の社会 のいたるところに見え隠れしている。たとえばちょ っとしたことだけれど、都会のトレントセッターの 間で流行しているものにも、この傾向は現れている。 フェイクのビンテージ写真、カイゼル髭、ナイロン レコードのプレーヤーなど、どれもが人々がまだ明 るい未来を描いていた時代を彷彿とさせる。やる価 値のあることがもうやり尽くされたのだとしたら、成 功になどまったく興味のないふりをして、バリスタ にでもなった方がいい。  テロリストやトレントセッターだけでなく、原理 主義者はみなそう考える。たとえば、宗教的な原理 主義者は、難しい質問の存在を許さないI子ども でもすぐに答えられるような単純な真実か、そうで なければ説明できない神の秘跡かのどちらかしか存在しないと考えるのだ。両極端の中間、つ まり難しい真実が存在する場所は、異端とされる。環境主義という名の現代の宗教では、人は 環境を守るべきだというのが単純な真実だ。それ以上のことは、母なる自然に任せるべきであ り、自然に楯突くことは許されない。自由市場の信奉者も、似たようなロジックを使うIモ ノの価値を決めるのは市場である。株価は子どもにもわかる。だが、その価格が理にかなって いるかどうかを疑ってはならない。市場は君たちよりはるかに多くを知っているのだから。  なぜ僕たちの社会は、知られざる真実なんて残っていないと思い込むようになったのだろう? 確かに、世界地図に空白はない。君が一八世紀に生きていれば、まだ発見されてない場所があ った。未開の地の冒険談を聞き、自分でも探検家になれた。一九世紀から二〇世紀のはじめま では、おそらくそうだったのだろう。ナショナルジオグラフィックには、人跡未踏の最果ての 辺境地を探検する白人の姿が多く残されている。今では探検家は歴史の本かおとぎ話の中にし か存在しない。親たちは、子どもが海賊や王様になることを望まないように、探検家になるこ とも望まない。おそらくアマゾンの奥地のどこかにはまだ、知られざる種族が何十と暮らして いるだろうし、海底深くには地球最後のフロンティアが残っているだろう。でも、現代におい て未知のものに出会うことはかつてないほど難しい。  物理的なフロンティアがほぼなくなったという自然の制約に加えて、四つの社会トレントが 隠れた真実への探求心を根っこから摘み取ろうとしている。ひとつ目は漸進主義だ。僕たちは 幼い頃から、一度に一歩ずつ、毎日少しずつ、学年を追ってものごとを進めるのが正しいやり 方だと教えられる。人より進みすぎたり、テストに出ないことを勉強しても、誰にも褒めても らえない。期待されていることだけをきちんと行なえば(それを同級生よりも少しだけうまくやれ ば)、Aをもらえる。これが終身在職権を得るまでずっと続いていく。だから、学者たちは新た な分野に挑戦する代わりに、ありふれた論文を量産することになる。  二つ目はリスク回避だ。隠れた真実を恐れるのは、間違いたくないからだ。隠れた真実とは、 言うなれば「主流が認めていないこと」だ。だから間違わないことが君の人生の目標なら、隠 れた真実を探すぺきじゃない。自分ひとりだけが正しいと思える状況、つまりほかの誰もが信 じていないことに人生を捧げるのは、それだけでもつらい。自分が孤立していて、しかも間違 っているかもしれないとなったら、耐えられないだろう。  三つ目は現状への満足だ。いわゆる社会のエリートたちは、新しい考え方を模索する自由と 能力を誰より持ちあわせているのに、隠れた真実の存在を誰よりも信じていないようだ。過去 の遺産でのうのうと暮らしていけるなら、隠れた真実を探す理由がどこにあるだろう? トッ プのロースクールやビジネススクールの学長は、毎秋同じ内容のメッセージで新入生を迎え入 れる。「君はこのエリート組織の一員となった。もう心配はいらない。人生安泰だ」と。だけど、 本当に安泰なのは、人生安泰と思わない人だけだ。  四つ目は「フラット化」だ。グローバリゼーションが進むにつれ、人々は世界を同質的で極 めて競争の激しい市場と見なすようになっている。世界は「フラット化」していると言うのだ。 そうなると、隠れた真実を探そうという志を持つ人はまず、こう自問する。新しい何かが発見 できるなら、世界のどこかで自分より賢くクリエイティブな人たちがそれをすでに見つけてい るのでは? そういった疑念の声によって、隠れた真実を探し始める前に諦めてしまう。世界 は大きすぎて、ひとりの力では何もできないと感じてしまうのだ。  こうしたトレントには良い面もないわけじゃない。たとえば、今どき、カルト教団は成り立 たない。四〇年前なら、まだ世界には知られざる知識が存在するという考えを、人々は受け入 れていた。共産党からクリシュナ教にいたるまで、「道」を示してくれる啓蒙集団に入ってもい いと多くの人が考えていた。今、非伝統的な考えを真剣に受け止める人はほとんどいないし、主 流の人々はそのことを進歩の証しだと見ている。頭のおかしいカルトが少なくなったのは喜ば しいけれど、それには大きな代償が伴った。まだ発見されていない真実への探究心を、僕たち は失ってしまったのだ。      世間はこう見ている  隠れた真実の存在を信じない人たちは、世界をどんなふうに見ているのだろう? 人間がこ の世の謎をすべて解明したと思っているはずだ。もしこうした今日の通念が正しいなら、ぬく ぬくと過ごしたってかまわない。「神は天に召し、すべて世はこともなし」というわけだ。  たとえば、隠れた真実が存在しない世界では、完全な正義が実現していることになる。一方 で、どんな不正義も、はじめからそこに道徳的な問題を見出すのはごく少数の人々だ。そして、 民主的な社会では、大半の人が不正義だと思わない限り、間違った慣習が続けられる。奴隷制 度をはじめから悪だと思っていたのは、少数の奴隷廃止論者だけだった。「奴隷制が悪い」とい う考え方は今では常識だけれど、一九世紀のはじめにはまだ隠れた真実だった。今の時代に知 られざる真実はないというのは、隠れた不正義が存在しないというのと同じことだ。  経済において、隠れた真実が存在しないという思い込みは効率的市場への信仰につながって いる。でも、金融バブルの存在は市場が驚くほど非効率になり得ることを示すものだ(しかも、 市場は効率的だと信じる人が多いほど、バブルは大きくなる)。一九九九年当時、インターネットが不 合理なほど過大評価されているとは誰も思いたがらなかった。二〇〇五年の不動産もそうだ。連 邦準備制度理事会のアランーグリーンスパン議長は「あぶくの兆しが見える地域もある」としな がらも、「全国的な住宅価格はバブルとまでは言えない」と述べていた。市場はすべての情報を 反映しているはずだから、疑うべくもないものとされていた。その後、国中の住宅価格が下落 して、二〇〇八年の金融危機では数兆ドルが消失した。未来には多くの隠れた真実があって、経 済学者がそれを無視したからといって消えてなくなるわけじゃない。  企業が隠れた真実の存在を信じなくなったらどうなるだろう? ヒューレットーパッカード (HP)の凋落はその警告となるような事例だ。一九九〇年、HPの時価総額は九〇億ドルだっ た。その後に続いたのは発明のI〇年間だ。一九九一年、HPは世界一手頃なカラープリンタ、 デスクジェット500Cを発売。一九九三年には世界初の「スーパーポータブル」ラップトッ プ、オムニブックを発表する。その翌年には世界初のプリンターファックスーコピー複合機、オ フィスジェットをリリース。この矢継ぎ早の新製品投入が成功する。二〇〇〇年半ば、HPの 時価総額は匸二五〇億ドルになっていた。  しかし、「発明」の重要性を打ち出し新たなブランド戦略を導入した一九九九年末から、HP は発明を止めてしまう。二〇〇一年にはHPサービスを立ち上げ、大々的にコンサルティング とサポート業務に乗り出す。二〇〇二年にはコンパックと合併する。ほかにすることがなかっ たからだろう。二〇〇五年までには時価総額は七〇〇億ドルに落ち込んでいた。それはわずか 五年前のおよそ半分の価値だった。  HPの取締役会は機能不全の縮図だったI二つの派閥に分裂し、新しいテクノロジーを気 にかけていたのはそのうちの片方だけだった。その派閥を率いていたのは、エンジニアのトムー パーキンスだ。彼は一九六三年にHPに入社し、ビルーヒューレットとデイブーパッカードに請 われて研究開発部門を率いていた。二〇〇五年に七三歳だったハーキンズは、大昔の楽観主義 の時代からやってきたタイムートラベラーのような存在だった。彼は、最も将来性のあるテクノ ロジーを取締役会が特定し、HPがそれを開発すべきだと思っていた。でも、ハーキンズの派 閥は、取締役会会長のパトリシアーダン率いるライバル派閥に敗れた。金融出身のダンは、取締 役会に未来のテクノロジーを特定する能力はないと主張した。取締役会はガードマン役に徹す るべきだと考えていたのだI会計は適切に行なわれているか? 規則は守られているか?  このお家騒動の間に、取締役の誰かがマスコミに情報を漏らし始めた。情報源を探るためダ ンが不法に盗聴器を仕掛けていたことが発覚し、もともとのお家騒動よりも大変な騒ぎとなっ て、取締役会の面目は地に落ちた。まだ発見されていないテクノロジー探しを諦めたHPは、ゴ シップに取り憑かれた。その結果、二〇匸一年末のHPの時価総額はわずか二三〇億ドルにな っていた。インフレ調整後では一九九〇年とそれほど変わらない水準だ。      隠れた真実の例  隠れた真実は、探さなければ見つからない。アンドリュー・ワイルスはそれを証明してみせ た。三五八年間どんな数学者にも解けなかったフェルマーの最終定理を解いたのだ。天才たち が挑んでは敗れ去ってきたこの定理は、証明不可能だと考えられていた。一六三七年、ピエー ルードーフェルマーは、2を超える自然数nについて、r十M=びとなるOでない自然数(a、 b、c)の組は存在しないと予想を立てた。本人はそれを証明したと言っていたものの、書き残 す前にこの世を去ったため、この定理は長らく未解決の予想として数学界に残っていた。一九 八六年にこの定理に取り組み始めたワイルスは、証明に近づいたと感じた一九九三年まで、そ れを誰にも打ち明けなかった。そして九年間の努力の末、一九九五年にこの定理を証明した。頭 の良さはもちろんだけれど、隠れた真実の存在を信じなければ、これを解き明かすことはでき なかった。もし難しいだけのことを不可能だと思っていたら、解決への努力を始めようとも思 わないだろう。隠れた真実の存在を信じることこそが、鍵となったのだ。  実際、隠れた真実はまだ数多く存在するけれど、それは飽くなき探究を続ける者の前にだけ 姿を現す。科学、医療、エンジニアリング、そしてあらゆる種類のテクノロジーの分野で、で きることはまだまだ多い。僕たちは目標に手の届くところまできている。それも、従来の研究 分野における最先端の目標だけでなく、科学革命の熱烈な信奉者でさえ口にするのをためらう ような大胆な目標に手が届くところに。僕たちは癌や認知症や老化に伴うすべての疾病やメタ ポリックシンドロームを治すことができる。化石燃料をめぐる争いから世界を解放してくれる エネルギーを発見することもできる。地球上をより速く移動する手段を発明できる。あるいは、 地表を出て新たなフロンティアに入植することさえできる。でも、こうした隠れた真実は、僕 らが知りたいと要求し、強引にでもそこに目を向けなければ、決して学ぶことはできない。  ビジネスも同じだ。偉大な企業は、目の前にあるのに誰も気づかない世の中の真実を土台に 築かれる。いつも僕たちの周りにありながら見過ごしていた余剰スペースを利用した、シリコ ンバレーのスタートアップを思い出してほしい。エアビーアンドピーができる前、旅行者はホ テルに高い部屋代を払う以外にほとんど選択肢はなく、不動産所有者は空き部屋を信頼できる 相手に簡単に貸し出すことはできなかった。エアビーアンドピーは、ほかの人たちにはまった く見えなかった、未開拓の需要と供給に気づいたのだ。個人送迎サービスのリフトやウーハー にも同じことが言える。どこかに行きたい人と送りたい人をつなげるだけで数十億ドル規模の ビジネスになると考えた人はほとんどいなかった。すでに州の認可を得たタクシーとリムジン サービスが存在していたからだ。隠れた真実の存在を信じ、それを探さなければ、目の前にあ るチャンスに気づくことはできない。フェイスブックも含めて多くのインターネット企業が過 小評価されるのは、それがあまりに単純なものだからで、それ自体が隠れた真実の存在を裏づ けている。振り返ればごく当たり前に見える洞察が、重要で価値ある企業を支えているのだと すれば、偉大な企業が生まれる余地はまだたくさんある。      隠れた真実の見つけ方  隠れた真実には二種類あるI自然についての隠れた真実と人間についての隠れた真実だ。自 然についての隠れた真実はいたるところに存在する。それを見つけるには、物理世界で発見さ れていないものを探さなければならない。でも、人間についての隠れた真実は違う。自分自身 について知らないこともあれば、他人に知られたくなくて隠していることもある。だとすれば、 どんな会社を立ち上げるべきかを考える時、問うべき質問は二つI自然が語らない真実は何 か? 人が語らない真実は何か?  自然についての隠れた真実こそが重要だと考える人は多い。というのもその分野の研究者た ちは近寄りがたいほど権威があるように見えるからだ。物理学博士とI・緒に働きにくい理由も そこにある。定理定説のほとんどを学んできた彼らは、「すべてを」知っていると思い込んでい る。だけど、電磁理論を理解しているからといって、夫婦関係の優秀なカウンセラーになれる わけじゃない。引力理論の研究者が君のビジネスについて君より詳しいわけでもない。ペイパ ル時代、エンジニア候補の物理学博士を面接したことがある。ひとつ目の質問が終わらないう ちに、彼はこう叫んだ。「そこまで!・ 何を訊きたいかわかりました!」だけど、彼は間違って いた。僕は即座に不採用と決めた。  人間についての隠れた真実はあまり重要だと思われていない。おそらく、人の秘密を明かす のに立派な学歴はいらないからだろう。人々があまり語ろうとしないことは何か? 禁忌や夕 ブーはなんだろう?  自然の謎も人間の謎も、解き明かすと同じ真実に行き着くことがある。もう一度独占の謎を 考えてみよう。競争は資本主義の対極にある。もしこのことをまだ知らないのなら、いくらで も実証的に調べることができるI企業収益を定量分析すれば、競争によって収益が失われる ことがわかるはずだ。同時に、人間的な側面から問うこともできる。経営者が口にできないこ とはなんだろう? 独占企業は注目を避けるために独占状態をなるべく隠し、競争企業はわざ と自社の独自性を強調していることに気づくはずだ。表面的には企業間にあまり違いがないよ うに見えても、実際には大きな違いがある。  秘密を探すべき最良の場所は、ほかに誰も見ていない場所だ。ほとんどの大は教えられた範 囲でものごとを考える。学校教育の目的は社会全般に受け入れられた知識を教えることだ。で あれば、こう考えるといいI学校では教わらない重要な領域が存在するだろうか? たとえ ば、物理学はすべての総合大学で主要な専攻科目として確立されている。占星術はその対極に あるけれど、重要な領域とは言えない。では、栄養学はどうだろう? 栄養は誰にとっても大 切だけれど、(Iバードに栄養学の専攻はない。最も優秀な科学者たちは別の分野に進む。こ の分野の大規模研究のほとんどは三〇年から四〇年前に行なわれたもので、そのほとんどには 深刻な間違いがある。低脂肪と大量の穀物中心の食事が推奨されてきたのは、科学の裏づけか らではなく大手食品団体のロビー活動の結果だろう。おかげで肥満の問題はさらに悪化してい る。栄養について学ぶことは多いのに、僕たちははるかかなたの星についての方が詳しい。栄 養学は簡単ではないけれど、不可能でないことは明らかだ。隠れた真実を見つけられるのは、ま さにこういう分野だ。      隠れた真実を見つけたら、どうしたらいいだろう?  隠れた真実を見つけたら、どうするか。誰かに打ち明けるか? それとも自分の中にしまっ ておくか? それは内容によりけりだ。危険な真実もあれば、そうでないものもある。ファウスト はワーグナーにこう告げている。   どれだけの人が、ちゃんと認識したにせよ、   それを胸の奥にしまっておけず、   ついうっかり感じたこと、見たことをしゃべってしまった。   そのあげく、はりつけにされたり火あぶりになったりしたものだ 〔町鮃缸ご葫  完全に常識として通用するものでない限り、みんなにすべてを打ち明けるのは賢いやり方で はない。  では、誰に打ち明ければいいだろう? 君が伝える必要のある人だけに限定すべきだ。実際 には、誰にも言わない場合と、全員に打ち明ける場合の中間に、ちょうどいい落とし所がある。 それが企業だ。優秀な起業家は、外の人が知らない真実の周りに偉大な企業が築かれることを 知っている。偉大な企業とは世界を変える陰謀だI隠れた真実を打ち明ける相手は、陰謀の 共謀者になる。  トールキンは『指輪物語』にこう書いた。   道はつづくよ、先へ先へと、   戸口より出て、遠くへつづく。  人生は長い旅だ。先人の足あとが刻まれた道の終わりは見えない。でも、この物語の続きに は、違う詩が現れる。   角を曲がれば、待ってるだろうか、   新しい道が、秘密の門が。   今日はこの道、す通りしても   明日またこの道、来るかもしれぬ。   そして隠れた小道を通り、   月か太陽へ、ゆくかもしれぬ。 〔J四認h銘ご  先人の通った道は行き止まりかもしれない。隠れた道を行くべきだ。    I    ■  ■  1     −  ・          l  y  −          `            一 四 一                  ・  a             l            「        I  ■     ■  I  f          l  F       『  y  『        ■  瑤  一        一        一  I  一  一                      一  4    一    一  ・  w   一  一  ・  一  ―−  I  I  ぬ  ・   y  y  い  ・  一   I  I  S  一  ・     ・  ―  一     一  f  i  ・   I  I  ・  i     ・  ・ 。     ■  I  S    ・   d  1  1     一  一  一  i  ・   ・  l  e  S        S  9  −     I  I  I  一 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冗談っぽく「ティールの法則」と呼ぶようになった。「創業時がぐちゃぐちゃなスタートアップ はあとで直せない」という法則だ。   何事も始まりの瞬間は特別だ。始まりの瞬間はその後のすべての瞬間と質的に異なっている。  匸二八億年前の宇宙の始まりもそうだった。最初のナノセカンドで、宇宙はI〇の三〇乗倍に 膨張した。この最初の短い瞬間に宇宙は何度も生まれ変わり、物理法則自体も今僕たちが知る ものとは違っていた。  二三八年前のアメリカ建国の瞬間もそうだった。憲法制定会議の最初の数か月間、根本的な 問題の検討は、起草者たちに任された。中央政府はどこまで力を持つべきか? 議会への代表 者をどう配分するべきか? その夏フィラデルフィアで決まった妥協案をどう見るにしろ、そ こで決まったことはそれ以降ほとんど変わっていない。一七九一年に権利章典を批准したあと、 憲法が修正されたのは一七回にすぎない。カリフォルニアの人口はアラスカの五〇倍なのに、上 院の議席数はいまだに同じだ。それはシステムの欠陥でなく特徴なのかもしれない。いずれに しろ、アメリカが存在する限り、このシステムはおそらく永遠に変わらないだろう。新しい憲 法が制定されるとは考えにくい。現在議論されていることは、どれもそれに比べたら小さな問 題だ。  その点では企業もまた国家と同じだ。はじめに判断を間違うと、たとえばパートナー選びに 失敗したり、できない人間を雇ってしまったりすると、あとでなかなか修正できるものではな い。破産の瀬戸際まで追い詰められない限り、誰もそれを正そうとしない。創業者の第一の仕 事は、いちばんはじめにやるべきことを正しく行なうことだ。土台に欠陥があっては、偉大な 企業を築くことはできない。      結婚生活を築く  何かを始めるにあたって、最も重要な最初の決断は、「誰と始めるか」だ。共同創業者選びは 結婚のようなもので、創業者間の確執は離婚と同じように醜い。どんな人間関係もはじめは楽 観的なムードに包まれている。うまくいかない可能性を冷静に考えると興ざめなので、誰も考 えない。だけど、創業者の間で和解しがたい対立が生まれると、その犠牲になるのは企業だ。  ルークーノゼックは一九九九年にペイパルを立ち上げた共同創業者のひとりで、今も僕とファ ウンダーズーファンドで仕事をしている。ペイパルを始める一年前、僕はルークがほかの人と立 ち上げた会社に投資した。それがルークの初めてのスタートアップだった。僕にとっても初め て投資した企業の一社だった。二人とも当時は気づかなかったけれど、そのベンチャーは最初 から失敗するようにできていた。ルークと共同創業者の相性が最悪だったからだ。ルークは頭 の切れる変わり者だった。パートナーは九〇年代のゴールドラッシュに乗り遅れまいとするM BAタイプの人間だった。二人はネットワーキングのイベントで出会い、しばらく話をして一 緒に会社を立ち上げることにしたのだった。それはラスベガスのスロットマシンで隣に座った 人と結婚するのとそう変わらない。大当たりするかもしれないけれど、たいていはうまくいか ない。その会社は空中分解し、僕は大損した。  今スタートアップに投資する時には、創業チームを調べる。技術的な能力や補完的なスキル も重要だけれど、創業者がお互いをどれだけよく知っているかや、一緒にうまくやっていける かも同じくらい重要だ。起業前に経験を共有している方がいいIそうでなければサイコロを 振るようなものだ。      所有、経営、統治  仕事の相性が大切なのは創業者だけではない。スタートアップでは社員みんなが一緒にうま く働いていく必要がある。シリコンバレーのリバタリアンなら、個人事業主になれば問題はな いと考えるだろう。フロイトやユングをはじめ、心理学者はみな、人間の心には多面性がある と言うけれど、少なくともビジネスでは自分ひとりで仕事をしていれば何もかも一致する。た だ残念なことに、それでは作れる会社が限られてしまう。チームの存在がなければ、ゼロから Iを生むことはとても難しい。  シリコンバレーのアナーキストなら、きちんとした組織の枠組みがなくてもうまくやってい ける人材を採用すれば、完全な一致が保たれると考える。職場でのセレンディピティや自由な カオスが、古い社会のおしきせのルールを「破壊」してくれるはずだと。ジェームズーマディス ンが言ったように、「人間がみな天使なら、政府など必要ない」はずだ。でも同時に「人間は天 使ではない」ことをアナーキーな会社は見逃している。企業経営者と、彼らを監督する取締役 の役割が分かれているのはそのためだ。創業者と投資家の権利が正式に決められているのもま た、同じ理由からだ。仲間と協力できる優秀な人材は必要だけれど、全員を長期的に一致させ るような組織構造もまた必要だ。  企業内の不一致の原因を考えるには、次の三つの役割を区別するとわかりやすい。   ・所有‥株主は誰か?   ・経営‥実際に日々会社を動かしているのは誰か?   ・統治一企業を正式に統治するのは誰か?  たいていのスタートアップは、創業者と従業員と投資家の間で所有権を分けあっている。日々 の業務を行なうマネージャーと従業員が、実質的な経営を行なっている。そして通常は、創業 者と投資家からなる取締役会が、統治を行なう。  理論的には、この分担がスムーズにいく。株式所有による金銭的なメリットが投資家と従業 員を惹きつけ、彼らにリターンをもたらす。実質的な経営権は、創業者と社員にやる気と力を 与えるI自分たちで業務を遂行できるからだ。取締役会による監督は、経営陣の計画に俯瞰 的な視点を与える。現実的には、こうした機能を別々の人たちに分散するのは理にかなってい る反面、それが不一致の原因を何倍にも増やすことになる。  その不一致の極端な例が、自動車管理局(DMV)だ。たとえば運転免許の更新が必要になっ たとしよう。理論上は簡単にできるはずだ。DMVは政府機関で、アメリカは民主国家だ。す べての力は「国民」にあり、僕たちに奉仕する政府の代表者を選挙で選ぶのも国民だ。国民は、 DMVの一部所有者だし、それを統治するのも選挙で選ばれた代表者だ。ならば、僕たちは堂々 とそこに行き、必要なものを手に入れることができるはずだ。  もちろん、現実は違う。僕たち国民はDMVを「所有」しているかもしれないけれど、その 所有権は絵に描いた餅のようなものだ。DMVで本当の権力を手にしているのは、日常業務を つかさどる事務員や威張りくさった役人たちだ。名目上の統治権を持つ知事や政治家でさえ、D MVを少しも変えることができない。選挙で選ばれた政治家がどんな手を打っても、官僚制度 の壁は厚く、緩慢な組織体質は変わらない。誰にも説明責任を負わないDMVは、誰の利益と も一致していない。役人は気分次第で免許交付を気持ちのいい体験にも悪夢にもできる。政治 理論を楯に国民である僕らがポスだと言い張っても、サービスが良くなるわけじゃない。  大企業はDMVよりはましだけれど、所有者と経営者の間では、とりわけこうした不一致が 生まれがちだ。たとえば、GMのような大企業のCEOは自社株の一部を所有しているとはい え、全体の中では取るに足らない割合だ。だから企業価値を上げるよりも、経営権を通して自 分が得をしようというインセンティブが働く。好調な四半期業績を報告していれば、高給と社 用ジェット機をキープできる。「株主価値との一致を図るため」という名目で報酬の一部に自社 株を受け取っている場合でさえ、利害の不一致は忍び寄る。株式が短期業績の見返りならば、未 来に株主価値を生むような計画に投資するよりも、コストを削減する方が経営者の得になるし、 はるかに簡単でもある。  巨大企業と違って、初期のスタートアップは創業者が所有し経営する小さな所帯だ。対立が 起きるのは、たいてい所有者と統治者の間、つまり創業者と取締役会の投資家との間だ。お互 いの利害が次第に離れていくにつれ、対立の火種が膨らむ。取締役は自分たちのベンチャーフ ァンドの成績を上げようとして、できるだけ早期に上場させようと目論み、一方で創業者は未 上場のまま成長を目指そうと考える。  取締役会は身軽な方がいい。取締役の頭数が少ないほど、お互いのコミュニケーションが取 りやすく、合意に達しやすく、効果的な監督が行なわれやすい。ただしそれは、対立時に少人 数の取締役会が経営陣に強硬に反対できるということでもある。だからこそ、取締役を賢く選 ぶことが極めて重要になる。取締役一人ひとりが君にとって大切になるからだ。問題のある取 締役がひとりでもいると、それが頭痛の種になり、会社の将来をも台無しにしかねない。  取締役は三人が理想的だ。上場企業でない限り、五人を超えてはならない(上場企業になると 法的規制により取締役の人数を増やさなければならない。平均は九人だ)。最悪なのは、ものすごい頭 数を揃えた取締役会だ。非営利組織に何十人もの理事がいるのを見て、「あれほどたくさんの偉 い人たちが関わっているなんてすごい組織だ! 運営がしっかりしているに違いない」と思う のは、世間知らずというものだろう。実際には、大人数の取締役会は効果的な監督を行なうこ とはできない。それでは、実際に組織を牛耳るミニ独裁者の隠れ蓑になるだけだ。取締役会の 監視から逃れたければ、頭数を増やして取締役会を膨張させればいい。取締役会をきちんと機 能させたければ、少人数にとどめることだ。      バスに乗るか、降りるか  一般論として、スタートアップに関わるすべての人間はフルタイムでなければならない。と はいえ例外もある。たとえば、弁護士や会計士は外部の人を雇う方が合理的だ。一方で、スト ックオプションを持たない人や、固定給をもらう人とは、基本的に利害が一致しないと考えた 方がいい。少なくとも、こうした人たちは短期的な利益に傾きがちで、将来価値を上げる助け にならない場合が多い。だから、コンサルタントを雇っても無駄だ。パートタイムの社員もう まくいかない。遠隔地勤務も避けるべきだ。仲間が毎日同じ場所で四六時中一緒に働いていな ければ、不一致が生まれやすくなる。君が誰かを雇うなら、フルタイムか、雇わないかの二者 択一でなければならない。ケンーキージーは正しかった。バスに乗るか、乗らないかのどちらか しかない。      「キヤツシューイズーキング」は間違い  仕事にI〇〇パーセント打ち込んでもらうには、報酬が適切でなければならない。僕はかな らず、投資を求める起業家に、自分自身にいくら払うつもりかと訊くことにしている。CEO の給料が少なければ少ないほど、会社はうまくいく。これまで数百のスタートアップに投資し てきた中で、僕が気づいたひとつの明らかなパターンがそれだ。ベンチャーキャピタルが投資 するアーリーステージのスタートアップでは、CEOの年収は一五万ドルを超えてはならない。 以前にグーグルではるかに稼いでいたとか、多額の住宅ローンを抱えているとか、子どもの私 立学校の学費がかかるとか、そんなことは関係ない。CEOが年間三〇万ドル以上給料を受け 取っていると、創業者ではなく政治家のようになってくる。高額報酬は現状維持のインセンテ ィブとなるだけで、社員と協力して積極的に問題を表に出して解決していく動機にはならない。 逆に、現金報酬の少ない経営者は企業全体の価値を上げることに力を注ぐ。  CEOの給料が低ければ、それが全員の基準になる。ボックスCEOのアーロンーレヴィは、 自分の報酬が社内でいちばん低くなるようにいつも気をつけていた。起業から四年たっても、彼 は本社からニブロック離れた一部屋のアパートに住み、マットレス以外の家具は持たなかった。 社員全員がアーロンの打ち込みように気づき、それを手本にした。経営者は給料をいちばん低 く設定するのでなければ、給料の上限を引き下げて、模範を示すこともできる。自分の給料を 控え目にして、それを現金報酬の上限とすればいい。  現金は魅力的だ。どんな使い方もできる。給与小切手をもらえば、それを好きにしていい。で も、高額の現金報酬は、現在の企業価値を社員に分け与えることになるだけで、時間を投資し て未来に価値を生み出そうというインセンティブにはならない。現金のボーナスは固定給より も少しはましだI少なくとも、手にできるのは仕事がうまくいったらという条件がついてい る。でも、いわゆるインセンティブ報酬は短期思考と価値の掴み取りを助長する。どんな形で あれ、現金報酬は未来より現在を優先させるものだ。      利害の一致  スタートアップは高給を支払わなくていい。給料よりいいものを提供できるからだI自社 の所有権だ。自社株という報酬形態は、社員の意識を未来価値の創造へと向ける。  とはいえ、株式によって利害対立でなく社員のコミットメントを引き出すには、与え方に注 意する必要がある。全員に同じ数の株式を与えるのは良くない。社員はそれぞれに違った才能 と責任があり、機会費用も違う。株式数を同じにすると、はじめからいい加減でフェアでない と思われる。一方で、最初から人によって差をつければ、公正さに欠けると思われるはずだ。創 業期の恨みは致命傷になりかねないけれど、所有権の分配についてはそれを完全に避けるよう なやり方はない。  この問題は、社員の数が増えるにつれてさらに大きくなる。より大きなリスクをとった初期 の社員は持ち株数も多いものだけれど、後から入社した社員の方が企業の成功に欠かせない存 在となることもある。一九九六年にイーペイに入社した秘書は、一九九九年に入社した業界の ベテラン上司より二〇〇倍も得をしているかもしれない。二〇〇五年にフェイスブックのオフ ィスの壁を飾った落書きアーティストが受け取った株式は二億ドルにもなった一方で、二〇一 〇年に入社した才能あるエンジニアは二〇〇万ドルしか儲けていないかもしれない。完璧にフ ェアな配分は不可能なので、創業者は詳細を開示しない方がいい。各人の持ち株割合リストを 全社メールで流すのは、会社に核爆弾を落とすようなものだ。  ほとんどの人は株式など欲しがらない。以前にペイパルで、儲けになる事業開発案件の交渉 を助けるという約束でコンサルタントを雇ったことがある。彼がうまく交渉したのは、日給五 〇〇〇ドルの現金報酬だけだったI株式オプションの受け取りは拒否した。スタートアップ のシェフが億万長者になったという話には事欠かないのに、ほとんどの人は株式を敬遠する。株 式は現金のような流動性がない。特定の会社だけに結びついている。その会社が成功しなけれ ばただの紙切れになる。  そうした制約があるからこそ、株式は強力なツールになる。現金よりも所有権がいいという 人は、長期的な志向があって、会社の将来価値を上げることにコミットしているとわかる。株 式は完璧なインセンティブにはならなくとも、社員全員の利害を大まかに一致させるにはいち ばん役に立つ。      起業の瞬間を引き延ばす  ボブーディランは言っている。「生まれるのに忙しくない人間は、死ぬのに忙しい」と。彼の 言葉が正しければ、誕生とは一瞬の出来事ではなく、少なくとも詩的な意味では、ずっと引き 延ばせるものらしい。でも、起業の瞬間は本当に一度だけだ。未来価値の創造に向けて人々を 一致させるルールを作るチャンスは、そのスタートの瞬間にしかない。  最も価値ある企業は、すべての始まりである発明に対してオープンな姿勢をずっと貫いてい る。創業のこの側面については、あまり理解されていないI新しいものを作り出している限 り「創業」は続き、それが止まると「創業」も終わるのだ。創業の瞬間に正しいことを行なえ ば、価値ある企業を創造する以上のことができる。つまり、受け継いだ成功のしもべとなる代 わりに、遠い将来にわたって新しいものを創造できる企業を生むことができる。起業の瞬間を 永遠に引き延ばすことさえできるかもしれない。  ―  J 四  I  ―  t  。        l  ・    『              『              一 一  .       i  .  三.…….「.. 二…… 一二八二   十………一`.゛一」.’.  ’コ三十.∠∠.  ブ十回.」.一}”.’ 一        ・  4  皐        ・  9  一  四 四  1  4  I  ・ ・  1  S  S  ・ ・・I・・−−I・・14 I ・ 一 ―  ・     ・  s  I  ・   4  S  I  .   一  a  S  加  s I 一   一   4   1 ・     “     ¥  φ  ! 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I  S    ・.  一  一    ・  ・    ‘. `  I l tl −− ・ → 丶 9 .1  一 一  鈩‘ 一  4 1 丶・I・` f ・ ・ 二‐ ‐一 二 匸‐‐\     ンコニ コ.    \   \  \    \⊃レレ ニニ. ▽ 厂\\☆      ` ”一                                 ”        ’            11 一 一                                      11 ’   思考実験をやってみようI理想の企業文化とはどのようなものだろう? 社員が仕事を好 きでたまらない.会社に行くのが楽しくて仕方なく、勤務時間は形ばかりで誰も時計を気にし ない.職場はオープンで仕切りがなく、社員が家のようにくつろげる.ファイル棚よりクッシ ョンや卓球台の方が多い.無料でマッサージが受けられて、カフェテリアには寿司職人が常駐 し、ヨガ教室なんかもある.ペット同伴もOK。オフィスの水槽にたくさんの熱帯魚が泳ぎ、社 員のペットが会社のマスコットになっている.  どこかおかしくないだろうか? シリコンバレーを有名にしたバカバカしい福利厚生のいく つかもこの中にあるけれど、すべて中身がない。中身のない福利厚生には意味がない。インテ リアデザイナーを雇ってオフィスを飾ったり、人事コンサルタントを雇って社内ポリシーを作 り直したり、プランティンク専門家を雇って会社のキャッチフレーズを作っても、意義のある ことなんて何も達成できない。「企業文化」は企業そのものから離れては存在しない。企業にと って文化とは持つものじゃない。企業そのものが文化だ。スタートアップとは使命を共有する 人びとの集まりであって、良い企業文化とはその姿を反映しているにすぎない。      仕事を超えた関係  僕が作った最初のチームはシリコンバレーで「ペイパルーマフィア」として知られるようにな った。メンバーの多くがテクノロジー企業の立ち上げに参画したり投資したりして成功してき たからだ。僕たちは二〇〇二年にペイパルを一五億ドルでイーペイに売却した。それからイー ロンーマスクはスペースXを立ち上げ、テスラーモーターズの共同創業者となった。リードーホ フマンはリンクトインを共同で創業。スティープーチェン、チャドーハーリー、ジョードーカリ ムらは一緒にユーチューブを立ち上げた。ジェレミー・ストップルマンとラッセルーシモンズは イェルプを創業。デビッドーサックスはヤマーを立ち上げ、僕は友人とパランティアを創業した。 今日、この七つの会社はどれもI〇億ドル以上の価値を持つ。ペイパルの福利厚生がマスコミ の話題になることはなかったけれど、その時のチームはグループでも個人でも非凡な成果を上 げ続けている。僕たちの強烈な文化は、最初の会社を超えて広がったのだ。  こうしてマフィアが集まったのは、単に履歴書を見ていちばん優秀な人間を選んだからじゃ ない。経歴重視の採用に良し悪しの両面があることは、ニューヨークの弁護士事務所で働いた 時に実感していた。僕の事務所の弁護士たちは価値あるビジネスを行なっていたし、一人ひと りが並外れて優秀だった。一方で、お互いの関係は不思議と希薄だった。一日中同じ場所で過 ごしているのに、事務所から一歩出るとほとんど話すこともないようだった。好きでもない相 手とどうして一緒に働いているんだろう? 金を稼ぐには仕方のない犠牲だとみんな考えてい るようだった。でも、案件ごとに働く人間が入れ替わり、単なる仕事だけの関係しか持てない 職場は、冷たいなんてものじゃない。それに、合理的でもない。時間はいちばん大切な資産な のに、ずっと一緒にいたいと思えない人たちのためにそれを使うのはおかしい。職場にいる間 に長続きする関係が作れないなら、時間の使い方を間違っている。投資に値しないということ だ。  僕ははじめから、ペイパルを単なる取引の場ではなく固いつながりのある場所にしようと思 っていた。絆が強いほど、居心地がよく仕事も捗るし、ベイパル以降のキャリアもうまくいく と考えたのだ。そこで、僕たちは一緒に働くことを心から楽しんでくれる人たちを雇うことに した。才能はもちろん必要だけれど、それよりも、ほかでもない僕たちと働くことに興Vして くれる人を採用した。それがペイパルーマフィアの始まりだった。      共謀者を採用する  採用はどの企業にとっても核をなす。だから決して外部に委託してはいけない。履歴書が立 派なだけでなく、会社にとけ込んで一緒に働いてくれる人が君には必要だ。起業当初の四、五 人は株式の割り当てや肩書に釣られることも多い。でもこうした明らかな役得よりも重要なの は、次の質問への答えだI二○人目の社員が君の会社に入りたいと思う理由はなんだろう?  才能ある人材なら、君の会社で働かなくてもいい。引く手あまただからだ。だからこの質問 を、さらに具体的に問い直してみようIグーグルでもほかの会社でもより高給でより高い地 位につける人が、二〇番目のエンジニアとして君の会社を選ぶ理由はなんだろう?  ダメな答えをまず挙げよう。「他社よりストックオプションの価値が高くなる」「優秀な人た ちと仕事ができる」「差し迫った社会問題の解決に役立つことができる」。株式価値、優秀な仲 間、差し迫った問題の何が悪いのか? 何も悪くない。ただ、ほかの会社でも同じことが言え るので、君の会社が特別ということにはならない。他社と変わらない一般的な売り文句では、君 の会社を選んではもらえない。  いい答えは君の会社に固有のもので、この本の中にはない。だけど、いい答えは大まかに二 つに分類される。ひとつは君の会社の使命について、もうひとつはチームについてだ。君の使 命に説得力があれば必要な人材を惹きつけられる。その使命の漠然とした重要性ではなく、ほ かの会社ができない大切なことを君の会社がなぜできるのかを説明しなければならない。それ こそが、君の会社だけが持つ固有の重要性だ。ペイパルでは、米ドルに代わる新たなデジタル 通貨を創るという使命に興奮できる人を採用しようとした。もし興奮できなければ、この会社 には合わない。  とはいえ、偉大な使命だけでは充分じゃない。仕事のできる候補者なら、こうも考えるはず だ。「ここにいる人たちと一緒に働きたいだろうか?」そこで、君の会社が候補者と個人的に相 性がいいことを説明できなければならない。説得できなければ、おそらく相性が悪かったとい うことだろう。  何よりも、待遇競争をしてはいけない。無料のクリーニングサービスやペットホテルなどに 惹かれるような人材は、チームの役には立たないはずだ。健康保険のような基本をカバーした ら、あとは他社にできないことを約束すべきだ。それは、素晴らしい仲間と独自の問題に取り 組める、替えのきかない仕事のチャンスだ。おそらく報酬や福利厚生では二〇一四年のグーグ ルに勝つことはできないけれど、使命とチームについての正しい答えがあれば、一九九九年の グーグルになることができる。      パーカーの下にあるもの  スタートアップは、外から見たときに社員がみな同じように違っていなければならない。  業界によってみんながスキニージーンズを穿いていたり、みんながピンストライプのスーツ を着ていたりする東海岸と違って、マウンテンビューとパロアルトの若者はTシャツを着て仕 事に行く。テック企業の社員は着るものに気を遣わないとよく言われるけれど、Tシャツをよ く見ると会社のロゴが入っているし、社員がかなり気を遣っているのがわかる。スタートアッ プの社員は、同僚と同じブランドのTシャツやパーカーを着ているので、外から見ると同じ会 社にいることが一目瞭然だ。その制服の下には単純ながら重要な原則が隠れているI君の会 社の誰もが同じように違っていなければならない。彼らは企業の使命に心から打ち込む、同じ 志の一族なのだ。  ペイパルの共同創業者のマックスーレヴチンは、スタートアップの初期の社員にはできるだけ 似通った人間を集めるべきだと言う。スタートアップは少人数で経営資源も限られている。素 早く効串的に動かなければ生き残れないし、それには同じ考え方の人が集まっている方がやり 易い。初期のペイパルーチームがうまくいったのは、全員が同じタイプのおたくだったからだ。 僕らはみんなSFが大好きだった。ニールースティーヴンスンの「クリプトノミコン」は必読書 で、コミュニストつぽい「スター・トレック」よりもキャピタリストつぽい「スター・ウォーズ」 の方が好きだった。そして何よりも、政府ではなく個人がコントロールするデジタル通貨を創 り出すことに全員が取り憑かれていた。この会社を成功させるには、外見や出身地で採用する のではなく、入社する人がみんな僕たちと同じくらいこだわりを持っていなければならなかっ た。      ひとつのことに責任を持つ  スタートアップでは、中の全員がそれぞれまったく違う仕事で際立たなければならない。  スタートアップでの仕事の分担を、適材適所を目指した最適化問題と考えることもできる。で も、完璧な解をどうにか出したとしても、すぐに壊れるはずだ。ひとつには、スタートアップ は素早く動かなければならないので、個人の役割が長く固定されることはない。それに、仕事 の分担は単なる社員とタスクの関係にとどまらない。社員同士の関係も、タスクの配分にかか わってくる。  ペイパルの経営者として僕が取った最善の策は、ひとりにひとつの責任を任せることだった。 各社員が受け持つひとつの仕事はどれも違っていて、その仕事だけによって僕が評価を下すこ とを誰もがわかっていた。最初は人材管理を単純化するために始めたことだった。でも、後に なってもっと深い効果に気づいたI役割をはっきりさせることで、対立が減ったのだ。たい ていの社内の争い事は、社員が同じ仕事を競う時に起きる。アーリーステージのスタートアッ プは役割が流動的なので、とりわけそうしたリスクにさらされやすい。社内の競争をなくせば、 単なる仕事を超えた長期的な関係を築きやすくなる。さらには、社内の平和こそ、スタートア ップの生き残りに必要なものだ。スタートアップの失敗と聞くと、競争市場の中で獰猛なライ バルに倒されたに違いないと思われがちだ。でも、それぞれの会社には独自の生態系があって、 内部の縄張り争いは外部の脅威に対して組織を脆弱にする。内部闘争は自己免疫疾患のような ものだ。直接の死因は肺炎だとしても、本当の原因は自分の中に隠れている。      カルトとコンサルタントの間  究極の組織のメンバーは、同じ組織のメンバーとしかつるまない。彼らは家族を無視し、外 の世界を遮断する。だけど、それと引き換えに強い仲間意識で結ばれ、普通の人が否定するよ うな神秘的な「真実」に到達する。そんな組織はこう呼ばれるI「カルト」。完全な献身を求 める文化は外から見ると狂気に映る。悪名高いカルトのほとんどは残忍だったからだ。ジムー ジョーンズもチャールズーマンソンも最期は悲惨だった。  でも、起業家は究極の献身の文化を真剣に受け止めるべきだ。生ぬるい仕事ぶりは心が健全 なしるしだろうか? 単なる仕事と割り切った態度が、まともなやり方なのだろうか? カル トの対極は、アクセンチュアのようなコンサルティングファームだ。彼らに組織固有の際立っ た使命はなく、コンサルタントの入れ替わりが激しいために、長期的なつながりはまったく築 けない。  どんな企業文化も、下の直線上のどこかに位置する。  最高のスタートアップは、究極よりも少しマイルドな           釦 カルトと言っていい。いちばんの違いは、カルトは重要          」^ +H な点を間違って盲信しがちだということだ。成功するス           徴 タートアップは、外の人が見逃していることを正しく信        1 奉している・君がそうした隠れた真実をコンサルタント        叭 から教わることはないし、君の会社が従来のプロフェッ ショナルに理解されなくても心配する必要はない。カル トと呼ばれる方が、まだましだ。なんならマフィアでも かまわない。                                   ン匐                                   タズ                                   ルリ                                   サヒ                                   ンニ                                   コぐ       。     ] ・  …・         ‘ j 。。。 ’。。    丶 。―.I.・     『 ’1.。一       “  −          S            一。 9 ・L…………‘』   ・・T・ミ      ’     ・LT …LT・   ・j・】・・・’ ‘レ      ・二      = ミー 一 一 ・・・    ・ ’ →        ’‐‐ ← ・ に ・    E  y ヽ=     ・ y.f 一 ’・ ・・ ’ ∵匸↓ ‐・ ’二二 ・・’‐ 匸二 ・’  白丁      ’ン 一。广バ。匸。  。一丁…… I I I  ノ}冫:二 匸厂 ・し匸 フ。厂トノ  ‥ペノ。\ レT二 」ノそれを乍れま(・づ< フ ザ  コ  サ 匸   \ 一一一j−亅)・ 。・}→J。4’一。1イー一1一一一   ‐‐‐‐‐‐・二∇    卜二]  厂丁 一       “     ゛  “  一 一 ・ ・‘ ・  ・  ・・ −・ =      \し匸’・”レ’一一・・・‘ ……一・←・一。‐←:I’ ・匸 コ     ー レー       \  ’ 一:110「み’‘`ぶう111 ゛゜・ ドノ「」”二………… 」 <<……一 一んなやてくるマー………… ド ’ノ  ハ十卜 ∵一………一。 ∠厂ご∵卜厂……’。气]二 厂厂。一一゛   匸こレニ ー厂   卜   <し 1     1 1    一 一   ∧   二二    二     匸    匸           ‐‐‐  営業は誰もが行なっていることなのに、ほとんどの人はその大切さが充分にわかっていない。 シリコンバレーはその最たる場所だ。ギークのバイブル、「銀河ヒッチハイクーガイド」シリー ズでは、この地球は営業マンヘの嫌悪感から生まれたことになっている。人類がもともと住ん でいた星の破滅が目前に迫り、脱出を迫られた人々は、三つの巨大宇宙船に分かれて避難する。 思想家、リーダー、成功者は宇宙船Aへ。営業マンとコンサルタントは宇宙船Bへ。そして労 働者と職人は宇宙船Cへ。宇宙船Bが最初に出発し、乗員たちはぬか喜びする。だがそれは策 略だった。AとCの乗員たちは、昔からBの乗員を役立たずだと思っていて始末したがってい ただけだったのだ。そしてBは地球に着陸する。  作り話の中では販売なんてどうでもいいことかもしれないけれど、現実世界では重要だ。商 品のセールスに必要なことを十把一絡げに販売と呼んでいるけれど、その重要性を僕たちは軽 んじている。それは、僕らが宇宙船AとCの乗員と同じ偏見を抱いているからだ。営業マンや そのほかの「仲介者」は邪魔な存在で、いい製品を作れば魔法のように販路が開かれると勘違 いしている。特にシリコンバレーでは「フィールドーオブードリームス」的な発想(「それを作れ ばみんなやってくる」)が一般的で、エンジニアは売ることよりもクールなものを作ることしか考 えていない。でも、ただ作るだけでは買い手はやってこない。売ろうとしなければ売れないし、 それは見かけより難しい。      おたく対営業  アメリカの広告業界は年間一五〇〇億ドルの売り上げを誇り、六〇万人以上を雇用している。 セールス業界は年間四五〇〇億ドルとさらに大きい。三二〇万人が営業職についていると聞く と、ベテラン経営者はもっと多いはずだと考え、エンジニアは困惑のため息をつくIそれほ ど大勢の営業がいったい何をしてるんだ?  シリコンバレーのおたくたちは、広告やマーケティングやセールスに懐疑的だ。というのも、 それが薄っぺらで不合理に見えるからだ。でも、広告には効果があるし、大切でもある。おた くだって君だって、広告に影響を受けている。自分だけは例外だと君は思っているかもしれな いI自分には本物を見る目があって、広告に動かされるのは自分以外の人間だと。でも、あ からさまな売り込みに抵抗するのは誰だって簡単だし、それで自分には独自の判断ができると 思い込んでしまうにすぎない。広告はすぐにモノを買わせるためにあるわけじゃない。のちの 売り上げにつながるような巧妙な印象を刷り込むためにある。だから、自分が影響されている ことに気づかない人は、二重に騙されているわけだ。  おたくたちは、中身で評価されることに慣れている。彼らはコンピュータープログラミングの ような技術の専門家になることで、付加価値を生み出している。エンジニアリングの領域では、 ソリューションは成功するか、失敗するかのどちらかしかない。仕事の評価も同じように簡単 で、見栄えは大して重要じゃない。セールスはその反対で、本質を変えずに見栄えを変えるた めの組織的なキャンペーンだ。エンジニアにとってそれはくだらないことだし、基本的に不正 直だとさえ思っている。エンジニアは自分の仕事を大変だと感じているので、営業マンが顧客 と電話で笑い合ったり、二時間もランチに出かけたりするのを見ると、仕事をさぽっているん じゃないかと疑う。科学やエンジニアリングは見るからに難しそうなので、人はそれを実際以 上に過大評価してしまう。だけど、セールスを簡単に見せるのがどれほど大変かを、おたくた ちは理解していない。      一流の営業はそれとわからない  営業マンはみな役者だ。彼らの仕事は売り込みであって、誠実であることではない。「セール スマン」という呼び名が中傷にもなるのはそのせいで、中古車ディーラーはいかがわしい人物 の典型とされている。でも、僕たちがネガティブな反応を示すのは、ぎこちないあからさまな 売り込み、つまり優秀じゃないセールスに対してだ。一口に営業と言っても能力はピンからキ リまでだ。新人とエキスパートと達人の間にもさまざまな段階がある。セールスの超達人もい る。超のつく達人を知らないとすれば、それはまだ出会っていないからではなく、目の前にい ながら気づいていないからだ。トムーソーヤは近所の友だちにフェンスのペンキを自分の代わり に塗ってもらった。それが、達人の技だ。さらに、用事をしてもらった上にそのことに対して お金を払わせたのは、超達人の技だった。友だちをまんまと口車に乗せたわけだ。一八七六年 にマークートウェインが小説を書いた時代から、何も変わってはいない。  演技と同じで、売り込みだとわからないのが一流のセールスだ。営業にしろマーケティング にしろ宣伝広告にしろ、販売にかかわるほとんどの人の肩書が、「営業」と無縁なのはそういう 理由だ。広告を売る大は「アカウントーエグゼクティブ」と呼ばれる。新規顧客の開拓は「事業 開発」と呼ばれる。企業買収や売却を商売にする大は「インベストメントバンカー」。自分を売 り込むのは「政治家」だ。こうした肩書には理由がある。誰も売り込まれたくないからだ。  どんな仕事でも、営業能力がスーパースターと落ちこぼれをはっきりと分ける。ウォール街 では新卒は数字をはじく「アナリスト」からスタートするけれど、最終目標はティールメーカ ーになることだ。弁護士は法律の専門家であることに誇りを持っているけれど、法律事務所の りIダーは大手クライアントを獲得できる儲け頭だ。学問的業績によって評価される大学教授 でさえ、専門分野で名を上げる宣伝上手な学者に妬みを抱く。歴史や英語についての学術アイ デアは、いくら知的に優れていてもそれだけでは話題にならない。基礎物理学の研究や癌研究 の未来でさえも、売り込みにかかっている。企業人でさえ営業を軽んじる最も根本的な理由は、 世の中のすべての分野のあらゆるレベルが本当は営業に動かされていることを、社会が隠そう としているからだ。  エンジニアの究極の目標は、「何もしなくても売れる」ようなすごいプロダクトを作ることだ。 でも現実のプロダクトについてそうだという人がいたら、嘘になる。妄想か(自分に嘘をついて いるか)、売り込んでいるか(自己矛盾になる)のどちらかだろう。その対極にあるビジネスの格 言が、「最高のプロダクトが勝つとは限らない」だ。経済学者はこれを「経路依存性」によるも のだとする。製品の客観的な品質とは無関係の歴史的経緯によって、どの製品が広範に普及す るかが決まるというものだ。それは事実だけれど、だからといって今僕たちが使っているオペ レーティングーシステムやキーボードの配列は、単なる偶然によって押しつけられたわけじゃな い。むしろ、販売を製品デザインの一部と考えるべきだろう。何か新しいものを発明しても、そ れを効果的に販売する方法を創り出せなければ、いいビジネスにはならない。それがどんなに いいプロダクトだとしても。      どう売るか  差別化されていないプロダクトでも、営業と販売が優れていれば独占を築くことはできる。逆 のケースはない。製品がどれほど優れていても、たとえそれが従来の習慣に合うもので、利用 者が一度で気に入るような製品だとしても、強 力な販売戦略の支えが必要になる。  二つの指標が有効な販売チャネルの条件とな る。つまり、ひとりの顧客から生涯に得る純利 益の平均総額(顧客生涯価値、またはqLV)が、 ひとり当たりの新規顧客獲得費用の平均(顧客 獲得コスト、またはqAC)を上回らなければなら ない。一般的に、商品価格が高いほど、営業コ ストは上がり、またコストをかけることが理に かなっている。最適な販売手段は下の直線上の どこかにある。  コンプレツクスーセールス  平均販売単価が七桁を超える場合、すべての 案件について隅々まで念入りに一対一の注意を 払わなければならない。顧客と良い関係を築く のに何か月もかかることもある。売り込みに成功するのは一年か二年に一度だろう。販売が終 わっても設置やサービスなど、長期間にわたってアフターケアを行なわなければならない。骨 の折れる仕事だけれど、高額商品を売るには、こうした「コンプレックスーセールス」を行なう しかない。  スペースXは、それが可能なことを証明している。立ち上げから数年の間に、イーロンーマス クはNASAと数十億ドル単位の契約を結び、古くなったスペースシャトルをスペースXがデ ザインした宇宙船に置き換えた。こうした巨額案件では技術的なイノベーションもさることな がら政治力が要求され、売り込みは簡単ではない。スペースXは三〇〇〇人をほぼカリフォル ニアの一州で雇用している。既存の航空宇宙産業は、五〇州すべてで五〇万人以上を雇用して いる。議員たちは地元に交付される補助金を失いたくはない。でも、スペースXは毎年数件だ け売り込みを成功させればいいので、イーロンーマスクのような売り込みの超達人は、いちばん のキーパーソンたちに働きかけることに集中し、硬直した政治の壁を破ることができる。  コンプレックスーセールスは、「営業マン」がいない方がうまくいく。僕がロースクールの同 級生、アレックスーカープと立ち上げたデータ分析会社のパランティアでは、営業だけを仕事に する社員はいない。その代わり、CEOのアレックスが月のうち二五日は外に出てクライアン トに会ったり、新規顧客を開拓している。案件の規模はI〇〇万ドルから一億ドルにのぼる。こ れほどの高額案件になると、買い手は営業部門の副社長ではなくCEOと話したがるものだ。  コンプレックスーセールスモデルを持つ企業は、五〇パーセントからI〇〇パーセントの年率 成長をI〇年間続ければ成功する。ハイラルな成長を夢見る起業家は、それでも遅いと感じる だろう。明らかに優れたプロダクトだと顧客が認めれば、売り上げはすぐにI〇倍になると思 うかもしれない。でも、そんなことはほとんどあり得ない。優良企業の営業戦略は、小さく始 まるものだし、またそうでなければならない。新規顧客が既存顧客より大きな契約を結ぶこと はあっても、従来の案件規模からかけ離れた金額の契約を結ぶことはほとんどない。そのプロ ダクトを使って成功した顧客の数がある程度増えたところで初めて、さらに大きな案件に向け た長期的で体系的な売り込み戦略を始めることが可能になる。  個人セールス  ほとんどのビジネスは、コンプレックスーセールスに適さない。一件当たりの平均販売額が一 万ドルからI〇万ドル程度なら、CEOがすべてを自分で売り込む必要はない。こうしたセー ルスの課題は、特定案件をどう売り込むかではなく、適正規模の営業チームを使って幅広い顧 客層に商品を売り込むプロセスをどう確立するかだ。  二〇〇八年、ボックスは、安全に、しかもアクセスしやすい形でグラウト上にデータを保存 する企業向けサービスを開始した。でも、当時はまだ誰もその必要性を自覚していなかったI グラウトコンピューティングはまだメジャーではなかったのだ。状況を変えるため、その夏に 本書共著者のブレイクがボックスの三人目の営業マンとして採用された。ボックスの営業マン たちはまず、ファイル共有の問題に誰よりも頭を悩ませていた少数のユーザーを口説き、その 後クライアント企業の中でユーザーを増やしていった。二〇〇九年、ブレイクはスタンフォー ド睡眠クリニックに少額のボックスアカウントを売り込んだ。クリニックの研究者が、実験デ ータのログを保存するための簡単で安全な方法を探していたからだ。今ではスタンフォード大 学が、大学ブランドのボックスアカウントを全学生と教員に配布し、スタンフォード病院もボ ックスに頼っている。もしはじめから学長に全学的なソリューションを売り込んでいたら、失 敗していたはずだ。もしコンプレックスーセールス戦略で臨んでいたら、ボックスは失敗スター トアップとして今頃忘れられていただろう。個人セールスがこの会社を数十億ドル企業にした わけだ。  プロダクト自身がある種の販売を兼ねるケースもある。ファウンダーズーファンドが投資する ソックドックはオンラインでの病院探しと予約を助ける会社だ。このネットワークに加入する 医師から、毎月数百ドルを受け取っている。一件当たりの平均売上額は数子ドルで、セールス には多くの営業マンが必要になるII社内には営業マンの採用を専門に行なうチームがあるほ どだ。医師に加入してもらうことは、一度の売り上げにつながるだけではない。多くの医師が ネットワークに加入することで、患者にとってこのプロダクト自体の価値が上がる(そして患者 数が増えれば、医師にとっての魅力も増す)。すでに五〇〇万を超えるユーザーが毎月このサービス を利用している。医師の過半数が加入するまでにネットワークの規模を拡大できれば、これが アメリカの医療産業にとっての基本的なインフラとなるだろう。  販売の落とし穴  個人セールス(当然、営業マンが必要になる)と従来の広告宣伝(営業マンは必要ない)の間には、 デッドゾーンがある。たとえば、コンビニのオーナー向けに在庫と発注管理のソフトウェアを 作ったとしよう。ソフトウェアの利用料が1000ドルだとすると、見込み客の中小企業にそ れを売り込む有効な販売チャネルはないようだ。その商品に明らかに価格以上の価値があると しても、それをどう伝えればいいだろう? 広告宣伝は範囲が広すぎる(コンビニのオーナーだ けが見るテレビのチャンネルなどない)か、効率が悪すぎる(たとえば、コンビニ専門誌の広告を見て 年一〇〇〇ドルもする商品を買う人はいないはずだ)。対人セールスが必要だとしても、単価を考え ると見込み客のすべてに営業マンを訪問させる余裕はない。大企業にとっては当たり前のツー ルを中小企業が使わないのは、そうした理由からだ。中小企業オーナーが遅れているわけでも、 ツールが存在しないわけでもない。販売は隠れたボトルネックなのだ。  マーケティングと広告宜伝  マーケティングと広告宣伝は、ハイラルな訴求方法のないような一般大衆向けの低価格品に 効果がある。P&Gが洗剤を個別訪問販売するのは割に合わない(ただ、大手スーパーや量販店に 対応する営業マンはいる。こうした買い手は一度にI〇万本単位で購入を決めるからだ)。消費者製品の メーカーがエンドユーザーに製品を売り込むには、テレビCMを打ち、新聞にクーポンを載せ、 目立つパッケージをデザインしなければならない。  スタートアップにも広告宣伝が効くことはある。ただそれは、顧客獲得コストと顧客生涯価 値を比べてほかのすべての販売チャネルが割に合わない場合に限る。ワービー・パーカーは、自 社デザインのおしゃれなメガネをオンラインで販売するeコマースのスタートアップだ。価格 はI〇〇ドル程度からで、ひとりの顧客が生涯に数個のメガネを買うとすると、CLVは数百 ドルになる。すべての取引に営業マンを張り付かせるには単価が低いけれど、かといって数百 ドルもする品物はハイラルに広がらない。広告を打ち、ひねりのあるテレビCMを流せば、数 百万人のメガネ利用者に良質で割安な商品を紹介できる。彼らは単に、「テレビは巨大拡声器 だ」と考えている。新規顧客獲得の予算がひとり当たり数十ドルしかない場合、できるだけ大 きな拡声器が必要となる。  起業家は誰しも目立つ広告キャンペーンを羨むけれど、スタートアップは、いちばん記憶に 残るテレビスポットや練り上げられたPR戦略を打ち出して大企業と延々競い合いたいという 誘惑に抵抗しなければならない。僕は経験からそれを学んだ。ペイパルは「スター・トレック」 でスコッティを演じたジェームズードゥーアンを雇い、企業スポークスマンになってもらった。 パームパイロット向けの第一弾ソフトウェアの発売イベントで、ジェームズにあの有名なセリ フを披露させたのだ。「私は生涯をかけて人間を転送してきたが、今初めてカネを転送できるよ うになった!」これが裏目に出たIイベントの招待客には通じなかったのだ。僕たちはみん なおたくだったので、機関主任のスコッティの方が、カーク船長よりもエライとばかり思って いた(カーク船長はそれこそ営業マンのように、いつもどこかの珍しい惑星でドンパチやっていて、機関 士に自分の失敗の尻拭いをさせていた)。僕たちは間違っていた。穴ライスラインードットコムがウ ィリアムーシャトナー(カーク船長を演じた俳優)を起用して大々的に打ち出したシリーズ広告は 当たった。ただ、その頃すでにプライスラインはメジャーになっていた。大企業以上の広告費 を出せる初期のスタートアップはない。カーク船長はまさしく唯一無二の存在なのだ。  バイラルーマーケティング  プロダクト自体に友人を呼びこみたくなるような機能がある場合、それはハイラルする。フ ェイスブックとペイパルがあっという間に広がったのはそのおかげだI友だちと何かをシェ アしたり支払いをしたりするたびに、より多くの人が自然にそのネットワークに招き入れられ る。安いだけでなく、早いやり方だ。新規ユーザーがふたり以上のユーザーを呼び込めば、指 数関数的な成長の連鎖反応が起きる。その伝達が速くスムーズに行なわれるのが理想的なハイ ラルの循環だ。つい笑ってしまうユーチュープの動画やインターネットーミームは、すぐに数百 万の視聴者を獲得する。サイクルタイムが極端に短いからだ。たとえば、猫を見て癒されたら、 その画像を友だちに転送するには数秒とかからない。  ペイパルの最初のユーザー数は二四人で、全員がペイパルで働いていた。バナー広告による 顧客獲得はコストがかかりすぎるとわかった。そこで、僕たちは加入者に直接キャッシュバッ クを行ない、さらに友だち紹介に現金を支払うことで、桁外れの成長を遂げた。この戦略の顧 客当たりの獲得コストは二〇ドルだったけれど、顧客数は毎日七パーセントずつ増加し、一〇 日おきに顧客数は倍増した。四、五か月後には数万人のユーザーを獲得し、少額の送金手数料 を課金することで偉大な企業へと発展するための足場を確保した。手数料収入は最終的に顧客 獲得コストを大きく上回った。  ハイラル成長の可能性があるような市場の中の、いちばん重要なセグメントを最初に支配し た会社が、市場全体のラストムーバーとなる。ペイパルはランダムに顧客数を増やすつもりは なかったI最も価値の高いユーザーを最初に獲得しようとした。メールペースの送金市場で いちばん明らかなセグメントは、いまだに普通の銀行から故郷の家族に送金している数百万に のぼる移民たちだった。僕たちのプロダクトなら送金の手間が大幅に省ける。ただ、頻度が少 なすぎた。それよりもよりニッチで送金頻度の高いセグメントを探す必要があった。それが、イ ーペイの「パワーセラー」、つまりネットオークションでの商品売買を生業にしている人たちだ った。当時、イーペイには二万人のパワーセラーがいた。大半は毎日複数のオークションを行 ない、販売と同時に仕入れも行なっていた。ということは、コンスタントに送金が必要だ。し かもイーベイの決済システムは使い物にならなかったので、こうしたプロの販売人は僕たちの サービスを熱烈に歓迎し利用してくれた。このセグメントを独占したペイパルは、イーペイ全 体の決済プラットフォームとなり、イーベイ内でもその外でも、後に追随できる会社はなかっ た。  販売のくべき乗則〉  ビジネスの種類によって、効果的な販売手段は異なる。販売もまた独自のべき乗則に従って いる。ほとんどの起業家には、それがピンとこない。コストをかければ効果が上がると考える のだ。だけど、何人かの営業マンを雇い、いくつかの雑誌に広告を打ち、後付けでハイラルな 機能をプロダクトに付け加えるといった場当たり的なやり方には効果はない。有効な販売チャ ネルをひとつも見つけられずに終わるビジネスも少なくない。いちばんよくある失敗の原因は、 ダメなプロダクトではなく下手な営業だ。有効な販売チャネルがひとつでも手に入れば、ビジ ネスは成功する。もし君がいくつか試してみてどれもものにできなければ、そこで終わりだ。  顧客以外への売り込み  企業が売り込むのはプロダクトだけじゃない。経営者は企業そのものを社員や投資家に売り 込まなければならない。素晴らしい製品なら自然に売れるという嘘には、「人材」版もある。「い い会社なら、みんなが熱烈に参加したがる」というやつだ。その「資金調達」版もある。「偉大 な会社なら、投資家が先を争って投資する」というものだ。こうした熱狂的なお祭り騒ぎは確 かに現実にあるけれど、そこに計算された採用計画や売り込みがない限り、めったに起きるも のじゃない。  マスコミへのアピールは、会社そのものの売り込みに欠かせない。はなからマスコミを信用 しないおたくたちはマスコミを無視しがちだけれど、それは間違いだ。優れたプロダクトなら 販売戦略がなくても売れると期待してはいけないように、いい会社ならPR戦略がなくても賞 賛されると思い込んではいけない。君がハイラルな販売戦略をとっていて、ユーザーの獲得に マスコミへの露出は必要ないとしても、マスコミは投資家や社員を惹きつける助けになる。君 が雇いたくなるような優秀な人物なら、事前に君の会社を調べるはずだIそのグーグル検索 の結果が、君の会社の成功に決定的な影響を与えるだろう。      誰もが売り込んでいる  おたくたちは、販売のことなんて考えたくもないし、営業マンをほかの惑星に追放できれば いいのにと願っていることだろう。僕たちはみんな、自分は何ものにも影響されずに判断し、営 業に惑わされることはないと思いたがる。でも、それは間違いだ。誰もが売り込みに影響され る。社員であれ、創業者であれ、投資家であれ。君とコンピュータしかないような会社だとし ても、例外じゃない。周りを見回してみるといい。営業マンがいないとしたら、君自身がその 営業マンなのだ。     ∇    .Jコ\      .  一  .ココ     ココ    匸∵     .    .  ココ  厂コ・  1 1  1 皋 ・ I     ・  ″ I  4 ・ い     ・  I  I   ・  一  一  い ・ ・         一 ・ ’       .一 い ’・        I          I  ・         I 一 一     龜        一    V  !  一        I        一  一  y          一            W  一        四          ・  −  a    .   い  争 I   ■ ■  &  I     I  い  ・  W  `      一  一  一         奢  一  ・     一  い  I        I  ・  ・        一     ・ −   i  一  一     一  争 ・     ・  j       ” ・ ゛4 ` 一  ’  ・  ’゛″     . . S  .”’゛’       .’一 ’『     ..・ ”   ‐ 『゛.‘ ・゛     ・い・ 』2寸大詞ヒ幾戒〈 口   〉〉  \  十二  1   十人日にと幺械 」1   1L一<ノ日卩tぐt1?tψ▽ 匸   \       △   」  亘 ……  ………              \       \        厂                \コ’     」              ・  一            −          一                     一  一  I  ・     ―  ・   −  ・  齒  一        1         一  一  ―          い  !          I        I  ・  −     一  一  I  S        I  ・        ―  一  成熟産業が低迷するにつれ、ITはものすごいスピードで進化してきたため、「テクノロジ ー」と言えばITそのものだと思われるようになった.今では一五億人が、ポケットに入るデ バイスで世界中の知識を即座に手に入れることができる.今日のスマートフォンは人類を月に 送ったコンピュータの数千倍の処理能力を備えている.ムーアの法則がこれからも続くとした ら、今後のコンピュータはさらに高い能力を持つことになる.  これまでは人間にしかできないと考えられていた分野でも、コンピュータはすでに人間を超 える能力を持つようになった。一九九七年、IBMのディープーブルーはチェスの世界王者だっ たガルリーカスパロフを打ち負かした。クイズ番組「ジェパディー」の史上最強の解答者だった ケンージェニングスは、二〇一一年にIBMのワトソンに敗北した。グーグルの自動運転車は、 今すでにカリフォルニアの道路を走っている。NASCARレーサーのデイルーアーンハートー ジュニアにとっては脅威ではないけれど、ガーディアン紙は(世界中の何百万という迦転手やタク シー業者のために)自動運転車は「次の失業の波を起こすかもしれない」と懸念している。  コンピュータがこの先より多くの仕事をするようになると誰もが思っている。それは人々の 想像をはるかに超えるものになるかもしれない。三〇年後、まだ人間のすることが残っている だろうか? 「ソフトウェアが世界を食い尽くす」−ベンチャーキャピタリストのマークーア ンドリーセンはそうはっきりと言い切っている。同じくベンチャーキャピタリストのアンディー ケスラーは、生産性を上げるには「人間を排除する」のがいちぱんだと嬉しそうに語っている。 フォーブス誌はどちらかというと不安な調子で、読者にこう訊ねた。「機械はあなたに取って代 わるだろうか?」  フューチャリストは「イエス」という答えを望んでいるようにも見える。テクノロジー嫌い は機械に置き換えられることを恐れるあまり、いっそ新しいテクノロジーの開発をすべて止め た方がいいと思っている。どちらの側も、より能力の高いコンピュータが人間の労働力に置き 換わるという前提を疑っていない。だけどその前提は間違っているIコンピュータは人間を 補完するものであって、人間に替わるものじゃない。これから数十年の間に最も価値ある企業 を創るのは、人間をお払い箱にするのではなく、人間に力を与えようとする起業家だろう。      置換か補完か  一五年前、アメリカの労働者は安いメキシコの労働力との競争を心配していた。その心配は もっともだった。人間同士は置き換えられるからだ。今もまた、ロス・ペローが言った「巨大な 吸引音」を心配する声が上がっているけれど、その音は人件費の安いティファナの工場からで はなく、テキサスのどこかにあるサーバー農場から聞こえてくるようだ。アメリカ人は、かつ てグローバリゼーションを恐れたように、テクノロジーを恐れている。でも、状況はまったく 違う。人間は仕事を争い、資源を争う。コンピュータはどちらも争わない。  グローバリゼーションはあるものを別のものに置き換える  ロスーペローが外国との競争を警告した当時、ジョージ・H・W・ブッシュもビルークリントン も自由貿易の福音を説いていたIすべての大に相対的な強みがあり、全員がその得意分野に 特化してお互いと取引を行なえば、理論上は経済全体の富が最大化する。現実に自由貿易がど れほどの恩恵をもたらしているかは、少なくとも労働者にとっては微妙なところだ。競争優位 性に大きな差がある場合には取引から得る利得が大きいけれど、ほんのわずかの賃金で反復作 業をいとわない労働者は世界中にごまんといる。  競争が激しいのは、労働力の供給だけではない。世界中のすべての大が同じ資源を求めてい る。アメリカの消費者は中国からの安いおもちゃや繊維の恩恵を受けている一方で、中国の数 百万人の新たな自動車オーナーのせいで、アメリカ大は高いガソリン価格を支払わされている。 上海でフカヒレを食べようが、サンディエゴでタコスを食べようが、すべての大に食べ物と住 む家は必要だ。しかも、人間の欲望は必要最低限のものでは止まらない。グローバリゼーショ ンが進むにつれ、需要は限りなく伸びていく。中国の数千万の農民たちは、やっと最低限のカ ロリーを確保できるようになると、穀物だけでは満足できずに肉も食べたがるようになる。国 家指導者たちの欲望は、さらにはっきりと同じものに収斂している。サンクトペテルブルグか ら平壌まで、独裁者はみな黄金に輝くルイーロデレールのクリスタルがお気に入りだ。  テクノロジーは人を補う  では、競争について労働者ではなくコンピュ ータの側から考えてみよう。労働力の供給とい う点で、コンピュータは人間とはまったく違い、 その違いは人間同士の違いよりもはるかに大き い。人間と機械は、それぞれ根本的に異なる強 みを持っている。人には意思があるI僕たち は計画を立て、複雑な状況で判断を下す。一方 で、大量のデータを読み解くのはどちらかとい うと苦手だ。コンピュータはちょうどその反対 で、効率的にデータを処理できる反面、人間に とってはしごく簡単な判断でさえ下せない。  この違いがどれほど大きいかを示す例が、グ ーグルが行なっているコンピュータ人間代替プ ロジェクトだ。二〇匸一年、グーグルのスーパ ーコンピュータが新聞を賑わせた。ユーチュー ブで1000万のサムネイル画像をスキャンし た結果、七五パーセントの確率で猫を認識できるようになったというのだ。確かにすごいとは 思うけれど、よく考えるとそれなら四歳児にだってできる。特定の作業では、安いラップトッ プが世界一賢い数学者を負かすことができても、一万六〇〇〇個のCPUを搭載したスーパー コンピュータでさえ子どもにかなわないこともある。人間とコンピュータはどちらが強いとい うものではないIまったく別ものなのだ。  人間と機械がまったく違うということは、コンピュータと手を組めば、人間と取引するより もはるかに多くの利得があるということだ。人間は家畜や照明とは取引しないように、コンピ ュータとも取引する必要はない。それこそが大切なポイントだIコンピュータはツールであ って、ライバルではない。  需要の面でその違いはより明らかだ。先進国の人間と違って、コンピュータはグルメな食事 や高級リゾートの豪華な別荘を求めたりしない。わずかな電力は必要だけれど、それさえ自分 から欲しがったりはできない。新しいコンピューターテクノロジーをデザインして取引相手にす れば、資源をお互いに争う必要もなく、その高度な専門性を問題解決に役立てることができる。 テクノロジーをうまく利用することは、グローバル化する世界で競争を避けるひとつの手段と なる。コンピュータの能力がますます上がっても、コンピュータは人間の代用にはならないI 人間を補完するのだ。      補完的ビジネス  人間とコンピュータの補完的な関係は、単なるマクロレベルの事象じゃない。それは、卓越 したビジネスを築く具体的な手段にもなる。ペイパルでの経験から、僕はこのことを身にしみ て感じるようになった。二〇〇〇年の半ば、ドットコムーバブルの崩壊を生き延びた僕たちは急 速に成長していたものの、ある大きな問題に悩まされていた。クレジットカード詐欺によって 毎月一〇〇〇万ドルを超える被害を受けていたのだ。僕たちは毎分数百、数千という取引を処 理していたので、すべての取引を精査することは不可能だった。人間はそこまでの速度で取引 を管理できない。  そこで、エンジニアなら誰もがやるはずの手を打ったI自動化を試みたのだ。まず、マッ クスーレヴチンが優秀な数学者を集めてチームを作り、詐欺取引の手口を徹底的に調べあげた。 その調査をもとに、リアルタイムで自動的に詐欺取引を特定しキャンセルするソフトウェアを 開発した。だけど、このやり方でもうまくいかないことがすぐに明らかになる。数時間もする と、詐欺師たちは追いついて、手口を変えてきた。敵は変わり身が早く、僕たちのソフトウェ アはそれに適応できなかった。  変わり身の早い詐欺師の手口に僕たちの自動検出アルゴリズムは騙されてしまう一方で、人 間の目はそう簡単にごまかせないことがわかった。そこでマックスとエンジニアたちは、ハイ ブリッドな取り組みができるようソフトウェアを書き換えたIコンピュータが疑わしい取引 を特定して見やすいインターフェースにプラグを立て、オペレータがそれに最終判断を下す。自 分は難攻不落だと豪語していたロシア大詐欺師にちなんで「イゴー」と名づけたこのハイブリ ッドシステムのおかげで、僕たちは二〇〇二年の第1四半期には初めての黒字を計上した(前 年同期は二九三〇万ドルの赤字だった)。FBIは、金融犯罪の捜査にイゴーを使わせてもらえない かと依頼してきた。マックスは鼻高々で、自分は「インターネット闇社会のシヤーロックーホー ムズだ」と自慢していたけれど、それはあながち間違いでもなかった。  こうして大と機械の共生によってペイパルは生き残ることができ、そのおかげで数万社の中 小企業が命綱となるオンライン決済を受けられるようになった。この経緯はほとんどの人の目 に触れず、耳にも大らないことだったけれど、人間と機械が共に問題解決にあたらなければ、こ うしたことは起こりえなかった。  二〇〇二年にペイパルを売却した後も、僕はこのことを考え続けた。人間とコンピュータが 協力することで、個々には成し得ないような劇的な成果を上げられるとすれば、この原則をも とにして、ほかにどんな価値あるビジネスが立ち上げられるだろう? その翌年、僕はスタン フォードで同級生だったアレックスーカープとソフトウェアーエンジニアのスティープーコーエ ンに新しいスタートアップのアイデアを売り込んだ。ペイパルのセキュリティシステムと同じ、 人間とコンピュータのハイブリッド手法を使って、テロリストのネットワークと金融詐欺を探 し出すビジネスだ。FBIはすでに興味を示していた。二〇〇四年、僕たちはバラバラの情報 ソースから特定のテーマを抽出するソフトウェア会社、パランティアを立ち上げた。二〇一四 年の売り上げは予定通りI〇億ドルに達する見通しで、フォーブス誌はパランティアのソフト ウェアを、オサマービンーラディン発見を助けた「キラーアプリ」と呼んだ。  あの作戦について細かいことは明かせないけれど、人間による情報収集だけでも、コンピュ ータだけでも、市民の安全は確保できないということは言える。アメリカの二大諜報機関のや り方はそれと反対だ。CIAはスパイで成り立っている。国家安全保障局(NSA)はコンピュ ータに頼っている。CIAの分析官は大量のノイズから情報を拾い出さなければならず、本当 に深刻な脅威をなかなか特定できない。NSAのコンピュータは膨大なデータ量を処理できる が、テロ行為を目論んでいるかどうかをはっきり特定することはできない。パランティアはこ うした二項対立を超えることを目指している。政府が供給するデータ、たとえばイエメンの過 激派連絡員の電話記録や、テロリスト分子の活動に関係する銀行口座などをソフトウェアが分 析し、疑わしい活動にプラグを立てると、訓練を受けた分析官がそれを精査するのだ。  テロリストの特定だけでなく、パランティアのソフトウェアを使うアナリストは、反乱軍が アフガニスタンでどこに地雷や路肩爆弾を仕掛けるかを予測し、大掛かりなインサイダートレ ーディング事件を起訴に持ち込み、世界最大の児童ポルノ組織を壊滅し、疾病管理センターを 助けて食物媒介性の疾病の拡散を防ぎ、最先端の詐欺探知機能を通して年間何億ドルもの銀行 や政府の損失を回避している。  それを可能にしたのは最先端のソフトウェアだけれど、それよりも重要なのは分析官、検事、 科学者、金融のプロフェッショナルといった生身の人間で、彼らが積極的に関わらなければソ フトウェアは役に立たない。  今どきのプロフェッショナルの仕事を考えてほしい。弁護士は多面的な問題への解決策を、相 手に応じて違うように説明できなければならないI相手がクライアントか、敵の弁護士か、判 事かで、説得方法は変わる。医師は、医療技術だけでなく医学に疎い患者ともきちんとコミュ ニケーションがとれなければならない。優秀な教師とは教科の専門家であるだけでは不充分だ I生徒各自の興味や学習態度によって、指導方法を変えることができなければならない。コ ンピュータはこうした作業の一部を担うことはできるかもしれないけれど、それらをうまく組 み合わせることはできない。法律、医療、教育分野での先端テクノロジーは専門家に取って代 わるものじゃない。それは人間の生産性を上げるものだ。  リンクトインは採用担当者にとってまさにそうしたサービスとなった。二〇〇三年の創業時 に、リンクトインはリクルーターにとって何がいちばん大変かを調査したわけじゃないし、リ クルーターに取って代わるようなソフトウェアの開発を狙ったわけでもなかった。採用は調査 と売り込みの混じった仕事だ。応募者の経歴を精査し、動機と相性を評価し、いちばん有望な 候補者を口説いて入社させなければならない。このすべてをコンピュータに置き換えるのは不 可能だ。リンクトインは採用担当者の仕事の流れを変えることを狙った。今では採用担当者の 九七パーセントがリンクトインの検索とスクリーニング機能を利用して、候補者を集めている。 また、リンクトインのネットワークは個人のブランド管理にも利用され、数借人のプロフェッ ショナルに対しても価値を生み出している。もしリンクトインが、単に採用担当者をテクノロ ジーで置き換えようとしていたなら、今頃は存在していなかったはずだ。  コンピュータサイエンスのイデオロギー  この補完関係をこれほど多くの人が見逃しているのはなぜだろう? それは学校から始まっ ている。ソフトウェアのエンジニアは、人手を省くためのプロジェクトに取り組むことが多い。 そのための訓練を受けているからだ。そもそも学者は専門的な研究によって名を上げる。彼ら の目標は論文を発表することで、それは各自の縄張りを守ることを意味する。コンピュータサ イエンティストにとってその縄張りとは、人間の能力を分解し、コンピュータでも訓練すれば できるような特定の作業に落としこむことだ。  今コンピュータサイエンスでいちばん注目を集めている分野を見てみよう。「機械学習」とい う言葉自体、人間の代替物を想像させるし、この分野の推進者は、充分な訓練用データを与え ればコンピュータがほぼどんな作業でもこなせるようになると信じているようだ。ネットブリ ッグスやアマゾンの利用者なら、機械学習の効果を実感しているはずだ。どちらの会社もアル ゴリズムを使って利用者の閲覧と購入履歴をもとに商品を推奨している。データが多くなれば なるほど、レコメンドも正確になる。グーグル翻訳も同じような原理を使って、粗くても使用 に耐えうる翻訳を八〇か国語で提供している。ソフトウェアが言語を理解しているわけではな く、大量のテキストの蓄積による統計的分析からパターンを抽出しているのだ。  機械が人間を代替するようなイメージを生み出すもうひとつの流行語が、「ビッグデータ」だ。 今どきの企業はデータの量が多ければ生み出す価値も大きいと勘違いして、狂ったようにデー タをかき集めている。でも、ビッグデータはたいていガラクタだ。コンピュータは人間が見逃 してしまうパターンでも発見できるけれど、異なるソースのパターンを比べることもできなけ れば、複雑な行動を解釈することもできない。行動につながるような分析ができるのは、人間 だけだ(または、SF小説の中だけに存在する、人間に似せた人工知能のようなものだ)。  僕たちがビッグデータに惹かれるのは、テクノロジーを特別視しているからだ。僕たちはコ ンピュータにちょっとしたことができたといっては感心するくせに、機械と人間の補完関係か ら生まれた偉業には目を向けない。人間の貢献が機械の神秘性を損なうからだ。ワトソン、デ ィープーブルー、機械学習による最先端のアルゴリズムはクールというわけだ。でも、最も価値 ある未来の企業は、コンピュータだけでどんな問題を解決できるかとは問わないはずだ。人間 が難しい問題を解決するのをコンピュータがどう助けられるだろうかと考えるだろう。      ますます賢くなるコンピュータは敵か味方か?  もちろん、コンピュータの未来はわからないことだらけだ。ますます賢くなるシリやワトソ ンといった擬人化されたロボット知能は、これからくるものの前触れだと考えられるようにな った。コンピュータが僕らの質問にすべて答えられるようになれば、彼らは自分たちがなぜ人 間より下に置かれるのか疑問に思うはずだ。  この代替主義の考え方が行き着くところは、いわゆる「強いAI」だ。それはすべての重要 な面で人間をしのぐコンピュータだ。もちろん、 機械嫌いはその可能性におびえている。フュー チャリストでさえこれには多少不安になるよう だ。強いAIが人類を救うか破滅させるかはわ からない。テクノロジーは人間が自然をコント ロールすることを助け、人生における運命のい たずらを減らすものとされている。もし人間よ り賢いコンピュータが開発されれば、運命のい たずらに復讐のチャンスを与えるかもしれない。 強いAIは壮大な宝クジのようなものだ。勝て ばユートピアに行ける。負ければ穴カイネット が人間に取って代わる。  強いAIが予想のつかない謎ではなくて現実 の可能性だとしても、すぐには実現しないだろ う。コンピュータが人間に取って代わるかどう かは二二世紀の心配事だ。でも、遠い未来の心 配事がぼんやりしているからといって、僕たちが今はっきりとした計画を作るのを諦めていい わけはない。機械嫌いは、いつかコンピュータが人間に取って代わるなら、そもそも開発すべ きでないと言う。熱狂的な未来派は開発すべきだと言う。両者の考え方にダプりはないけれど、 漏れはあるI冷静な人たちが今後数十年でより良い未来を創っていく可能性は、その両極端 の間のどこかにある。これからのコンピュータは、これまで人間がやっていたことをさらにう まくやるだけじゃない。これまで想像もしなかったことを実現する助けになってくれるはずだ。    匸”匸‘    十匸“     厂一 ゛    匸‘       匸‘    コ 匸       \’1‘’゛レ 厂コ几………1 。………  厂厂尸   コ厂ゾ厂。  …… \   几……ノ厂三 ……゛……三≒匚   −  d          l  ・  I         e  4  一    『  ・  4  1     あ ’黔  ・  ・     ・・  一     ・  4 一 6  s            幽  一  一 I    一  一   コ匚     ……… ノ。    几匸匸     三。      厂。   厂ノ厂      厂  二一  三厂       丶レS    \一〇  ミ           △。111   3・エネギー厂厂・  匸\    \`     \    \  \三・   1「\万一一。″1ノニ ト{/}………ぐ ヘレ  J △く二  亘」」………」………   ≒匸‘     …………≒    ……`………‘。   厂厂。   三厂フ『    コ三。コニ几≒  ■ ■  一  I    I   l  a  l  l     `  &  一         6  ・  一     ’ s  I          s  I     一  一  ・  ・         I  I    II  寸  ・ ・     I  φ     I   I  ・  4  一     一  ■  a        ・  s  a        ヽ 1          1  1          4  卜          4     1 1  1  1  1 ■       。        ・  丶  一  一     一  二  二        s  s  ■         s  −          1          4  一  一        一     ・ ――  s ・ l  ニー世紀の頭には、次に来るのはクリーンテクノロジーだと誰もが思っていた。そうじゃな きやいけなかった。北京では隣のビルが見えないほどスモッグが酷くなっていたI息をする だけで病気になりそうだった。バングラデシュでは井戸水がヒ素で汚染され、ニューヨークタ イムズはこれを「歴史上最悪の毒物被害」と呼んだ。アメリカではハリケーンーアイバンとカト リーナが地球温暖化による破壊の前触れだと言われていた。アルーゴアは「過去に我が国が戦争 に臨んだ時と同じだけの危機感と決意で」問題解決にあたるべきだと訴えた。そして、とたん にすべてが動き始めた。何千というクリーンテ クノロジー企業が生まれ、投資家は五〇〇億ド ルを超える金額をここに注ぎ込んだ。世界を「ク リーン」にする運動が始まったのだ。  この努力は失敗に終わる。僕たちが手にした のは健全な地球ではなく、巨大なクリーンテク ノロジー・バブルだった。中でもいちばん有名 な「幽霊」環境企業となったのがソリンドラで、 ほかのクリーンテクノロジー企業もほとんどが 同じように悲惨な最期を遂げた。二〇匸一年だ けでも、四〇社を超える太陽光発電企業が経営 に行き詰まるか破産を申請している。代替エネ ルギー企業の株式指数を見れば、パブル後の劇 的な収縮がわかる。  クリーンテクノロジーはなぜ破綻したのだろ う? 保守派は知ったかぶりをするI環境事 業は、政府の優先課題になったとたんに毒されたというわけだ。でも、環境を優先課題とした のには、合理的な理由があった(し、今もある)。クリーンテクノロジー業界で実際に起こって いたことは、政府の失敗よりもよっぽど複雑だし重要だ。クリーンテクノロジー企業が破綻し たのは、どんなビジネスも答えを出すべき七つの質問をなおざりにしたからだった。 1 エンジニアリング  段階的な改善ではなく、ブレークスルーとなる技術を開発できるだろうか? 2 タイミング  このビジネスを始めるのに、今が適切なタイミングか? 3 独占  大きなシェアがとれるような小さな市場から始めているか? 4 人材  正しいチーム作りができているか? 5 販売  プロダクトを作るだけでなく、それを届ける方法があるか? 6 永統性  この先一〇年、二〇年と生き残れるポジショニングができているか? 7 隠れた真実  他社が気づいていない、独自のチャンスを見つけているか?  これらの要素についてはすでに議論してきた。どの業界かにかかわらず、この質問のすべて に答えるのが優れたビジネスプランだ。もしきちんとした答えがないのなら、君はたび重なる 「不運」に見まわれて、会社は破綻するだろう。七つの質問すべてにしっかりと答えられれば、 運に恵まれ成功するに違いない。五つか六つに答えるだけでも大丈夫だろう。でも、クリーン テクノロジー・バブルの最中は、いい答えがひとつもないままに人々は起業していた。それは、 奇跡を願うようなものだった。  個々のクリーンテクノロジー企業が破綻した具体的な理由はわからない。というのも、ほと んどの会社がいくつもの深刻な過ちを犯していたからだ。その過ちのひとつだけでも会社を破 綻させるには充分で、だから彼らがどう失敗したかを細かく見ていく価値はある。      エンジニアリング  偉大なテクノロジー企業は二番手ライバルより何十倍も優れたプロプライエタリーテクノロジ ーを持たなくてはならない。だけど、クリーンテクノロジー企業は既存技術のI〇倍どころか、 二倍の改善さえできなかった。場合によっては、既存製品より劣るものもあった。ソリンドラ は新型の円筒形太陽電池を開発したものの、円筒形電池は平形の数分の一の効率しかなかった I単純に集光量が少なかったのだ。パネルの底に鏡を取りつけて日光を反射させることで欠 陥を修正しようとしたけれど、あまりに出発点が低すぎて挽回できなかった。  単なる段階的改善ではエンドユーザーからはほとんど改善に見えないため、企業はI〇倍優 れたものを目指す必要がある。たとえば、既存技術より二割効率のいい風力発電機を開発した としよう。といっても、研究室の中での効率だ。一見うまくいきそうに思えるけれど、現実に 新製品にかかるコストやリスクはそこに含まれていない。新技術がユーザーにとって本当に二 割お得だとしても、誇大広告に慣れた消費者はそれを疑ってかかるだろう。一〇倍の改善なら、 掛け値なしに優れたプロダクトだとわかる。      タイミング  クリーンテクノロジーの起業家たちは、ついに登場すべき時がきたと必死に自分を納得させ ていた。スベクトラワットのCEO、アンドリュー・ウィルソンは、二〇〇八年の創業時にこ う語っている。「太陽光発電産業は一九七〇年代末のマイクロプロセッサ産業と同じだ。今後多 くの発見と改善がなされるだろう」。後半は正しいけれど、マイクロプロセッサとの比較は大間 違いだった。一九七〇年に世界初のマイクロプロセッサが開発されて以来、コンピュータは急 速どころか指数関数的に進化した。インテルの製品開発の歴史を見ればそれは明らかだ。  一方で、世界初のシリコン太陽電池がベル研究所で開発されたのは一九五四年−ウィルソ ン発言よりも半世紀以上も前になる。その間に変換効率は上がったものの、進化のスピードは 遅く、直線的だったIペル研が発明した最初の太陽電池の変換効率六パーセントに対して、直 近の結晶系シリコン太陽電池も薄膜電池も、二 五パーセントを超える変換効率には達していな い。二〇〇〇年代の半ばになると技術的な進歩 はあまり見られず、すぐに大幅な改善は期待で きなかった。動きの遅い市場に参入することが 賢い戦略となる場合もあるけれど、それは市場 を独占できるような具体的かつ現実的な計画が ある時だけだ。破綻したクリーンテクノロジー 企業にはそれがまったくなかった。      独占  二〇〇六年、テクノロジー投資家のジョンー ドーアはこう宣言した。「グリーンは新たな赤、 白、青(星条旗色)だ」。「赤」で止めておくべき だったかもしれない。ドーアが言うとおり、「インターネット市場は数十億ドル規模。エネルギ ー市場は数兆ドル規模」だ。でも、数兆ドル規模の市場が過酷で血なまぐさい競争の場である ことを、彼は言い忘れたようだ。ドーアの言葉はたびたび繰り返された。二〇〇〇年代、僕は 何十社もの環境関連企業から数兆ドル規模の市場というバラ色のストーリーを聞かされた。大 きな市場がいいことだとでも言うように。  代替エネルギー企業の経営陣は、エネルギー市場は新規参入者をすべて受け入れられるほど 巨大だと言い張り、誰もが自分たちの会社に特別な優位性があると口を揃えていた。二〇〇六 年、太陽電池を製造するミアソーレのCEO、デイブーピアースは、議会の特別委員会で、自分 の会社はある特殊な薄膜太陽電池の開発に「特に優れた」いくつかのスタートアップの中の一 社でしかないことを認めた。その数分後、ピアースはミアソーレが数年のうちに「世界最大の 薄膜太陽電池メーカー」になるだろうと言ってのけたのだ。そうはならなかったけれど、たと えそうなったとしても大した助けにはならなかったはずだ。薄膜は何十種類とある太陽電池の 一種にすぎない。ユーザーにとってはどんな技術かはどうでもよく、これまでより優れた問題 解決の手段ならそれでいい。しかも、小さな市場で独自のソリューションを独占できなければ、 過酷な競争からは抜け出せない。ミアソーレも例外でなく、この会社は投資家がつぎ込んだよ りも何億ドルも低い金額で二〇匸二年に買収されることになった。  自分たちの独自性を誇張することで、独占の 質問をかわすことはできる。たとえば、君の太 陽光発電会社が数百件のソーラーパネルシステ ムを設置し、合計でI〇〇メガワットの発電能 力を確保したとしよう。アメリカ全体の太陽光 発電能力は九五〇メガワットなので、君はI〇・ 五三パーセントの市場シェアを握っていること になる。やった、と自分を褒めるだろう。これ でプレーヤーになれた。  だけど、アメリカ国内の太陽光発電市場が正 しい比較の対象だろうか? 一ハギガワットの 能力を持つグローバルな太陽光発電市場が相手 だとしたら? 一〇〇メガワットなんてほんの 雑魚でしかない。君の市場シェアはIパーセン トにも満たない。  では、正しい比較対象が世界の太陽光発電で はなく、再生可能エネルギー全体だとしたらど うだろう? グローバルな再生可能エネルギー の年間生産能力は四二〇ギガワット。君のシェ アは○・○ニパーセントに縮んでしまう。そし てグローバルな総発電量の一万五〇〇〇ギガワ ットに比べると、一〇〇メガワットなんて大海 の一滴にしかすぎない。  クリーンテクノロジーの起業家は、救いよう のないほど市場の捉え方を勘違いしている。自 分たちの差別化を強調できるようにわざと市場 範囲を狭め、そのくせ市場が巨大で儲かると言 って価値を高く見せたがる。でもその市場セグ メントが架空のものなら独占はできないし、市 場が巨大なら競争が過酷で成功の可能性は低い。 環境テクノロジーの起業家になるくらいなら、パ ロアルトのダウンタウンにイギリス料理のレス トランを開店する方がまだましだろう。      人材  エネルギー問題はエンジニアリングの問題だ。 ということは、クリーンテクノロジー企業を経 営しているのは技術屋だと思うかもしれない。で もそれは間違いだ。失敗企業を経営していたの は、驚くほどテクノロジーに疎いチームだった。 営業マン経営者は資金調達や政府の補助金獲得 には長けていたけれど、消費者が欲しがる製品 を開発することにかけてはそうでもなかった。  ファウンダーズーファンドにいる僕たちには、 それが予想できた。何よりそれが表われていた のが服装だ。環境エネルギー企業の経営者たち はスーツにネクタイで走り回っていた。ものす ごく赤信号だ卜本物の技術屋はTシャツとジ ーンズ姿のはずだから。そこで、僕たちは統一 ルールを決めたI創業者が正装して売り込み に来るような会社はパス。それぞれの会社を細 かく評価していたとしても、おそらく同じ結果 になったはずだけれど、スーツを着たCEOの いるテクノロジー企業には絶対投資しないとい うルールのおかげで、意思決定が速まった。一 流の営業は、売り込みだとわからない。売り込 み上手なCEOは歓迎だけれど、いかにも営業 マンらしいCEOは実はおそらく売り込み下手 で、テクノロジーについてはさらにお粗末だと 思っていい。      販売  クリーンテクノロジー企業は政府や投資家との付き合いはうまかったけれど、消費者のこと を忘れていたようだ。彼らは高い勉強代を払って、現実の世界は研究室ではないことを学んだ I販売と流通はプロダクトそのものと少なくとも同じくらい大切だということだ。イスラエ ルの電気自動車スタートアップ、ベタープレイスは二〇〇七年から二〇匸一年の間に八億ドル 以上を調達し、交換可能なバッテリーパックと充電ステーションを開発した。彼らは「汚染を 生み出す輸送テクノロジーへの依存を減らすような、環境に優しい代替手段を創り出すこと」 を目指した。そして、それを実現したI破産を申請する前に少なくとも1000台は売った のだから。それほどの台数を売っただけでもすごい。というのも、消費者にとってはあり得な いほど買いづらい代物だったからだ。  まず、消費者は実際に何を買わされているのかよくわからなかった。ベタープレイスはルノ ーからセダンを仕入れ、それに電池と電気モーターを搭載していた。これは電気仕掛けのルノ ーなのか、あるいはベタープレイスの車だろうか。いずれにしろ、買うことを決めたら、いく つかのハードルを乗り越えなければならない。まず買い手はベタープレイスからの承認を受け る必要があった。そのためにはバッテリー交換ステーションの近くに住んでいることを証明し、 決まった道を走ると約束しなければならない。それに合格すると、充電のための定期燃料購買 契約に加入させられる。そこで初めて、道路に車を止めてバッテリー交換をするという新しい 習慣を習い始めることができる。  ベタープレイスは、テクノロジーさえあれば自然に売れるはずだと考え、市場に向けてはっ きりと優位性を打ち出すことさえしなかった。それを歯がゆく感じていたユーザーは、会社が 潰れてこう振り返った。「テルアビブのビルボードにトヨタのプリウスとこの車の写真を並べて、 こっちは値段は同じで四年分の燃料がついてくると宣伝すればよかったのに!」いずれにしろ 彼はこの車を買ったわけだけれど、ほとんどのユーザーと違って彼は「これに乗り続けるため ならなんでもする」という趣味人だった。残念ながら、それはかなわなくなってしまった。ベ タープレイスの取締役会は、「技術的な問題は克服できたが、それ以外に乗り越えられない障害 があった」として、二〇匸二年にこの会社の資産をたった匸一〇〇万ドルで売却してしまった。      永続性  すべての起業家は、自身の市場でラストムーバーとなるような戦略を立てるべきだ。まずは じめに、こう自問しなければならないI今からI〇年から二〇年先に、世界はどうなってい て、自分のビジネスはその世界にどう適応しているだろうか?  それにきちんと答えられる環境テクノロジー企業はほとんどなかった。その結果、みんな同 じような言い訳を残して消えていった。二〇一一年、破産申請の数か月前、エバーグリーンー ソーラーは、あるアメリカエ場の閉鎖をこう説明していた。    中国の太陽光発電企業は政治的にも財務的にも大きな支援を受け…・:我々の生産コスト   は初期計画を下回り、大半の欧米メーカーをも下回っているが、中国の格安ライバルをは   るかに上回る…。:  「中国バッシング」の大合唱が本格的に広がったのは二〇匸一年だった。米国エネルギー省の 支援を受けたアバウンドソーラーは、破産申請書類の中で「中国のソーラーパネルーメーカーの 略奪的価格設定が、アーリーステージにあるスタートアップの規模の拡大を阻害した」と非難 している。二〇匸一年二月に破綻した太陽光パネルメーカーのエナジーコンバージョンは、プ レスリリースで中国を責めるだけでは足りず、中国太陽光発電メーカー大手三社に対して九億 五〇〇〇万ドルの訴訟を起こした。ソリンドラの破産管財人もまた、その年の後半にその三社 を独占、談合、略奪的価格設定を理由に訴えている。でも、中国メーカーとの競合は本当に予 測不可能だったのだろうか? 環境テクノロジー起業家は永続性の質問をこのように言い換え て自問してみるといいI中国から自分たちのビジネスを守るにはどうしたらいいだろう? 答 えがないのなら、潰れるべくして潰れたわけだ。  環境テクノロジー企業は、同じプロダクトを製造するライバルの出現を予期できなかったば かりか、エネルギー市場全体に関して間違った前提を抱き続けていた。化石燃料の枯渇をあて にしていた環境業界は、水圧破砕法による天然ガスの台頭にまったく気づいていなかった。二 〇〇〇年に水圧破砕法によるシェールガスの供給は国内の天然ガス全体のわずか丁七パーセ ントだった。五年後、その割合は四・一パーセントに上昇していた。それなのに、環境テクノ ロジー業界の誰もが、このトレントを真剣に捉えていなかった。再生可能エネルギーが未来へ の唯一の道だと思っていたI今後化石燃料の価格が下がるはずがないし、クリーンになるは ずもないと。だけど、現実には反対になった。二〇匸二年、シェールガスは国内の天然ガス供 給の三四パーセントを占め、ガス価格は二〇〇八年以来、七〇パーセント以上下落し、ほとん どの再生可能エネルギー企業のビジネスモデルを破壊した。水圧破砕は長期的なソリューショ ンではないかもしれないけれど、その台頭を見逃したクリーンテクノロジー企業を破綻させる には充分だった。      隠れた真実  環境テクノロジー企業はいずれも、世界をよりクリーンにする必要があるという聞き慣れた 真実で自己を正当化していた。社会がこれほど熱心に代替エネルギーを求めているからには、す べての環境テクノロジー企業に巨大なビジネスチャンスがあるはずだという妄想を自分に信じ 込ませていたのだ。太陽光への強気な姿勢が、二〇〇六年にはどれほど常識になっていたかを 考えてほしい。その年、ブッシュ大統領は「アメリカ人家族がソーラールーフを通して自分で 電力をまかなえる」未来を高々と謳っていた。クリーンテクノロジー起業家であり投資家でも あるビルーグロスは、「ソーラーの可能性は巨大だ」と宣言した。ソーラーパネルーメーカー、ソ ラリアの当時のCEOスヴィーシャルマは、太陽光は「ゴールドラッシュを彷彿とさせる」と 認めながらも、「ここには本物の金がある。つまり、我々の場合それは日光だが」と言った。で も、その「常識」に飛びついた多くの太陽光パネルメーカーーQセルズ、エバーグリーン・ ソーラー、スペクトラワット、そしてグロス自身のエナジー・イノベーションをはじめとした その他多くの企業−は、前途洋々のスタートからあっという間に破産法廷へと転げ落ちた。彼 らは誰もが異論のない「常識」をもとに明るい未来を描いていた。偉大な会社は隠れた真実に 気づいている。具体的な成功の理由は、周りから見えないところにある。      社会起業家という神話  環境テクノロジー起業家は、商業的な意味での成功だけを求めていたわけではなかった。環 境バブルはまた、史上最大の「社会起業」現象であり、最大のどんでん返しだった。この慈善 目的のビジネスというアプローチの根っこには、営利企業と非営利組織は対極にあるという前 提が存在する。企業には大きな力があるけれど、利益追求という足かせをはめられている。非 営利組織は公共の利益を追求しているけれど、経済全体の中では弱い存在だ。社会起業は両方 のいいところを組み合わせ、「社会のためになることをして、利益を上げる」ことを狙っている。 ただし、だいたいはどちらも達成できずに終わる。  社会的目標と利益目標の板挟みは成功の妨げとなる。「社会的」という言葉自体のあいまいさ はさらに問題だ。「社会的にいいこと」というのは、社会のためになることなのか、それとも単 に社会の誰もがいいと見なしていることだろうか? 誰もが手放しで「いい」ということは、代 替エネルギーのようなありふれたアイデアと同じで、もはやただの常識にすぎない。  だから進歩を阻んでいるのは、営利企業の強欲と非営利組織の善行とのぶつかり合いじゃな いI両者の共通点こそが、僕たちの足を引っ張っている。営利企業がお互いを模倣し合うよ うに、非営利組織も揃って同じ課題を追求する。環境テクノロジーがいい例だろう。あまりに 広すぎる目標の名のもとに、数百もの似たり寄ったりのプロダクトが作られている。  本当に社会のためになるのは、これまでと「違う」ものだ。それが新たな市場の独占を可能 にし、企業に利益をもたらす。最良のビジネスは見過ごされがちで、たいていは大勢の人が手 放しで称賛するようなものじゃない。誰も解決しようと思わないような問題こそ、いちばん取 り組む価値がある。      テスラ‥七つの質問すべてに答えたスタートアップ  このI〇年の間に起業された環境関連ビジネスの中で、今も生き残っている数少ない企業の ひとつがテスラだ。彼らは誰よりも巧みに環境テクノロジーの波に乗る一方で、七つの質問の すべてに答えた企業でもある。彼らの成功から学ぶことは多い。 テクノロジーーテスラにはライバルメーカーも信頼を寄せるほど高い技術力がある。ダイムラ ーはテスラのバッテリーパックを使用、メルセデスーベンツはテスラのドライブトレーンを、ト ヨタはテスラのモーターを使っている。GMはテスラの動きを追うためのタスクフォースを設 置したほどだ。でも技術面の最も大きな成果はパーツや部品単体ではなく、多くの部品を組み 合わせて高品質な製品にまとめ上げる能力だ。隅々まで行き届いたエレガントなデザインのモ デルSセダンは、パーツの集合体を超える価値がある。コンシューマーレポート誌はこのモデ ルに史上最高の評価を与え、モータートレントとオートモビルの両誌がこれを二〇一三年のカ ー・オブーザーイヤーに選んだ。 タイミング一二○○九年、誰もが環境テクノロジーへの政府の支援が続くものと予想していた I環境ビジネスの創出は政治的な優先課題で、補助金がすでに予算に組み込まれ、温室効果 ガスの排出取引を認める法案が議会を通過する見通しだった。だけど、じゃぶじゃぶの補助金 が無限に流れ込んでくると誰もが思い込んでいた中で、テスラCEOのイーロンーマスクはこれ がI度きりのチャンスであることを見抜いていた。二〇一〇年一月、オバマ政権のもとでソリ ンドラが破綻し補助金が政治的に取りざたされるようになるおよそ一年半前、テスラはエネル ギー省から四億六五〇〇万ドルのローンを確保した。二〇〇〇年の半ば、五億ドル近い補助金 なんて誰も想像しえないことだった。今でもそうだ。それが可能だった一瞬を、テスラは完璧 に捉えたのだ。 独占一テスラは自分たちが独占できる極めて小さな市場からスタートした。ハイエンドの電気 スポーツカー市場だ。二〇〇八年に発売された初代ロードスターは三〇〇〇台しか売れなかっ たものの、一〇万九〇〇〇ドルという価格を考えれば、無視できない金額になる。小さく始め たことで、テスラは少し価格の低いモデルSの開発に必要なR&Dにも着手でき、今では高級 電気セダン市場もほぼ独占している。二〇一三年には二万台のセダンを販売し、より大きな市 場へと将来的に拡大できる好位置につけている。 チーム‥テスラのCEOは最高のエンジニアであり、最高のセールスマンでもある。だからそ の両方に秀でた人材を集められたのもうなずける。イーロンはチームをこんな風に言っている。 「テスラに入社することは、特殊部隊に入るようなものだ。通常の軍隊も結構だが、テスラで働 けばワンランク上に登れる」 販売一ほとんどの企業は販売を軽く見ているけれど、テスラはそれを真剣に受け止め、自社の 販売網を持つことを決めた。独立系ディーラーに頼る自動車メーカーは多いIフォードとヒ ュンダイは製造だけを行ない、販売は他社に任せている。テスラは自社の販売店で販売とサー ビスを行なっている。従来のディーラー販売より初期投資ははるかに大きいが、このやり方な ら顧客体験をコントロールでき、テスラのブランドを強化して、長期的には節約できる。 永統性‥テスラはスタートダッシュを決め、誰よりも速く前進している。ということは、今後 他社との差がますます広がるということだ。みんなが欲しがるブランドになったことは、明ら かなブレークスルーの証拠だ。自動車は消費者にとっていちばん大きな買い物のひとつで、こ の分野で消費者の信頼を得るのは簡単なことじゃない。同業他社と違ってテスラはいまだに創 業者が経営しているので、しばらくはこの会社が減速することはないだろう。 隠れた真実一テスラは、環境ビジネスへの関心が流行に左右されることを承知していた。特に 富裕層は自分を「グリーン」に見せたがり、そのためには箱っぽいプリウスや不格好なホンダー インサイトに乗ることもいとわなかった。そんな車に乗ってもクールに見えるのは、「地球に優 しい」セレブたちも同じ車に乗っているからだ。そこでテスラは、単に乗っているだけで人を 「クール」に見せる自動車を作ることにした。そのカッコよさに、レオナルドーディカプリオで さえ、プリウスを捨ててより高価な(見かけも値段も匸アスラーロードスターに乗り換えたほどだ。 ほとんどの環境企業が差別化に苦労する中で、テスラは隠れた真実を発見し、その上に独自の ブランドを築いた。それは、クリーンテクノロジーは環境に必要なものというより、むしろ社 会現象であるという真実だった。      エネルギーの未来  テスラの成功は、クリーンテクノロジー自体になんの問題もないことを証明している。その 背景にある大きな発想は正しいI世界は新たなエネルギー源を本当に必要としている。エネ ルギーは生きるために不可欠な資源だ。食べ物、住処、居心地のいい生活に必要なすべてのも とになる。世界中のほとんどの人は、今のアメリカ人と同じような暮らしを夢見ているけれど、 新しいテクノロジーを開発しなければ、グローバリゼーションによって今後ますますエネルギ ー状況は厳しくなるだろう。古いやり方を模倣したり、今の繁栄を再分配するだけの余裕は、こ の世界には残されていない。  クリーンテクノロジーはエネルギーの未来に 明るい見通しをもたらした。ただし、代替エネ ルギーという大ざっぱな概念に賭けた、あいま いな楽観主義者の投資家が、具体的なビジネス プランもないクリーンテクノロジー企業に投資 したために、バブルが起きた。代替エネルギー 企業の二〇〇〇年代の株価をそのI〇年前のナ スダック指標と重ねると、ほぼ同じ形であるこ とがわかる。  一九九〇年代には、ひとつの大きな発想があ ったIインターネットはビッグになる。だけ ど、どのインターネット企業もこのまったく同 じ発想しかなくて、それ以外の発想は何も持ち 合わせていなかった。こうしたマクロ規模の洞 察を得たとしても、起業家がそれを独自の計画 に落とし込み、小さな規模から始めない限り、マ クロトレンドから恩恵を受けることはできない。環境テクノロジー企業も同じだ。どれほど世 界がエネルギーを必要としていても、具体的な問題への優れたソリューションを提供できなけ れば、お金にはならない。どんなに重要な産業でも、参入するだけでは偉大な企業にはなれな い。  テクノロジー・バプルは環境バブルよりはるかに大きく、その崩壊もまた大きな痛みを伴っ た。それでも九〇年代の夢は正しかったことが証明されている。二〇〇一年当時は、インター ネットが出版や流通や日常的な人付き合いを根底から変えることなんてないだろうと言う人も いたけれど、今ではそれが冗談のようだ。ドットコムーバブル崩壊の後に起業したウェブ2.0のス タートアップが成功したように、環境バブル崩壊の後には新たなエネルギー企業が成功するだ ろうか? マクロレベルでエネルギー問題の解決が今も求められていることは間違いない。で も、ニッチを見つけて小さな市場を支配しなければ、価値ある企業にはなれない。フェイスブ ックはいち大学のキャンパス内でのサービスとして始まり、その後ほかの大学へ、そして世界 全体へと広がった。エネルギー問題の小さな市場を見つけるのは想像以上に難しい。離島の動 力源をディーゼルから置き換えることもできるし、戦闘地域の軍事キャンプに移動式のモジュ ラー炉を設置することもできるかもしれない。逆説的だけれど、エネルギー2.0を生み出す起業 家は、小さく考えることが必要になる。 J        。              ∴コ」     匸‘     匸 11      匸\  ・匸 卜‘  厂厂コ  万ご厂厂  ∠二二丁 二二二万  二厂二。 べし\\ \匸……‘ ゜ン \   コ         ` ‥‘         ’ ] ・         ‐‐ ・ 一 。            ’        、『           。        ”         ・ 一    ・‘  I  あ        あ  S  f  4    『  ゆ ・ 4 ・ −   ・ ・ ・ 一 を 一一  ・ ・    ″‐・;t‐’‐f‐『flll.‐’;一:‥。。・・・ ・  ・ ・ ・i 。:→  一  ・  。’・‘f  l  一  ’  ・ ・ ・ へ  ……`    二しこy  \匸  厂・し「し\ :::4一’S ’I    レ厂レ匸\  ▽匸゛ヅ 厂匸 し’レ ニ\ \「4T批2だ吩葭ソÅ一7ぐづyy」廴〈十二二二\\ I 創業者のでフ下ックスノー<∇  」」こ」〈」……L………づ……」 コ“ ’」万一 ⊃ 」犬 J    ≒ニト     \∇‘     一  万 」万∠厂   万厂厂     \ご・’    匸 卜’一  ゛’゛广   ’へ’……一‘∠厂厂/ \卜’・’\コ匸广∠厂’厂二厂‘ ∠二・へ……………厂厂。 \し  一  ‘二二 \       万ノノ’  ‐二\   コニニ广。二匸\\    万   …… ・     匸  ペイパルの創業者六人組のうち、四人は高校時代に爆弾を作っていた。  五人はちょうど二三歳か、それより若かった。僕らのうち四人はアメリカ生まれではない。三 人は共産圏からの脱出者だIユーパンは中国、ルークーノゼックはポーランド、マックスーレ ヴチンはソ連時代のウクライナ出身だ。もちろんそうした国でも、普通の高校生は爆弾など作 らない。  僕ら六人組は、人の目には奇異に映ったことだろう。僕が初めてルークと交わした会話は、大 体の冷凍保存についてで、彼は未来の医療技術 で蘇生してもらえることを期待して遺体を保存 する契約を結んだところだった。マックスは自 分にはふるさとといえる国がないと言い、それ を誇りにしていたI彼の家族はソ連崩壊とと もに政治的亡命者となってアメリカに逃れた。ラ スーシモンズはトレイラー生活からイリノイ州ト ップの理系校へと進んだ。典型的なアメリカの 特権階級に育ったのはケンーハウェリーだけだ Iペイパルで唯一のイーグルスカウトだ。で も、ケンの仲間たちは彼が一流銀行を蹴ってそ の三分の一の給料しか稼げない僕たちに加わる ことを狂ってると思ったらしい。ということは、 彼も普通じゃなかったわけだ。  創業者とは誰でも非凡なのだろうか? それ とも、非凡な部分を取り上げて誇張しているだ けなのか? 何より重要なのは、実際にどの個 人的資質が創業者として大切なのかということ だ。この章では、取り換えのきく管理職ではな く、際立った個性を持つリーダーが会社にとっ てなぜ重要で、同時になぜ危険なのかについて 見ていこう。      差別化のエンジン  世の中には強い人間もいれば弱い人間もいる。 天才もいれば鈍い人もいる。だけど、ほとんど の人はその中間にいる。その割合はきれいな正 規分布になるはずだ。  創業者の多くは極端な個性を持っているよう に見えるので、創業者だけの分布なら両端が厚 くて山の低いグラフになると思うかもしれない。  だけど、そのグラフからは創業者に共通する 奇妙な特徴はわからない。普通なら、ひとりの 中に正反対の特徴は共存しない。たとえば、あ る人が金持ちでもあり、同時に貧乏だというこ とはあり得ない。でも、創業者にはそれが起こ り得る。スタートアップのCEOは現金はなく ても紙の上では億万長者だということがある。鼻 持ちならない嫌なヤツと魅力あるカリスマの問 を行き来することもある。成功している起業家 はほとんどみなインサイダーでありながら同時 にアウトサイダーだ。成功すると、有名にもな るけれど悪名にもまみれる。創業者の資質をグ ラフにすると、正規分布の反対になる。  この奇妙で極端な資質の組み合わせはどこか らくるのだろう? 生まれつきという場合もあ れば、環境によって身につく場合もあるだろう。 でも、おそらく創業者は本当は見かけほど極端 じゃないはずだ。だとすると、ある部分をわざ と誇張しているのかもしれない。周りが大げさ に言っているだけという可能性もある。そうし た影響が極端な部分をさらに極端にしているこ ともある。変わった人間が変わった行動をする ことで、ますます変わって見えるのだ。  たとえば、バージングループ創業者のリチャ ードーブランソン卿を例に挙げてみよう。彼は生 まれつきの起業家と言っていい。一六歳で初め て起業し、わずか二二歳でバージンーレコードを 立ち上げた。だけど、それ以外の特徴、たとえ ばトレードマークのふさふさのライオンヘアー は、それほど天然でもない。もともとの見かけ はかなり違っていたようだ。ブランソンが極端                       な性格を演出するにつれ(全裸のスーパーモデル                       とのガイドポーティングはPR戦術だろうか? それ                       ともただの遊び? その両方?)、マスコミはせっ                       せと彼を持ち上げた。ブランソンを「バージンー                       キング」「PRのまがいなき王様」「プランディ                       ングの天才」「砂漠と宇宙の帝王」などと呼んだ。                       バージンアトランディック航空がプランソンの                       顔をかたどった氷入りの飲み物を提供し始める                       と、「アイスキング」とも呼んだ。                        ブランソンは優秀なPRチームの助けを借り、                       マスコミによって帝王にされただけの普通のビ                       ジネスマンなのだろうか? それとも生まれつ きプランティンクの天才で、マスコミを操ることに長けていたのだろうか? どちらというこ とはできない。おそらくその両方なのだろう。  もうひとりの例は、もともと究極のアウトサイダーだったショーンーパーカーだI何しろ犯 罪者だったのだから。高校時代、ショーンは慎重なハッカーだった。ところが、一六歳の息子 がコンピュータにかじりついていることを気にかけ た父親が、パッキングの最中にキーボードを取り上 げてしまった。ショーンはログアウトできず、FB Iがそれに気づいた。まもなく彼は逮捕されてしま ’つ。  未成年だったショーンは軽いお咎めで済んだI ただし、この事件が彼をさらに大胆にした。三年後、 彼は友だちとナップスターを立ち上げた。P2Pの ファイル共有サービスは初年度に1000万ユーザ ーを獲得し、史上最も急成長したビジネスのひとつ となった。でも、レコード会社に訴えられ、立ち上 げから二〇か月後に連邦裁判所より閉鎖を命じられ た。一瞬だけ表舞台に立ったショーンは、ふたたび アウトサイダーとなる。  フェイスブックが登場したのはその後だ。二〇〇 四年、ショーンはマークーザッカーパーグに出会い、 フェイスブックの最初の資金調達を助けて創業社長 になった。薬物使用の疑いで二〇〇五年に退任した ものの、それは逆にワルガキという評判を高めるこ とになる。映画「ソーシャルーネットワーク」でジヤ スティンーティンバーレイク(JT)がショーンを演 じて以来、彼はアメリカで最もクールな人間のひと りと見なされている。もちろんJTの方が有名だけ れど、シリコンバレーでは彼をショーンーパーカーだ と勘違いする人もいる。  世界的に有名な人たちも、創業者と言っていい。彼 らはみな、会社ではなく自分のブランドを築き上げ ている。たとえば、レディー・ガガは世界で最も影 響力の大きな人間のひとりになった。でも、レディ ー・ガガという人物は本当に存在するのだろうか? 本名は明かされていないけれど、誰もそれを知らな いし気にしない。彼女のコスチュームは奇抜すぎて、 彼女以外の人間が着たら精神病棟送りになってもおかしくないほどだ。周囲には「生まれつき」 だと思わせているけれど、頭から角の生えたソンビのような姿で生まれてくる人間はいない。と いうことは、ガガは自身の作り上げた神話に違いない。そこでもう一度問いたいのは、自分を そんな風に作り上げるのは、どんな人物だろう? ノーマルでないことは確かだ。つまり、ガ ガはおそらく本当に「生まれつき」ガガなのだ。      王はどこからやってくる?  極端な創業者像は、歴史の中でも繰り返し登場してきた。古典神話には、そんな登場人物が 溢れている。オイディプス王はインサイダーとアウトサイダーの両面を持つ人物の典型だ。幼 くして捨てられ、異国の地で命を落とすが、有能な王であり、スフィンクスの謎を解くほど賢 かった。  ローマの建設者とされるロームルスとレムスは王家に生まれたが子どもの頃に捨てられる。自 らの血統を知った二人は都市を建設しようと決意する。だが、その場所をめぐって二人は対立 した。ロームルスが引いた境界線をレムスが越えたため、ロームルスはレムスを殺し、こう宣 言した。「我が城壁を越えた者は何者も滅びるであろう」。立法者でありながら法を犯し、追放 された犯罪者でありながらローマを築いた王、ロームルスもまた、インサイダーとアウトサイ ダーの両面を持つ自己矛盾に満ちた人間だった。  普通の人はオイディプス王やロームルスのようなことはない。彼らが実際にどんな人間だっ たにしろ、神話の中では極端な逸話だけが語られる。でも、どうして古代の人々は非凡な人物 をこれほど大事に祭り上げたのだろう?  昔から、偉人と悪人は大衆感情の受け皿となってきた。彼らは繁栄の中では賞賛され、不運 の中では責められた。原始社会においては、ある根本的な問題が何よりも重要だったI対立 を止める手段がなければ、社会はバラバラに壊れてしまう。だから飢饉や災害やライバル争い などで平和が脅かされると、社会はすべての責任を、みんなが納得できるようなひとりの人間 に押し付けた。それが、生け贄だった。  どんな人が生け贄になるのだろう? 創業者と同じく、生け贄になるのもまた極端で矛盾を 抱えた人物だ。一方で、生け贄は弱い者でなければならない。犠牲者となることを自分では避 けられないほど、力のない人物だ。だけど他方で、罪をかぶって対立を和らげることができる という意味では、コミュニティの中で最も影響力のある人物でもある。  生け贄はしばしば、処刑前に神のように崇められる。アステカ族は生け贄を神の化身と見な していた。生け贄は正装してごちそうを食べ、一瞬 だけ王のように扱われたあとに心臓をえぐられる。そ れは君主制のルーツとも言える。王様はみな現人神 で、殺されることで本物の神となる。現代の王様は 処刑の時をなんとか遅らせている生け贄にすぎない のかもしれない。      アメリカの王族たち  アメリカではセレブリティがいわゆる「王族」に 等しい存在だ。僕たちはお気に入りの芸能人をそん な風に呼んでいる。エルビスープレスリーはキングー オブーロック。マイケルージヤクソンはキングーオブー ポップ。ブリトニー・スピアーズはポップープリンセ ス。  だがそれも、王でなくなるまでだ。エルビスは七 〇年代に自暴自棄になり、肥満となってトイレにひ とり座ったままで亡くなった。今日、彼のモノマネ といえば、スラリとしたクールな姿ではなく、太っ て怪しげな風貌だ。マイケルージヤクソンはみんなに 愛された少年スターから、見た目も行動も奇怪な薬 物中毒者となった。世界は彼の訴訟をあれこれと取 りざたした。プリトニーのストーリーは誰よりドラ マチックだ。僕たちが勝手に彼女の偶像を作り上げ、 ティーンエイジャーだった彼女をスターダムに押し 上げた。その後、何もかもが狂い始める。頭を剃り こんだブリトニーには、過食と拒食の噂が絶えず、親 権争いの裁判の一部始終をマスコミは追いかけた。彼 女は昔から少しクレイジーだったのだろうか? マ スコミの餌食にされただけなのか、それとも、あの 奇行はもっと注目を集めるためだったのか?  堕ちたスターの中には、死によって復活する者もいる。多く の有名ミュージシャンが、二七歳でこの世を去っている。ジャ ニスージョプリン、ジ゛`。・ヘンドリックス、ジムーモリソン、カ ートーコバーン。彼らは「27クラブ」として永遠の生を得た。二 〇一一年にこのクラブの一員となったエイミー・ワインハウス は、こう歌っていた。「リハビリ施設に連れていかれそうにな って、『ノー、ノー、ノー』と言ったのよ」。リハビリ施設を敬 遠したのは、それが永遠の命への妨げに見えたからかもしれな い。若くして死ななければ、永遠のロックの神様にはなれない のだろう。  僕たちは、セレブリテイを崇めては憎むように、テクノロジ ー起業家を持ち上げては蔑む。名声の頂点を極め悲惨な最期を 遂げた(ワードーヒューズの軌跡は、二〇世紀のテクノロジー 起業家の中でも、最も劇的だった。裕福な家庭に生まれながら も、ヒューズはいつも贅沢より機械に惹かれていた。一一歳で ヒューストン初の無線通信装置を作ると、その翌年には、町で 初めてのオートバイも作ってしまう。ハリウッ ドがテクノロジーの開拓者だった時代、三〇歳 前にして九本の商業映画を成功させていた。そ れよりもヒューズの名声を轟かせたのは、映画 と同時に経営していた航空事業だった。ヒュー ズは航空機を自ら設計し、作り、自分で操縦し た。最速航空記録を打ち立て、最速で大陸を横 断し、最速で世界を一周した。  ヒューズはまた、誰よりも高く飛ぶことにこ だわった。自分はギリシヤの神と違っていつか 死ぬのだとよく口にしていたIそれは神と自 分を同じ土俵に乗せるための発言だった。「ヒ ューズはあなたや私と同じものさしで測ること のできない人物だ」。ヒューズの弁護士は連邦 裁判所でそう訴えた。ヒューズが金を払って言 わせたことだったが、ニューヨークタイムズに よると、「判事も陪審員も、その点について異論はなかった」ようだ。航空分野での業績を認め られて一九三九年に議会名誉黄金勲章を授与された時も、ヒューズは受け取りに来なかった。し ばらくあとになってトルーマン大統領がホワイトハウスで勲章を見つけて、郵送したほどだっ た。  ヒューズの終わりの始まりは、三度目の深刻な墜落事故を起こした一九四六年だった。その 時亡くなっていれば、ヒューズは歴史上最もダンディで成功したアメリカ人として永遠に記憶 されていただろう。だが彼はぎりぎりのところで生き延びてしまった。強迫性障害を発症し、痛 み止め中毒に陥り、誰とも会わず、人生の最期の三〇年間をひとり部屋にこもって過ごした。ヒ ューズは以前から少し変わっていて、奇妙にふるまえば誰からも邪魔をされないだろうと考え ていた。ところが、行動だけでなく人生そのものが変になった彼は、崇拝とともに哀れみの対 象となった。  最近では、ビルーゲイツのような極端に目立つ成功者は激しい攻撃の対象とされるようになっ た。ゲイツは起業家の典型だ。人付き合いの苦手なおたくの大学中退者でありながら、同時に 世界一の金持ちでもある。あの瓶底メガネは、際立った個性を演出するための小道具だったの だろうか? それともあの瓶底メガネが救いようのないおたくのゲイツを選んだのだろうか? それはわからない。でも彼は疑いようのない市場支配力を握った。二〇〇〇年にマイクロソフ 卜のウィンドウズはオペレーティングーシステ ム市場の九割のシェアを握っていた。その年、二 ユースキャスターのピーター・ジェニングスは こう訊いた。「世界で最も重要な人物は誰だろ う? ビルークリントンか、ビルーゲイツか? 私にはわからない。難しい問題だ」  司法省はその疑問を行動に移した。マイクロ ソフトへの捜査を開始し、「競争制限的な取引方 法」を行なっているとして提訴したのだ。二〇 〇〇年六月、連邦地裁は分割を命じる判決を下 す。ゲイツはその六か月前にCEOを退き、新 たなテクノロジーの開発をやめて訴訟対応にほ ぼ専念せざるを得なくなっていた。控訴審では 分割命令が破棄され、二〇〇一年には政府との 和解が成立する。でも、その頃までにゲイツの 敵は彼を経営からすっかり引き離し、マイクロ ソフトは低迷の時代に入っていた。今のゲイツは、テクノロジー開発者としてではなく、慈善 事業家としての方が有名だ。      王の帰還  マイクロソフトへの訴訟によってビルーゲイツの支配が終わりを迎えようとしていた頃、ステ ィーブージョブズがアップルに復帰し、創業者は取り換えのきかない存在であることを証明して いた。スティーブージョブズとビルーゲイツは、ある意味で正反対だった。アーティストのジョ ブズは閉ざされたシステムを好み、何よりも偉大な製品を創ることしか考えていなかった。ビ ジネスマンのゲイツは、システムを第三者に開放し、世界を支配しようとした。でも、どちら もインサイダーとアウトサイダーの両面を持ち、自分たちの立ち上げた会社をほかの誰にも追 いつけないほどの高みに押し上げた。  大学を中退し、裸足で歩きまわってシャワーを浴びることも拒否していたジョブズは、自分 というカルトのインサイダーだった。カリスマにもクレイジーにもなれたのは、気分によると ころもあれば、計算もあったのだろう。りんごダイエットといった奇妙な行動が大きな戦略の 一部でなかったとは思えない。でも、一九八五年に はこうした奇行のせいですべてを失うことになる。大 人による監督を受けるためにジョブズ自身が招いた プロのCEOと衝突し、取締役会から自分の作った 会社を追い出されてしまったのだ。  それから匸一年後のジョブズの復帰は、ビジネス においていちばん大切な仕事−新たな価値の創造 −は方程式で導かれるものでも、プロ経営者によ って管理されるものでもないことを証明した。一九 九七年にジョブズがアップルの暫定CEOとなった 時、申し分のない経歴を持つそれまでの経営者たち はアップルを倒産寸前にまで追い込んでいた。その 年、マイケルーデルがアップルについてこう言ったの は有名だ。「私だったらどうするかって? 会社を畳 んで株主に金を返すだろうね」。だが、ジョブズは二 〇〇一年に弓oaを、二〇〇七年には弓70コのを、そ して二〇一〇年には弓叫aを発売して、二〇一一年に病気のために退くことになる。その翌年、 アップルは世界一の時価総額を誇る企業となった。  アップルの価値は、ある人物のひとつのビジョンから生まれていた。このことは、新たなテ クノロジーを生み出す会社が、いわゆる「現代的」な組織ではなく封建君主制に近いことを暗 に示している。独創的な創業者は、有無を言わせず決断を下し、忠誠心を呼び起こし、数十年 先まで計画できる。逆に、訓練されたプロフェッショナルが運営する個性のない官僚組織は、ひ とりの寿命を超えて存続するけれど、目先のことしか見ていない。  企業は、人々が創業者を必要としていることを自覚しなければならない。だから、創業者の 偏屈さや極端さにもっと寛容になるべきだ。単なる漸進主義を超えて会社を導くことのできる 非凡な人物を、僕たちは必要としている。  創業者は、個人の栄光と賞賛はつねに屈辱や汚名と背中合わせであり、慎重さが求められる ことを自覚しなければならない。  何よりも、自分の力を個人のものだと過信してはならない。偉大な創業者は、彼ら自身の仕 事に価値があるから重要なのではなく、社員みんなから最高の力を引き出せるから重要なのだ。 偏屈な創業者が必要だと言っても、誰の力も借りないで「世界を動かす」と豪語するようなア インーランド的創造者を崇拝すべきだという意味ではない。偉大な作家であるランドも、この点 では間違っている。彼女が描く悪者は本物だが、英雄はニセ者だ。「別天地」など存在しない。 誰も社会から完全に離れることなどできないのだ。自己完結できる力を授かったと信じるのは、 強い人間だからではなく、人々の憧れIそして嘲笑−を勘違いしているからだ。創業者に とって何より危険なのは、自分の神話を信じこみ、本当の自分を見失うことだ。一方で、どん な企業も陥りがちな落とし穴は、すべての神話を否定して、幻想を砕くのが賢さだと勘違いす ることだ。 二一 一         ニー    \コ    ニ三   < ・   一一丁   卜     \     厂   }{   \   <ココ \\ニー  \二二\  \一……プー }    \ \ 犬二  一 ▽ご ’一 ] 。]         p  ・        `  ・         ・  ←        ・  ‘ 一 `  ・       ・  一  一   ・ 1‐ ’一 参        一    a  一 ・ ・ ・  ・  ・  ・    ・ 。      \”   ∠∠……一二   コ‘ 一・‘・’ \ 厂尚  ’一二厂…………  ゛卜\= \………」 終牡に\停滞かシンギユ】プリティか\十   ”「            一  ▽尚                   \            」  コ          一 一   一    \            ・\   サ     尚 \         ]厂       \−    \ ニニ        レヅ    サ     ー丁‘尚   \・  ノブ厂     \ \  ∠   \ 。・ ’』”””    ””’……… ・・・’…・ ”’ ‐ ’・・ ・・F・・ ・・・     ・・・‐ry”E     ””“”’“”‘に・いI・一 ’・”…………一……… ………  先の先まで見つめる起業家でさえ、今後二〇年から三〇年より先のことを計画できないとす ると、遠い未来について言えることなどあるだろうか? 具体的なことはわからないけれど、大 まかな輪郭を描くことはできる。哲学者のニックーボストロムは人類の未来に四つのシナリオが 考えられるとしている。  すべての歴史は繁栄と衰退の繰り返しだと古代人は考えていた。その不運を永遠に避けられ るかもしれないと人間が希望を抱くようになったのはほんの最近のことで、今当たり前のもの として享受している安定が今後も続くかどうかはわからない。  だけども、僕たちは普段その疑いを表には出さない。一般的には、最も裕福な国の生活水準 まで全世界が追いつき、その後は横ばいが続くと予想している。このシナリオでは、未来は現 在とそれほど変わらないことになる。  現代社会は地勢的につながり合っていること、また近代兵器が途方もない破壊力を持ってい ることを考えれば、もし大規模な社会的騒乱が起きた場合、その拡散を防ぐのは難しそうだ。こ うした恐れから第三のシナリオが導かれる。僕らが生き残れないほどの惨事が起きる可能性だ。  いちばん予想外なのが四つのうちの最後のシナリオで、すばらしい未来に向かって加速しな がら飛び立つという可能性だ。このシナリオにはさまざまな最終形が考えられるけれど、その どれもが現在とはまったく違う姿になるので、ここですべてを描くのは難しい。  未来はこの四つのどれになるだろう?  衰退が繰り返されるとは考えにくい。今では文明の基礎となる知識が普及し、長い暗黒時代 の末に社会が回復する可能性よりは、絶滅の可能性の方が高い。ただし、人類が絶滅するなら、 未来を考える必要もない。  今と違って見える時代を「未来」と呼ぶなら、ほとんどの人は未来を期待していないことに なる。これから数十年の間にグローバリゼーションや生活水準の収斂や均一化が起きると予想 しているわけだ。このシナリオでは、途上国が先進国に追いつき、世界経済全体が横ばいにな る。でも、本当にグローバルな横ばい状態になったとして、それは持続するのだろうか? 仮 にそうなったとしても、個人や企業にとって競争はこれまでになく厳しいものになるはずだ。  ただし、稀少な資源をめぐる競争がこれに加わると、世界的な横ばい状態が永遠に続くこと は考えられない。競争圧力を和らげる新たなテクノロジーがなければ、停滞から衝突に発展 する可能性が高い。グローバル規模での衝突が起きれば、世界は破滅に向かう。  そうなると残されるのは、僕たちが新たなテクノロジーを生み出し、はるかにいい未来へと 向かう、四番目のシナリオだ。中でもいちばん劇的なケースが「シンギュラリティ」と呼ばれ るもので、これは、現在の自分たちの理解を超えるほどの新しいテクノロジーがもたらす、特 異点のことだ。シンギュラリティ信奉者として名高いレイーカーツワイルは、ムーアの法則に発 想を得て、多くの分野における指数関数的成長トレントを追跡し、人間を超える人工知能の未 来をはっきりと予言している。カーツワイルによれば、「シンギュラリティは近い」。その避け られない特異点に向けて僕たちができるのは、それを受け入れる準備をすることだ。  だけど、どれほど多くのトレントを追跡しても、未来は自然に起きるわけじゃない。シンギ ュラリティがどのような姿になるかよりも、今の時点で最も可能性の高い正反対の二つのシナ リオのどちらを選ぶかの方がはるかに重要だ。絶滅か、それとも進歩か。それは僕たち次第だ。 未来が勝手によくなるわけはないIということは、今僕たちがそれを創らなけれぱならない ということだ。  宇宙規模のシンギュラリティを達成できるかどうかよりも、僕たちが目の前のチャンスをつ かんで仕事と人生において新しいことを行なうかどうかの方がよっぽど大切だ。宇宙も、地球 も、国家も、企業も、人生も、この瞬間も、大切なものはすべて、取り換えのきかない「一度 限り」のものだ。  今僕たちにできるのは、新しいものを生み出す一度限りの方法を見つけ、ただこれまでと違 う未来ではなく、より良い未来を創ることIつまりゼロからIを生み出すことだ。そのため の第一歩は、自分の頭で考えることだ。古代人が初めて世界を見た時のような新鮮さと違和感 を持って、あらためて世界を見ることで、僕たちは世界を創り直し、未来にそれを残すことが できる。